政治家のトップの方々には論理的な思考能力が足りないように見えます。偉い人の顔色は読めても、データの読み方を知らないんじゃないのと思えてしかたがありません。違っていたらごめんなさい。
理屈だけでは人は動かないし、政治をやっていくこともできないのでしょうけれど、重要な局面で的確な判断を下すには論理的な思考能力が不可欠で、それが欠けていたからこんな有様を招いたのではないでしょうか。専門家が出して来るデータの意味するところをきちんと理解して、正しい判断をしてほしいと思います。
情報を発信する職業の方々もね。
「若い人たちに響いていないから更に強いメッセージが必要」とか、政府のやり方を他人事のように批判していた人もいましたが、ご自分では発信なさらないのでしょうか。知名度も影響力もある立場におられるのに。こんな有様になってから騒ぎ立てることじたい、報道する側としていかがなものかと。気温や湿度が高かった時期にできたことあったでしょうに。たくさんの人々が移動する前にも、できたことあったでしょうに。政策を批判するごとに己の無能さを曝け出しているように見えます。違っていたらごめんなさい。
式典の中止や延期をする地区もある中で、感染症対策をしたうえでの実施でした。主催する方々は、従来のやり方が通用しない中で葛藤しながらの運営であったことと思います。実施しても批判され、おそらく中止や延期をしても批判され、特に責任者の方は胃が痛い思いをされたのではないかと推察いたします。
マスク着用と健康チェックシートの提出の義務づけ、入口での検温、式典時間の大幅短縮(なんと!たったの20分!!)、ソーシャルディスタンス確保のため家族などの入室禁止(昨年までは新成人が会場の前方に、空いた後方に家族親戚の方々がカメラを構えて密集)、恩師の先生方との懇談会中止などの対策を行っての開催でした。
新成人の皆さんも、簡素化されて寂しかったかもしれませんが、主旨をよく理解してルールを守っていました。
ただ、やはり去り難かったようで、会場から出てくるとみんなで外で話し込んだりグループで写真を撮ったりしていました。写真を撮るときだけマスクを外して、シャッターが降りるとまたマスクを付けて、かれこれ1時間くらい誰も帰ろうとしませんでした。外だから換気の心配もいらないし、そのくらいいいよね。
誰が誰だかわからないくらいみんな立派になって、しかもマスクしてるから更にわからなくて。でも、マスクを外して笑うと「ああ!○○ちゃんだ」
気温は低めでしたが、成人式には珍しい(?)穏やかなよく晴れた日で、新成人の皆さんへのご褒美のようでした。そういえば小学校や中学校の卒業式も穏やかな晴天に恵まれて、みんななかなか帰ろうとしなかったっけ。あの時願った皆さんの成長と幸せ、叶っているように思います。それぞれに大変なことも抱えているでしょうけど、今回の式典を原動力に、また前に進んでほしいと切に願います。
多くの方々がそうであったように、コロナに影響された1年でした。
仕事は遠隔になり、家にこもりディスプレイとにらめっこの時間がふえ、視力が落ちました。遠隔になったぶん資料を充実させなくてはいけないので、対面の何倍も時間をとられたからです。それはそれで楽しかったけど、不健康ではありました。また、常時拘束されているような閉塞感もありました。勤務時間に関係なく来る問い合わせに対し、早く返さなきゃというプレッシャーによるものと、自己分析しています。
「おうち時間」ということばにはとても違和感を覚え、耳にするたびにイラッとしました。暇じゃないんだよこっちは。
メディアによる「遠隔 = 怠慢」みたいな取り上げ方にも違和感を覚えました。トークという得意技を封印した状態で勝負するためにどれほどの時間と労力を注ぎ込んでいることか。実態をちゃんと調べろ。遠隔で満足度が上がったというアンケート結果もあると報道してくださった某局には拍手を送りました。
じゃあ、わざわざ一堂に会して対面でやる意義って何だろうと考えさせられた1年でもありました。遠隔(オンデマンド)が適しているものって確かにあります。逆に、対面ならではのものもあるのでよくよく見極めたうえで、コロナが終息したら、両方をうまく使い分け、両方とも活用しながらやっていきたいものです。
そうそう、現場を知らない偉い人たちの「説明不足」という指摘にも違和感を覚えました。的外れにしか思えず、だったら来年度1年間の感染状況を正確に「説明」しろや、と思いました。こっちは1年以上前から計画を立ててシラバスを作っています。的外れな結論を出してしまうのは、最初に「遠隔 = 怠慢」という思い込みありきで、それを裏づけるようなデータや不満の声だけを拾った、あるいはそれしか目に入らなくなったのではないかな?そういうのを「偏見」と言ったりしないかな?もしそうだとしたら、指導的役割を果たす人たちがそんなことで大丈夫かな?
