山口百恵さんが引退直前(1980年9月)に出版された唯一の著書『蒼い時』をつい最近読み終えた。
この本が出版されて41年も経った今、なぜか読んでみようと思ったのだ。
当時、百恵ちゃんは、まだ21歳。
21歳という若さで、人気絶頂の中、愛する人との結婚を決め、そして芸能界引退をも決断した。
そんな彼女の当時の心境について、この自叙伝は、複雑な生い立ち、父親との軋轢、彼(三浦氏)との恋愛、初体験、そして引退などが赤裸々に綴られていた。
読んで驚いた。
21歳とは思えない文章力なのだ。
読み手は引き込まれ、そして色々と考察させられる。
21歳の頃なんて、自分はとんでもなく幼かったはずだ。勿論、彼女とはてんで違う生き方だったし、ただの大学生だ。
おのずと大人と子供程の考えの差にはなってしまうのは必然だが、それを差し引いたとしても、凄い文才だ。
50を超えた今の俺でも、こんな文章は書けない。
いや、もっと言うならば、SNSには自分より年上(60歳以上)の友人も何人かいらっしゃるが、この時の山口百恵の文才を超える人は、俺が読む限りでは一人もいない。
現代でもなんら通用する内容的だし、今の自分にも人生というものに関して、いろいろと考えさせられる事が多々あったのだが、殊更印象に残った部分を以下に抜粋してみよう。
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身近なスタッフの中に、私の引退と同時に自分も現在の場所を去ろうとしている人が、何人かいる。
私のことで、人生にひとつの区切りをつけようと考えてくれている人たちである。
所属プロを含めて多くの人間たちに、私が辞めることによって何らかの影響が生じるであろうことは、“引退”を決心するまでに考え抜いた。
おこがましい言い方かもしれないが、それによって個人個人の生活をも左右してしまうかもしれないのだ。
そんな現実が見えた時、私は悩んだ。
「人に裏切られても、決して自分は人を裏切るまい」
と思い続けて生きてきた私の人生の中で、初めてその言葉を口にすることが辛くなった。
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うーむ。。
どうなのよ? 彼女は自分の事だけでなく、周りの人たちの人生までを考え、悩んでいたのだね。
そして、さらに、以下のように綴っている。
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自分が歩こうとしている道をつき進むということは、ファンやスタッフを無残に裏切ることになってしまうかもしれない。
だからといって愛する人を失うのは、あまりに理不尽なことである。
私は、愛されてきた。
多くの人たちに、見つめられてきた。
愛されると判っていても、それは「多分」でしかない。遠いのだ。
多くの人たちの夢になり、愛され、見つめられてきた女が、自ら愛し、見つめたのは唯ひとりの男だった。
私は、私に向けられた絶大なる愛を裏切ったのだろうか。
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なるほど。深い。そして未だ二十歳過ぎのうら若き乙女が、そこまで思い巡らしていたとは、今更ながら驚く。
もし良かったら、これからの読書の秋に、彼女の著書を(文庫化されていて、今でも手に入るので)読んでみては如何だろうか。
そこら辺のぺーぺーの二十歳過ぎの若者が書いた文章だと思って読むと吃驚する文書力だよ。