酒とホラの日々。 -10ページ目

年の暮れさも忙しとあう人のただ一言で別れ行きぬる

$酒とホラの日々。-冬空

この一年もあっという間に一巡りして年の暮れを迎えることになってしまった。ただでさえ忙しい年の暮れだというのに、忙しさにかまけてうっかりしているうち、次々と予定を入れられてしまい、気がつくととんでもない数の忘年会に出るはめに陥ってしまっている。
そもそも厄介な他人や世間の義理やしがらみなどに捕われたくないといつも思っている私である。不義理も意に介さず、他人からは薄情大魔王とも呼ばれることをむしろ誇らしくも思っているくらいだというのに、今年はちょっと気を抜いたらむやみやたらと宴会ばかりやっている。不本意である。
 
歳末だクリスマスだ、新年準備だとかしましい世間の喧噪に巻き込まれているとあっという間に過ぎてしまう12月だが、実は低く巡る日に照らされた師走の風景というのはとても美しい。
斜めに射す冬の日に浮かぶ町の色、冷えた空気の中に人の行き交うほのかな暖かみ、それに、葉も散っていい具合に初冬色に染まった木立の連なる郊外の静けさ、というのもまたいい。 
  
歳末と新年の騒動に巻き込まれることを充実と思い込むのも勝手だが、この時期ならではの一瞬の美しさを味わえなかったとしたら、わたしにとってはなにより損失だ。
 

11月の休日の過ごし方

$酒とホラの日々。-11月の庭

ひんやりと冷たい雨降りの休日。
理想の11月ライフにはもってこいの天候だ。
優しく色付いた木立を窓の向こうにして
着膨れした私は机の前でぼんやりと過ごす。
本を読むわけでもなく、テレビなどみるわけもなく
たまに近くを通り過ぎる配達の車や、小鳥の声ぐらいしか耳に入る音もない。
 
集中やまして根詰めとはまったく正反対の
緩みきった時間で、何かを行なう者としての私はほぼどこにも存在しない。
懶け、ただらけてなにも生み出さない時間かもしれない。

人によっては、なんとつまらない、退屈な、
本当にばかばかしく無駄な時間を過ごすのかと
目くじらたてる者もきっといることだろうけれど
私にとってはこんなにも何もなくて
何もないがゆえに満ち足りた時と云うものは滅多にない
得難い貴重な時期だ。
 
ひっそりとして静かな11月。
しかも騒々しい外界の活動の失せた冷たい雨降り。
こんなときだからこそ家にこもって自分の中に引き込んで、
何ものにも邪魔されない自分だけの意識だけと静かに向き合う
充実した時間を過ごすことができる。
 
ただでさえ今の世の中はあれをみろ、これを買え、これを知らないと
世の中に取り残されるぞ、というような脅迫めいたゴミのような情報が
溢れかえっているし、人の間の話題もまたそんな
広告やネットやテレビで見たゴミ情報を弄ぶことだったりして、
本当に心からの意思疎通などが成り立つことはまれなものだ。
 
静かな冷たい11月とただ一人向き合うことは
何ものにも邪魔されない自分の心と向き合うことだし
一見無為の時に見える孤独を過ごすことは
心の内奥を歩き回り、忘れていた自分自身に改めて出会う
穏やかながら再発見と驚きの充実した時間である。

あとは酒があればなお良い、というのは夕方までとっておこう・・・。

ビーチコーミング

ビーチ1

11月の浜辺を歩くと、海も空もあたりはすっかり冬の色。
冷たい風の吹き渡る砂浜に人影はなく
ほほに当たる光と朝の冷たい空気が気持ちよい。
 
ふと見ると、海水に長いこと洗われたガレキくずが
足下に打ち上げられている。
流木や何かの部品、ビンや看板、
何とも説明不能の謎の物体もある。
もちろんつまらない生活ゴミもあるけれど
何でもないガレキくずを眺めて回ると
いつの間にか時間が経っているものだ。
 