2020年はまた、節目の年でもありました。
たとえば、電子レンジやアイロンなど、毎日お世話になっている家電がお亡くなりになり、買い替えました。自転車も買い替えました。ひとつがシャットダウンすると伝染するかのように次々と。また、長年使っていた鞄もお亡くなりになりました。頑丈で大容量で使い勝手がよいからと、ついついずっしり重くなるまで詰め込んで、ずいぶんと連れ回したものです。かれこれ12〜13年連れ回しましたらさすがに疲弊したようで、ある朝出かける直前に取っ手がぷちっと・・・長年のお勤めご苦労様でした。合掌。家を出る前でよかった。
そして、「ハイキュー‼︎」が完結したことは、私にとっては事件でした。コンビニで雑誌の表紙を見て知った時は本当に、「ひとつの時代が終わった」と感じました。私はその雑誌を購読しておらず(スラムダンクなどの頃はリアルタイムで読んでいましたが)、最終話は数ヶ月の遅延の後に単行本で読み、そこで再び、ああ終わったんだと思いました。アニメでハイキュー‼︎を知り、娘と一緒に見て笑い、夫が買ってくる単行本でまた盛り上がり、むずかしいお年頃の娘との間のかけ橋にもなってくれた漫画でした。たとえば高校の説明会で、校訓が「自主・協調」「知性・教養」「誠実・剛健」と説明されたとき、私が「これって上善寺だね」とボケたら娘が「質実剛健だよ」とツッこむ。いかにしてツッこませるか、さじ加減がむずかしいのですが、ハイキュー‼︎をネタにするとちょうどよく、幾度となく助けられました。ありがとう。完結してもずっと心に留めておきます。筋トレ時には「本当に楽しむには強さが要る」を念頭に。北朝鮮が「我が国にはコロナ患者はひとりもいない。」と主張するたびに「鼻血出してる飛雄か!」とツッこみ。はい、生活の一部です。ちなみに、アニメのほうはゴミ捨て場の決戦の手前までで To The Top が終了し、ここでも少々ロスに。でも続編が楽しみです。どんな結末かはすでに知っていますが、それでもアニメで見たい。最終話までをアニメで見終えた時にまた「ひとつの時代が終わった」と感じるんだろう、きっと。
そんなこんなで節目の年を経て、来年はまた前へ進む。
カプセルだけ届けて自分は大気圏で燃え尽きるんだよなぁ・・・
けなげすぎるよ、はやぶさ2。
そして、人づかい荒いよJAXA(人じゃないけど、感情移入がどうにも止まらない)。
20年後か多分もっと先、君が帰る頃には、先日君が持ち帰ったサンプルのおかげで助かった、幸せになったという人がたくさんいるような世の中になっていることを願う。
ボーンという音がしますが、あれって機械体操の床の時の音に似ている。選手が床を蹴ってジャンプしたり、4回捻って着地したりした時の。(4回じゃなくてもいいけど。)
今日久しぶりに体操競技を見て、そう思いました。
こんな状況の中で国際大会を開催するのは、さぞかし大変だったでしょう。
ジャンプっぽい大会名は、私が言葉にするのはちょい気恥ずかしいけど、大会に関わった方々の思いを端的に表しているのだろうと推察しつつ、余韻を噛みしめています。


