どんな秋を過ごしたいかって
池に映る秋の空。水面を渡るのも秋の風。
あんなに暑いの蒸すのと不平を述べていたのに、
ちょっと肌寒さを感じて冬の予感(冬は冬なりの面倒や沈滞が
あります)がしてくるととたんに、
暑くても賑やかな夏が好き、威勢の良い夏って最高、
と云う気分が出てきてしまう我ながらなんとも軟弱ぶり。
どうあがいても秋はやってきて、確実に進行していくのですが、
この時期、年とともに季節と向き合うことが
なんともおっくうになってきたのは、
ひとつにはリアルな秋の進展に
我が身が人生の秋を転げ落ちていくような不安を
突きつけられているような気分をもたらしているからなのかもしれません。
何が不安なのか、一つ一つあげればいくらでもあるかもしれませんが、
すべての不安が現実の災厄に転じるかどうかなんて分からないわけで、
不安がっていたところでどうにもなるわけでもありません。
たいていの不安の実態なんて、自分ではコントロール不能のことに
余計な妄念ををこねくり回しているだけなのですが
中途半端な意識や大脳を抱えた人間とはつくづく厄介なものです。
それは森の静けさが怖いとか、波のない水面が怖いとか
なんとなくたいした理由もなしに言っているようなもので
そこですくんでしまっていては、いよいよ身動きもとれず面白いことも
起こりませんよね。
こんなつまらないことを考えながら、
散歩途中に静かな池を眺めていたのですが、
いい加減に飽きて帰りがけ、石をほうり投げてみましたら
とたんにまるい波紋が広がっていき、静かな水面の一気に躍動を始めた
ような気分になりました。
人生は行動すること、行動することこそ人生、
たとえ秋に至ろうとも不安を打ち払うのはそれだけなのでしょう。
雨上がり、夏の終わりの朝
昨晩は久しぶりにまとまった長い雨が降った。
雨音に包まれて夜を過ごすのはいったい
何週間ぶりのことだだったか。
ここしばらくは昼は炎天に夜は蒸し暑さに悩まされ
九月に入ってもこの辺りばかりは
季節の歩みが滞ってしまっているのではないかと思うほど、
いつまでもべたついた夏が停滞していたのである。
それがまとまった雨が空気を一挙に入れ換えて、
忘れていた季節の巡りを少し進めてくれたようだ。
夜が明けて雨上がりを歩くと、
洗われた空気の中を透過する光に映し出された景色は
確かによどんだ夏とは違い一抹の秋の気配を含んでいた。
木立の中出会った朝日に照らされた建物の
青い扉に映える澄んだ光と影のコントラストに、
私はまるでその扉を開けさえすればすぐにもまったく新しい季節に
飛び込んでいけるような感慨を覚えたのだった。
この時期、たった一夜の雨が空気にも光にも
ハッとする違いをもたらしていたのである。
日を浴びる 朝の扉に 秋の影
梅雨入りはしたけれど
ただ梅雨入り宣言が早すぎただけのような気がするが、
今のところ快適な空梅雨を過ごす毎日。
天候は6月の上旬この時期本来の、さわやかで暑くも寒くもなく、
何をやるにもつらくない。
外出も庭の手入れも、スポーツ観戦にも、昼寝にも、もちろん酒盛りにも。
今日も愛用の散歩機械にまたがり、水辺を走ってきたが(注:自転車のこと)
炎暑や寒風と戦うことのない時の身体は疲れを感じることもなく
実になめらかに回転する。
人間の活動には最適な気候である。
願わくばひと夏がこのまま過ぎて、
そのまま秋に移行していけばどんなにかいいのに。
今年も夏の高原滞在に割ける時間は2,3日。だから
この後のまとわりつくような蒸し暑い日々は考えないようにしている。
雨の休日
五月十一日の今日は雨の土曜日だった。
私はこんなゴールデンウィーク明けの何でもない休日というのが好きだ。
勤めもあって、社会的な活動や世の中の情報と
無縁ではいられない身にあっては
ゴールデンウィークなどというものはまるで
脅迫的に休暇の取得を迫られたあげく、
消費拡大に寄与するべく個人の浪費を
奨励されているようで、せき立てられるような気分がついて回る。
もちろん、へそ曲がりの私としては、企業の都合による大量生産の
ジャンクフードみたいなレジャーも旅行にも行きはしないし、
混んでいるところも嫌いなら遠出もしないし
もっぱら静養と称して身勝手な行動に終始するのではあるけれど、
それでもドタバタ狂騒が澄んだ後に迎える何でもない休日のなんと
穏やかで静穏なことか。
マスコミや誰かにつべこべ言われない何でもない休みこそ本当の休みだろう。
今日は特に目的もなく暖かい雨の中を出かけてみた。
雨に煙る川辺の木立を眺め
適度な気温の中で雨に濡れた若々しい草木の美しさに出会うのは
なんと気分の良いことか。
元々雨の日も好きな私ではあるけれど、
この時期気温がだんだん上がってくる夏のすこし前の雨というのは、
まだ生育途上の緑を育て、
一年という命のサイクルの青年期を応援しているようだ。
ま、こんなことを思うのももう若くないからかもしれないが。
大リーグ観戦補助グッズ
時節は待ち焦がれた球春に至り、
開幕と同時に選手たちは
さっそくわくわくするプレー提供してくれている。
完全試合寸前のドラマ、
きわどいクロスプレー、
選手を悩ませるケガ、
誰もが監督になれる選手の起用と
戦術の選択の場面。
長い冬を過ごし飢えた野球ファンである私にとっては
大リーグのTV中継こそがその欲求を満たすえさの供給源である。
別にアメリカの野球産業の肩を持つわけではないけれど、
世界中から才能と意欲のある野球自慢が集まって
単純な腕比べをしているような図式が好きなのだ。
大相撲しかり、欧州のサッカートップリーグだってそうだ。
これから10月までは
テレビで試合を観戦し、気になる選手やチームの
多くのデータを毎日頭の中でアップデートしては
一喜一憂する長いシーズンとなる。
データなんて以前は勝敗の数と打率、防御率くらいなものだったが
最近はセイバーメトリクスが普及し様々な統計評価値が増えたので
場外野球ファンとしてはますます忙しく
も楽しみ方も増えた(気がする)。
もちろん、純粋に白熱した試合と選手のハッスルプレーこそが
真の楽しみを提供してくれることに変わりはないのだけれど。
今年はふと思い立って、今年は大リーグ公式試合球を買ってきた。
実際に大リーグの試合に使われるボール現物である。
メジャーリーグオフィシャルボールということで
高いのか安いのかわからないがこれが2000円くらいで手に入る。
もっぱらTV観戦の私は、試合中にはこのボールを握り
選手のリアルな感覚を想像してより臨場感を持って
試合に没入したいと思うのであるけれど、
いつか興奮して家の中で球を投げたりして
器物損壊に至るような気が・・・・。