ビーチコーミングというのだろうか
浜辺のガレキを拾って歩くのを
趣味にしている人も多いらしい。
 
この日の私は、角の丸くなったガラス片のようなものを
一つ拾って帰った。
 


明くる朝、窓を開けてベランダに出ると
どこから飛んできたのか、葉っぱや小枝、
ドングリや杉玉なんかが転がっていた。
 
風に運ばれてきたもの
小鳥の持ってくるもの
空から不思議なものがやってくる


ベランダもまた小さな空の渚である。
   


私たち、別れます


友人のA君が離婚宣言した。事の起こりは同居の義父であるのだという。入り婿ではないが、サザエさんの家に同居のマスオさんのような立場のA君には何かと苦労がある。
まあよくある話だが、引き金の事件とはいかがなものか・・。
 
ことの初めは義父の発熱である。医者で診察の結果座薬が処方され、義父が家でこれを挿入した。ここまでは良かったのだがジイさんは即便意を催した。

座薬は直接腸壁から薬効成分を吸収させる効率の良い方式だが、入れるところは普段出すところなわけだから、異物挿入に刺激があるのは当たり前だ。そんな場所だから、座薬を入れた出口への刺激が便意を催すことがある。
 
もちろん座薬を入れてすぐ排便にいたっては、座薬も一緒に排出されてしまうので、我慢しなければならないことになっている。だが、生理現象だからこらえが効かないことだってあるし、座薬を入れるときというのはなにがしか弱っているときであるので、我慢を強いるのは無理がある。座薬の使用者が年寄であればなおさらだろう。

というようなお決まりのコースをたどったようだがこのジイさんは、入れたばかりの座薬惜しさに、出てきた座薬を一旦確保し、再装填することにしたのだが、通常溶けやすい座薬は低温保管すると相場は決まっている。
 
そこでジイさんは取り出した座薬をご丁寧に皿にのせ、もとあった冷蔵庫に再保管したうえで、厠での長丁場に赴いたのである。
 
そこへやってきたのがそれとは知らない婿殿のA君で、ビールのつまみに何かないかと冷蔵庫をのぞいてみたのだが、何やら皿に鎮座していた。
「はて、昨日のバターレーズンの食い残しか。」
確かに座薬の質感は溶けやすくできているしバターやクリームチーズにも似ている、かもしれない・・・。

こうして事件は起きたが、あとの騒動は想像したくない。

とにかく、事態(といってもA君の気分的なものか)の早い沈静化を遠巻きに眺めるばかりである。

11月の道をたどれば

$酒とホラの日々。-秋2


ここ数年の東京の11月の平均気温は14、5℃だが、気象統計を取り始めた1876年からしばらくは10℃に満たないのが普通だった。その後高度成長の始まった1960年代あたりの平均で12℃程度だから、年によってでこぼこはあるものの、日本人は140年近くかけておよそ5℃くらいは暖かな晩秋を過ごすようになってきたらしい。
 
この原因をめぐっては専門家の解説を聞いてもらうとして、
(中にはそれが為にする怪説もあるだろうけれど)
寒さの苦手な私にしたって、喜ばしいよりむしろ何か心配な数字でもある。
 
もっとも、次第に寒くなる下り過程の季節にあっては、明治時代の11月がどうあれ、日々寒さが身にしみていく冬への準備時期であることにやはり変わりはない。
  
だいたい11月というのは、草木も虫も活動が止み葉っぱは落ちて茶色になり、日に日に昼も短かくなるし、ひっそりと寒々していて、時雨模様で不安定な空から急に冷たい風が吹いて来たりで、地味で、どちらかというと嫌な時期だと思われていることがある。
  
でも私はこんな11月が決して嫌いではない。
 
外の活動の落ち着いた静かな11月は冬支度の時期だが、この冬支度というものは極めて内向きの作業だ。
私たちは本格的な寒さに備えて、しまってあった暖かい服をすぐに着られる身近にそろえ直し、暖房や夜具も庭の植木も冬模様に仕立てていく。
  
自分のもの・自分の身の回りの物をぐっと近くに引き寄せる月が11月であるし、まだ慣れない寒さに家で暖かに過ごす楽しみを感じ始めるのもこの時期だったりする。
 
外界に気をそらされず、家も庭も服も布団も自分の身近なものをもっと身近に引き寄せることはなんと充実した時間であることか。
 
11月がさびしいからといって、ネットやテレビのごみ情報に逃げ込んだりしてはいけない。
すぐそばにあるこの時期ならではの楽しみを逃すわけにはいかないのだ。
  
 
 

