<この記事について>
解釈や言い回しはいろいろだと思います。
仏教について語るなんておこがましいのですが、
ワタシ自身が感心したこと、思ったこと、
この先忘れたくないなってことを記事にしてます。
ご承知おきを。
「三毒」って知ってます?
数ある煩悩(=心の迷い、苦の根源)の中で、
人を苦しめる毒薬と言われてるやつ。
なぜ苦しむのか。
煩悩によって真実が見えなくなっているからです。
ものの見方が狂っているからです。
移り変わるものを永遠と信じ、欲を満たすことを幸せと考え、
ありもしない「私」に執着するからです。
http://hasunoha.jp/
hasunohaより
らしい。
ちょっと深すぎて理解しきれない。
以下、<ワタシ的見解>です。
ものの見方が狂う…
真実が見えない故に、本質さえも見えない。
ということは、だ。
自分の身に起こったことの因果がわからない。
自分が原因なのか、はたまた他人が原因なのか…
その「自分の身に起こったこと」が「悪いこと」だった場合、
それ以上に悪い事態を招くこと待ったなし。
変化を受け入れられない故に苦しむ。
自己中ってことやんな?
そこから、いかりに発展したならば…
「ものの見方が狂う」につながるね。
「欲を満たすこと」がしあわせじゃないことはわかる。
これは常日頃感じてる。
ありもしない「私」…
「まずは己を見直せよ」 って話なのか。
その上で、
人と比較するんじゃなく 、
背伸びをしない「私」 、本当の「私」と向き合う。
きっとそこから。
自ずと周りも見えてくる…的な。
そしたら、間違いなく「真実」見れるもんね。
「苦」 になるも 「楽」 になるも、すべて。
己の考え方ひとつ…といったところか。
んで、本題の「三毒」の詳細は以下。
【貪(とん)】
=「貪欲」の略。
むさぼりの心、強欲な心。
必要以上に求める心。我愛。
【瞋(じん)】
=「瞋恚(しんに)」の略。
いかりの心。
自分の心に逆らうものを怒り恨むこと。
【癡/痴(ち)】
=「愚痴」の略。
実体のないものを真実のように思いこむこと。
無知。
(中略)
それにしても、人がみんな自分の思いどおりに動くわけがない。
それに腹を立てて、すぐ喧嘩をするのは、この上もなく愚かなことである。
おしまいは、「愚痴(ぐち)」である。
自分の望みがかなえられない、となると、愚かな喧嘩をはじめる。
それに負けると、こんどは愚痴をいう。
貪欲や愚痴の心で世の中を生きているから、他の人が困ることが分からないのである。
それでいて愚痴をいうから、救われない。
http://dainichiji.jp/
八幡大師 大日寺HPより
よーするに。
貪欲 (貪) であることで、愚痴 (癡/痴) がうまれ、そこには必ず怒り (瞋) があるってことでよろしいでしょうか。
間違ってたらゴメンナサイ。
「負」 の塊ですやん(´・ω・`)トンジンチー
これに囚われるような生き方はもったいない。
さらには、そこからいろいろな煩悩に枝分かれしていくんだとか。
煩悩は108とも無限ともいわれてるみたい。
この話はまた今度機会があれば。
これは実に興味深い(゚∀゚)
気になることがいっぱーい。
まずは「煩悩」を深堀りしたい。
仏教を知れば知るほどイイ人生送れそう。
いい子ぶるわけではないが。
ワタシ、この 「三毒」 をうまくコントロールできてるように思う。
決して、「ない」わけじゃない。人間だもの。
そうしようと思ってしたわけじゃなくて。
今思えば、きっかけは十分あったんだと思う。
コントロールできてることはたぶんいいことなんだろうけど、
あまりにも「負」の感情が表面化しないので。
ワタシは人として無機質すぎるのではないかと思う。
「正」の感情表現はいっちょ前にできるんですがね。
生きてればアップダウンがあって当たり前で。
「ダウン」=「負」 のとき。
特に人間関係がうまくいかない時なんかはさ。
それに対し、感情をもっとオモテに出せた方がー
その時はしんどかったり、周りに迷惑をかけることもあるのかもしれないけど。
うまく乗り越えられれば。
のちのち振り返った時に 『いい思い出』 として笑い合える日が来るのではないかと。
乗り越えるためには、
きっとたくさん考えて、苦労して。
時にはぶつかり合って。
それによって、得るものが絶対あって。
人と人のつながりが一層強くなるのではないかな、と。
それはそれでステキなことじゃない?
正直、うらやましいとさえ思う。
まぁ、何にせよ。
ほどほどにってのは絶対条件だけど。
てか、ワタシはまずその感情がイマイチ湧かないんだから。
オモテに出すとか出さないとかって話じゃないのか。
…それは果たして、幸か不幸か。
こんなだから、
"人間臭さ" に惹かれるし、憧れるんだろうな。
最後ちょっと脱線しました。
ちなみに。
ワタシは無宗教なご都合主義ですので、あしからず。
そして、先日の記事で自分のことを「仏かもしれん」なんて、
それこそおこがましいことを書いたことを恥じるとともに、
ごめんなさい。
仏教の深さに溺れそう。