今更ながらのご報告で、遅すぎて、申し訳ないです。
まずは、皆様にご協力頂いたベビーゲート。
無事に届けてくることが出来ました!!!!
本当にありがとうございました☆
ベビーゲートを受け取った方から、後日、
『一人で家事をすることも、とても安全で楽になりました』
との声を頂くことができました。
一人でいつ子どもが外に出てしまうかもわからない中、
何もかもの家事をすることはかなりの心労を伴うんだろうって、
改めて、感じたメッセージでした。
生きることと、
少し便利に生きること。
似てるようで違うような気もしてたけど、
やっぱり少しでも負担がなくなると、
もっと生きやすいんだろう。
加減は難しいけど。
また最近も他の受け取った方からもメッセージをもらったので、
改めて、ベビーゲートを譲ってくださったり
わざわざ買って現地に送ってくれた友人にも、
直接メールをさせてもらいつつ、
こちらでも報告できたらと思っています。
順を追って分割になりますので、遅くなりますが。すみませぬー
そんな東北。
気持ちと気持ちを交わすことが、
シンプルに、一番チカラになるんだろうと感じた東北でした。
手を繋ぐことの心強さと、真の力。
ありがたいことに、色々な役割を頂いて、
行ってきた気仙沼は唐桑半島。
車にベビーゲートを積めるだけ積んで、フェリーで苫小牧から仙台へ。
船内の本当にあらゆるところに、『がんばろう!東北』の文字。
あたしは、乗船してすぐに、自分の甘い覚悟にハッとしたんだよね。
仙台行きの船に乗っているということは、どういうことなのか。
寝台で、斜向かいに寝ていた女性がふと話しかけてきた。
『じめーっとしてますね、寝られるかな。』と。
あたしは
『すごい湿気ですね、私はあまり船に乗らないんですが、、(いつもこんなもんなんですかね?)』
というニュアンスで言いかけたら、
女性は、
『私は旦那がサンマ漁で釧路に来ているから何度も行き来しているの。
今日が初めての出港だったけど、どうかしらね~
第一陣で出た船は全然獲れなくて
油(燃料)代だけで100万捨ててるようなもんだからねー
でもさっき旦那がロシア沖の近くまで行かないといけないから
油が持つか心配って言ってたわ
釣れたら1000万だけどねぇ~帰ってこれないんじゃ・・・』
そして女性は続けた。
『うちは石巻だから家も船も全部流されちゃったから、一発当ててもらわないとー』
そう、それはもう本当に、淡々と、明るく。
あたしは、浅はかな自分と、現実を目の当たりに、やっと、した。
あたしは全然何も失ってなくて、何もかも持っている。
なのに、
何もかも失って、
何も持っていない人のあの、パワフルさ。
仙台行きの船の乗るってことは、そういうことで、
こういう環境で生きている人が山ほどいる中にあたしは行くんだって。
正直、どうやって接したらいいのか、わからなかった。
でもその女性と出会えたことに本当に感謝した。
仙台に着く前に、自分の心を決めるきっかけをくれた。
想像してもできなくて、想像してみても、
やっぱりそれは全然リアルじゃなかった。
でも、その気持ちのまま東北に乗りこむことは、
東北の方々にも多くのボランティアの方々にもすっごく失礼で、
自分にも失礼だと思った。
だからその女性がくれたきっかけで、色んなことを現実として考えられた。
その女性と話した後、目に入るあらゆる人の背景を勝手に想像した。
本当か嘘か知らんけど笑
お風呂で会ったたくさんの女の子たち、一人の女性に誘導されてたけど
もしかしてみんな流されちゃって親のいない子たちだったりする?
とか
この親子の親の心配症っぷりは、もしかして家族で残ったのはこの二人だけだったの?
とか
そーゆーのが、無駄に気になって
この船には被災された方がどのくらい乗っているんだろう
と考えを張り巡らせてた。
人のことをよく見ようって思う。つの。珍。笑
でもそういうことだなって。
あたしがこれから関わるべき、繋がるべき人たちは、
大きな被害と癒えぬ傷を負った方たち。
5ヶ月、いつまでも癒えぬ傷を背負っている人たちがいっぱいいる。
家がなくなってしまった人
自分の家が流されてゆくのを見ている人
無力さを痛いくらい感じた人
物ばかりではなく、愛する家族を亡くしてしまった人
幸せな家庭を一気に失ってしまった人
仕事もないのに借金作って生きる人
生きる意味さえ見つけられなくなりそうなほど
全てを失った人たち
でも不謹慎かもしれないけど、
この世は、物があるほどに複雑に見えて、
本当はものすごくシンプルなのかもしれないって、
愛すべきものは、きっともっとシンプルなんだって
そんなことを側面で感じていた。
フェリーで15時間。
あたしの中に迷いがあってはいけない。
迷いは失礼だから。
“何か少しでも力になれるなら”
ただ漠然と思っていた気仙沼行き。
でもそれじゃだめなんだって気づかせてくれた女性との出会い。
『希望を与えたい』だなんてそんなのは傲慢だと思うし、
あたしはそんな大した人間ではない。
でも、
気持ちはわからないかもしれない。
その人たちが経験した恐ろしさも、
一瞬で大切な人たちや家庭を失くした儚さも、深い悲しみも、
とてつもなく大きなものを背負って
それでも生きていかなければならない辛さも。
だけど、100分の1でも、1000分の1でも
気持ちをわかりたいって思った。
少しでも、
その気持ちに添いたいって思った。
色んな活動をしているボランティアの人がいる。
まだ立ち上がれない人だっていると思う。
5ヶ月という月日が残したもの。
その5ヶ月という節目、そして初盆。
その時期に、“祭”という形で関われたことを、
本当に幸せに思う。
あたしの役割の一つは
被災地で子育て中のママさんたちにベビーゲートを届けに行くこと。
そしてもう一つは、
『いのちの灯火プロジェクト』という祭りを作りにいくことでした。
そもそも祭好きなつの☆
“ 祭 ” というのは、ポジティブな要素ばかり集まってできているものだと思っている。
なんでも祭りにすることが好きなあたしの周りには、
結婚式まで祭りにしてしまう人や、
そもそもなんでもありだからこそ、祭りにしてしまう人、
あ、そういえば婚姻届を出しに行くことさえ祭りにしていた人がいた気が。
ん?あれは周りが勝手にやったんだけ?笑
まー結果オーライだよね笑
でもそやって祭りっていうのは、大きさに関係なく
ストレートに活力を生むものだと思う。
それは長年携わったよさこいでも感じてきた。
もちろん作り手ってのは色んな人が集まるほどに
色んな問題が生まれていくものだけど、
それでもやっぱり力をくれる。
作り手も、参加する側も、それを見てる人も、人伝に聞いた人も。
さらに初盆。
鎮魂の儀式。
祭。
あたしにできることが、決まった瞬間でした。
そんなこんなで仙台港に到着。
フェリーから見た仙台港。
津波の爪痕が見え始めました。
そしてカモメ。かっこよかったから撮ってみた。笑
そのカモメの後ろに見えたのは、海に浮いてる船じゃなく、
津波で乗っかってしまったのかな、
大きな船。
こうして始まったあたしの唐桑物語。
また続き、今度書きます。