秋風とネコ的自由

$酒とホラの日々。-ネコの自由

秋の日の射す朝は少々遠回りをして
公園の裏の野道をかき分け、神社の中を通り
まだ眠たい商店街を眺めて秋の空気に触れて会社へと向かう。

このルートでは道すがら、たいてい猫部隊に会って挨拶をすることになる。
三毛、サバとら、デブ猫、仔猫、高価そうなペルシャ猫みたいなのもいる。
愛想のいい猫もいれば、器量の良い猫もそうでないのもいて個性豊かだが、
どの猫も特定の飼い主がいる訳でもなければ、かといって野良でもない。

いまは地域猫とかいって、神社や商店の近所の人が面倒を見ているのだ。
完全な飼い猫でもないから、どこかちょっと薄汚れたような感はあるが、
そのすすけた分だけ飼い猫よりはのびのびとした気概を漂わせるような
自由で誇り高くも人なつこい猫たちである。
 
ある時など、神社の境内に立っていたところ、
どう見てもペルシャ猫系の、つまり高そうな風貌をした、それでも
しっかり半ノラのぶんだけほこりっぽい猫が足元にやってきて
仰向けに寝そべった。
そこで私は、腹をごしごしとなでてやったのだが
猫も私もまんざらでもないような、なにか義務を遂行しているような
みょうな具合に思えたものだった。
 
一見、愛想を振るう猫とこれを愛玩する人間の図ではあるけれど、
たまたま私がその場にやってきて居合わせただけの仲である。
ひょっとしてあれはあの猫、地域猫としての、
そこらを徘徊する人間への「お仕事」だったのだろうか。 
 
安穏そうな猫暮らしに見えるけれど、
時には嫌な人間の相手をすることもあるだろうし、
地域猫としての気苦労もあることだろう。
猫たちは猫としての最低限の自由を守りながらも地域猫を務めつつ
毎日の糧の確保に困らないという自由をもまた得ているのだろうか。
 
してみると、日々仕事につながれ、つまらないストレスに
追い立てられつつも、それで経済的自由を確保しているという、
人間ももまたこいつらと似たような境遇であるようだ。
 
社会生活に追われる中でで忘れがちだが、
人もまた猫同様に自由気ままに生きられる。そう生きている面がある。
ただ、ネコ同様、経済的自由を獲得するために
ネコ的自由をちょっぴり切り売りしているだけなのである。
 
人はもっと自分の生きるネコ的自由の方に目を向けるべきだろう。

 

「変」は「恋」の代用品となるか

 $酒とホラの日々。-姉の結婚
『姉の結婚』 西 炯子/小学館  

たまたま読む機会があったが人気マンガであるらしい。
主人公の中年女は失敗経験豊富でいまだ独身、しかも恋愛封印中。相手の男は中学の同級生いしてイケメンでエリートの大学勤務医だが家庭持ち。この男のストーカー的強引なアプローチで二人の関係が進展していく。
 
ただ、こうした不倫という現実を嫌う女は、男に金を要求することで経済的愛人関係を装い、自らのやましさの言い訳としている。不倫するよりも淫売の方がまだましという理屈だ。
 
それでも本当は男にどうしても心ひかれていくのに、過去の体験やプライド、やましさ、もう若くないわが身の立場にとらわれて、女は一途な恋愛からは目をそむけざるを得ない。嗚呼、そんな状況の中で揺れ動く彼女の行く末は・・・。

* 

かつて石川達三が彼の小説の中で言っていたが、中年の恋愛は単刀直入にまずヤルことだ。若いころのようなときめきと迷いの甘美なロマネスクに身をゆだねることだけでは中年恋愛ストーリーは成り立たない。その意味でこの漫画は中年恋愛ストーリーの基本を踏まえ、主人公の男女が逢引しては即ヤリまくることを中心に据えている。そのうえで、中年ゆえにこれまで背負い込んだ一筋縄ではいかない経験や傷、家庭や職場の面倒な人間模様を周囲に配して話にふくらみをを持たせている。
  
この通り恋愛とはいってもドロドロ不倫ものなのだが、絵柄も背景ももおしゃれに、生臭い場面にはギャグ的要素をちりばめ、不快感を感じさせずに読ませてくれるから娯楽作品としてのツボはしっかり押さえているのである。

