多くの方々がそうであったように、コロナに影響された1年でした。
仕事は遠隔になり、家にこもりディスプレイとにらめっこの時間がふえ、視力が落ちました。遠隔になったぶん資料を充実させなくてはいけないので、対面の何倍も時間をとられたからです。それはそれで楽しかったけど、不健康ではありました。また、常時拘束されているような閉塞感もありました。勤務時間に関係なく来る問い合わせに対し、早く返さなきゃというプレッシャーによるものと、自己分析しています。
「おうち時間」ということばにはとても違和感を覚え、耳にするたびにイラッとしました。暇じゃないんだよこっちは。
メディアによる「遠隔 = 怠慢」みたいな取り上げ方にも違和感を覚えました。トークという得意技を封印した状態で勝負するためにどれほどの時間と労力を注ぎ込んでいることか。実態をちゃんと調べろ。遠隔で満足度が上がったというアンケート結果もあると報道してくださった某局には拍手を送りました。
じゃあ、わざわざ一堂に会して対面でやる意義って何だろうと考えさせられた1年でもありました。遠隔(オンデマンド)が適しているものって確かにあります。逆に、対面ならではのものもあるのでよくよく見極めたうえで、コロナが終息したら、両方をうまく使い分け、両方とも活用しながらやっていきたいものです。
そうそう、現場を知らない偉い人たちの「説明不足」という指摘にも違和感を覚えました。的外れにしか思えず、だったら来年度1年間の感染状況を正確に「説明」しろや、と思いました。こっちは1年以上前から計画を立ててシラバスを作っています。的外れな結論を出してしまうのは、最初に「遠隔 = 怠慢」という思い込みありきで、それを裏づけるようなデータや不満の声だけを拾った、あるいはそれしか目に入らなくなったのではないかな?そういうのを「偏見」と言ったりしないかな?もしそうだとしたら、指導的役割を果たす人たちがそんなことで大丈夫かな?

2020年はまた、節目の年でもありました。

たとえば、電子レンジやアイロンなど、毎日お世話になっている家電がお亡くなりになり、買い替えました。自転車も買い替えました。ひとつがシャットダウンすると伝染するかのように次々と。また、長年使っていた鞄もお亡くなりになりました。頑丈で大容量で使い勝手がよいからと、ついついずっしり重くなるまで詰め込んで、ずいぶんと連れ回したものです。かれこれ12〜13年連れ回しましたらさすがに疲弊したようで、ある朝出かける直前に取っ手がぷちっと・・・長年のお勤めご苦労様でした。合掌。家を出る前でよかった。
そして、「ハイキュー‼︎」が完結したことは、私にとっては事件でした。コンビニで雑誌の表紙を見て知った時は本当に、「ひとつの時代が終わった」と感じました。私はその雑誌を購読しておらず(スラムダンクなどの頃はリアルタイムで読んでいましたが)、最終話は数ヶ月の遅延の後に単行本で読み、そこで再び、ああ終わったんだと思いました。アニメでハイキュー‼︎を知り、娘と一緒に見て笑い、夫が買ってくる単行本でまた盛り上がり、むずかしいお年頃の娘との間のかけ橋にもなってくれた漫画でした。たとえば高校の説明会で、校訓が「自主・協調」「知性・教養」「誠実・剛健」と説明されたとき、私が「これって上善寺だね」とボケたら娘が「質実剛健だよ」とツッこむ。いかにしてツッこませるか、さじ加減がむずかしいのですが、ハイキュー‼︎をネタにするとちょうどよく、幾度となく助けられました。ありがとう。完結してもずっと心に留めておきます。筋トレ時には「本当に楽しむには強さが要る」を念頭に。北朝鮮が「我が国にはコロナ患者はひとりもいない。」と主張するたびに「鼻血出してる飛雄か!」とツッこみ。はい、生活の一部です。ちなみに、アニメのほうはゴミ捨て場の決戦の手前までで To The Top が終了し、ここでも少々ロスに。でも続編が楽しみです。どんな結末かはすでに知っていますが、それでもアニメで見たい。最終話までをアニメで見終えた時にまた「ひとつの時代が終わった」と感じるんだろう、きっと。

そんなこんなで節目の年を経て、来年はまた前へ進む。