毎日を生きる | small planet

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日々の散文。
もしくは 独り言。

古くからの友人の病気が再発した。

「脳幹海綿状血管腫」といって血管に瘤みたいなものが生じその中で出血してしまうらしく、これらは悪性新生物のような「腫瘍」とは違うものだ。

そのため様々な症状が出るのだが、友人の場合、左耳が聞こえなくなってしまった。丁度2年ほど前に手術をした。一度治療をしたら再発の確率は低いものらしいが、彼の場合はもれなく嬉しくない当たりを引いてしまったようだ。

今度の手術は前回よりも大がかりな事らしく、術後に麻痺が残ることも考えられるという。

仕事が生きがいの彼の心を想うと私は遣り切れない気持ちになった。

ご両親の気持ちを考えたら悲しくなってしまった。


彼には、弟と妹がいるのだが、数年前バイク事故で弟を亡くした。


私たちは、小さな町の地元の同級生なので小さいころから同級生仲間は、その兄弟も両親も含めてみんななじみの関係がある。


彼は明るくて気立てがいい。ホンダのメカニックを生業とする彼は、一度も仕事上の約束を忘れたことがないし、120%の親切で私たちを喜ばせてくれた。

いつでも『まごころ』がある。

そんな彼は、見た目にはわからないが相当なショックを隠しているようにみえた。もしも仕事に復帰できなかったら・・・。

言葉の端々にその気持ちが伺えた。

私はすぐに、この病気について学ぼうと思った。そんなことをしたって

彼の病気が完治するわけではないのだが、何もわからずにただ励ますだけなんて私はしたくない。せめて彼が抱える不安と自分も向き合いたいと思った。


そんなことを考えながら一日を過ごしていたところ連れ合いのお婆ちゃんが倒れたという連絡が入った。

腎臓と肝臓に何らかの病変がおこり絶食を言い渡されたお婆ちゃんは、これ以上できることはなくきわめて「死」を意識しなくてはならない状態に陥っていた。

私にとっては、まだあったことのない人であった。

すぐに見舞いにゆき「はじめまして」とあいさつをした。

もちろん返事はない。

お婆ちゃんの呼吸は安定しており、「今日か明日」と言われた状態だったが何とも言えない様子に思えた。周りには義父や叔母さんが付き添ってはいたがみんな見守るのみである。


色白の恰幅のいいきれいなお婆ちゃんの点滴の数量と排泄状態、呼吸法と体の色をすぐに確認した。

それは、いままでお見送りさせていただいた方たちから教わったことだ。

時間の経過と体位交換の度にお婆ちゃんは変化をみせた。

私はお嫁にきたばかりの人間だから、いきなりその経過を新しい家族には言えなかった。今夜は一度帰りますという家族たちに、今帰ったら後悔するかもしれないとは、どうしても言えなかった。

連れ合いが病院に一人で付き添うというので、どこに注意を払えばいいかを伝えた。

徐々に容体が変わる場合の様子と、一気に変わる場合の様子を説明して私だけ帰宅した。


数時間後、息を引き取ったという連絡が入った。

『教えてもらった通りになったよ」と言われた。



毎日、「生きていくこと」の意味を考える。


時々、「死ぬこと」の意味を考える。


それにはたぶん答えはないから、私は私である以上永遠に果てしなくこのことを考え続けるのだろうと思う。


友人の「生きる」を支えたいと感じることと、ホームの人たちの「生きる」を支えたいと感じる想いの大きさはさして変わりがない。

その理由は、「どちらも私が出会った人たち」だからである。


そして、いつも感じるのは一つ。


誰かの「生死」は誰かに受け継がれていくことなのだということ。


その先の人生において言葉を発することが上手にできないかもしれないと診断されて生まれてきた私は、今やお喋りで誰とでも楽しく話すことができるようになった。

話せる事の幸福をどこかに還元しよう。

話せない私に朝から晩まで話しかけてくれた母に感謝をしながら、

出会った人たちの「毎日を生きる」を語りたいとおもう。


誰かの一部になり、誰かが私の一部になる。


友人の存在も、お婆ちゃんの存在も私の一部になった。


私は、心を循環しながら生きる。