これは昼メロ的恋愛物語の王道だ。勝手に感情移入して楽しむのもありだが、所詮は他人の不倫沙汰、しかもマンガ、それ以上のものではない。物語の「恋」にときめくというよりも、他人の「変」をおもしろがれば良いのだ。それ以上のものを期待して批評するのはお門違いだが、単純に大人の色恋物マンガとして楽しめる。
  
古典の昔から現代のテレビの昼メロ、女性週刊誌の下世話な三文記事に至るまで、我が国では不倫スキャンダルの娯楽文芸は盛んだが、昔はどこが面白いのかさっぱり分からなかった。だがこの年になってようやくその「変」の楽しみ方が分かってきたかもしれない。


 

 
 

秋の楽しみ

$酒とホラの日々。-10月の雨2
 
暑いときには永遠に続くと思われたあの夏も、
去ってしまえば昨夜の夢にもおなじ。
つい昨日までそこここにあった前季の名残は
紅茶の中の砂糖のように見る見る間に形を失って
秋の色に溶け込んでしまった。
ひと夏をにぎわせた百日紅の赤いちりめんに代わって、
こんどはオレンジの金木犀が芳香を放ち、
今が秋の中央であることを告げている。

いい季節だ。
乾いていく空気の中では強い日差しも
しつこくまとわりつくことはないし、
夜の空気はしんとして深い眠りを誘ってくれる。
そしてまた翌朝の冷気には日ごとに深まる秋を感じることになるのだ。
 
いい季節ではあるが、この時期がこの先へ冬へと下る
短い時間のことはみんな知っているし、
そのためにことさら私たちは秋をいとおしむ。
 
どうも私たちは事物の永遠性に生の基礎を置くことができないらしい。
はかなげな命の揺らめきと、滅びの予兆のうちに美を見出しては
これを生の、ひいては事物世界の本性とする感性を私たちは持つ。
おそらくこの無常観こそは生の底を流れる古くから共通の感性で、
あたかも通奏低音のように神代より代々人々の生を通底して
響いている感覚であるのだろう。
 
それゆえ何でもない自然変化の眺めのうちに
人は神性だの仏性なりを見出し、
これに「生かされている」わが身わが世を感じるのは
自然の道行であるのかもしれない.. .。 

いずれにしても秋は楽しみが多い。
暑さ一色の夏にはあきらめていた遠出や野外行事もできれば、
読書も勉強にも意欲がわくし、年初に仕込まれた酒も
夏場を越して角が取れて旨みを増してくる。
実りの季節で食い物の豊富なことは言うまでもない。
 
もちろん楽しみも食事も季節同様はかないものだが、
それでも秋の恵みのはかなさのうちになにがしかの美を見出せたなら、
その瞬間はきっともっと大きな世界とつながっている。
 
 


郷傑と小さな変化

$酒とホラの日々。-Local Hero

ローカル・ヒーローのDVDとサントラCD
 
1983年のイギリス映画『ローカル・ヒーロー』は一風変わった映画だ。
アメリカの石油会社が大西洋に面したコンビナートの建設のためスコットランドの片田舎に白羽の矢を立てる。石油会社の若いエリート社員のマッキンタイヤは社長の命を受けて地権者の村人と交渉に乗り込む。
コンビナートができればのどかな風景は破壊され、村人は家も仕事も放棄して立ち退かなければならない。交渉は難航するかと考えそうなところだけれど、田舎暮らしからおさらばできると考えた村人たちは内心ほくほくソロバンをはじいて、ポイントは金額交渉だけの様相。だが、海岸の広い土地を保有する偏屈な老人ひとりが、のらりくらりと、しかし頑として応じない。交渉にあたるマッキンタイヤと代理人、それに村人たちのフラストレーションが高まる中、石油会社の社長がヘリで乗り込んで偏屈老人と交渉にあたるのだけれど、二人には不思議な友情が成立する。
そして巨大コンビナート計画は新たな展開を見せる・・・。



私たちはどうしても開発と環境保護の切り口で見てしまいがちなのだけれど、この映画にはユーモアや遊びの要素がたっぷりと盛り込まれている。
  何もないけれど、静かで美しい浜辺の村。
  みんな仕事を掛け持ちして何とか暮らしているのだけれど
  それぞれに人生を楽しむ村の人たち。
  若くて自信たっぷりでアメリカの都会暮らしを満喫していたのに
  村の暮らしに次第にひかれていくエリートサラリーマン。
    (私としては、彼の個人的な価値観の変化が面白い)
  神経症で天体観測だけが心のよりどころの石油会社社長。
  スコットランドの美しい白夜。
  獅子座の流星群、夜空を覆うオーロラ。
  メルヘンなまでにぼろい浜辺の掘っ立て小屋。
  そこに住む由緒正しい偏屈老人。
  若い女性海洋学者と人魚・・・
 
何よりマーク・ノップラーの音楽がいい。私もこの映画を見ようと思ったきっかけはライブで聴いたこのテーマ曲が好きだったからである。 

開発と環境保護、経済発展とのどかな暮らし、対立する問題に目をやれば見ようによってはとても深刻なテーマではあるけれど、映画がとてものどかに見えてしまうのは、ユーモラスな作りもさることながら、ひとつには映画よりも、今現実に私たちの向き合うの原発経済と暮らしの不安の構図のほうがもっとドロドロしているからでもある。

そこで私たちはこの映画に経済開発と相容れない平穏な田舎暮らしの二つの選択肢とはまた違う、社会と個人の第三の道を映画にかぶせて夢見てしまうのだが、これはたわいもない大人のファンタジーだ。たわいもないけれど原発経済と反原発の先鋭な原理主義的二項対立で行き詰る今こそ、どこかひかれるファンタジーである。



映画のラスト、新たな展開を見せた開発計画によりマッキンタイヤはお役御免となり、アメリカに戻ってビルの林立する都会を呆然と眺める。バックに流れる非常に印象的なエンディング音楽(ゴーイング・ホーム)が終わると、場面はスコットランドの村にもどって、村に一つしかない電話のベルが鳴りだす。
・・・マッキンタイヤからに違いない。






我らに力を

$酒とホラの日々。-ノー・ニュークス
『MUSE ノー・ニュークス原発反対コンサート』

スリーマイル島の原発事故の後、1979年に行われた反原発イベント、「ザ・ミューズ ノー・ニュークス反原発コンサート」のビデオ(レーザーディスク)。
当時一流のミュージシャンが結集して、人は原発との共存はできない!と声を上げた。
今見ても真摯なメッセージと、熱いステージパフォーマンスに心が高ぶる。
 
1日で25万人を集めたこのコンサートは純粋に音楽イベントとして成功したというだけではない。今なお感じることのできる高揚した気分は、コンサートに参加した、来場した、あるいはビデオを見たすべての人々が、世界のより良い変化に関与しているのだという確信を共有していたがゆえの熱気のためなのである。

戦後の大衆中間層の拡大ともに生まれたポップカルチャーは、その発展の過程で60年代の反体制運動を経験し、70年代80年代になると、ポップカルチャーによる大規模な感動体験と大衆的な社会意思表示はつながっている、という確信めいた夢を見るに至った。それゆえに何らかのスローガンを掲げた大規模なコンサートの感動共有は、それ自体が社会変革の世界変革の力であるとさえ信じていたものだった。みんなそう信じたかった。

今は戦後経済の枠組みは変わり、ポップカルチャーと大衆的な連帯意識を支えた安定中間層が崩壊に向かう中、大衆層という言葉の意味するところと実体は、互いの足を引っ張り合う引き裂かれた下層階級になりつつある。
何事かを訴える大規模なコンサートも、いまや形式だけが残る。

この大規模な原発反対コンサートの発起人であり主催者の一人であるボニー・レイットが今年久々のニューアルバムをリリースしていた。この際に印象的なコメントがあった。

「・・私たちは世界を変える力があると信じていた。でもそんな時代ももう終わろうとしている・・。」

  
うわべ民主主義の社会でも、企業や政府など大きな権力は民主的な意思決定を嫌う。卑小な一般市民は翻弄されるだけなのか、ネットが真の力になるのか、まだ私にはわからない。
でもきっと、「正しいと思うことに皆か意思を持ってボランティアで参加することで、世界は変わる、変えられる」(N.チョムスキー)。

私もこれを信じたい。