”誰がミュージカル舞台上のキムジュンスを非難するのだろうか” | ♡♥ABSOLUTELY JYJ♥♡

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私はいつからか若干の見栄と若干の警戒心が適切に混じったこの単語を使わなくなった。

もちろん単語自体が悪いとも、単語に属する人たちが悪いというのも決して私が意味してる
事ではないのを分かって欲しい。

ただ私はその単語を好まないだけだ。しかしこの記事を書くに当たってこの単語がどうしても
必要だと思い、勇気をだして書いてみようと決心した。

そう、私はいわゆる「ミュージカルマニア(韓国語スラングでミュドック뮤덕と言います)」だ。
“あのお姉ちゃん達はどうしてああいう風に踊りながら歌っているの?”という質問をするほど、
幼くてミュージカルに対する理解すらなかった年頃から私は母の手に引っ張られ
数多くのミュージカルを観て来た。

母は「文化」界の有名人だったし、「文化」を好きで愛していた。私に文化を譲り渡そうと頑張っていたし、
私は母を愛するぐらいに多くの文化コンテンツを愛するようになった。 

勿論母がみせてくれたのはミュージカルだけではなかった。バレエ、オペラ、演奏会に人形劇まで。 
幼い頃はバレエが一番好きでよくバレエを観に行っていたのだが、観る事から始まり「やる事」にまで
至ったバレエが私に「超硬い女!」という汚名を残して以来傷ついたのか、
心の隅、「憧れていたもの」の場所に押し入れ顔を背けた今に至る事になった。

母はいつもおこずかいは少なくても観たい公演は好きなだけ観れるようにして下さった。実際本当に
幼い頃から一番神席である3~4番列の中央の席のみで公演を観て来てるんだから、
それなりに高飛車でもおかしくなかった。

どう見てもティーンよりも「子供」に近かった私が公演会場に登場する度、周囲の観客たちは
「超警戒モード」になり、私を見たりしていた。 だけど私は集中する事ができる子供だったし、
世の中で人様に迷惑かけるのが死ぬほど嫌だったませた子供だった。

2、3時間を越えるランニングタイムの間、私は大きく息を吸う事もなく、体を一度よじる事なく
バレエを通して気付かされた私の短所である「超硬い」事をけっこういい特技へと変える事に成功した。 
まぁとにかく、私はそのように大人になり「ミュージカルオタク」として育てられた。
あ・・・ミュージカルマニア(ミュドック)という単語が鳥肌が立つほど慣れない。

高校からは母が経済的自立心を育みなさいという事で文化公演生活にしてくれていた金銭的支援を
切ったのだが、私はその頃やっと自分はもう「育てられたミュージカルマニア」ではない
「自発的なミュージカルマニア」になる宿命で生まれたという深奥な悟りを得て1歳からもらって来た
お年玉からおこずかいが入っていた貯金をおろし公演を観に行く事にまでなった。
本格的に私のへそくりでマニア人生を歩き始めた頃が高校1年生だったのかな。

時間は過ぎて私は私なりのミュージカルに対する経験と、これからするであろう経験をあまりにも
愛したばかりに他の事に対する警戒心まで育て始めた世間知らずの幼い少女だった。 
ほら、ロックマニアはアイドルをバカにし、クラシックマニアは大衆歌謡をバカにするように。
そんな中、私にとってはかなり大きな事件が起きた。
それは正しく突然すぎた「シアジュンスのミュージカル出演」ニュースだった。

実はわたしはシアジュンスが本当に嫌いだった。 一時期ミュージカルよりもロックを好きだった頃の
子供じみた逸話なんだけど、私が好きだった海外バンドの来韓公演とシアジュンスが属してた
某グループのコンサートチケッティングが1時間の間をおき始まった時があった。
全くもってその「某グループ」に興味がない私でもチケッティングサイトのサーバー状態を心配するほど
「某グループ」の人気は凄まじかったし当然ファンダムもまたとてつもなく大きかった。そして問題の
発端はその激しい「某グループ」のチケッティングの前にあった私が好きだった海外バンドの
公演チケッティングを「某グループ」のファン達がなんと「チケッティング練習」を
しようと決めた事から始まった。

チケッティングのメカニズムとはこうだ。主に定刻になる次第オープンされるサイトに入り素早く席を
先占して決済段階に行くのだけど、普通はその決済段階ですぐに入金する人は「カード決済」を、
そうでない人は「無通帳入金」を選択する事になる。「無通帳入金」の入金期限はとても
ありがたい事に普通1日から2日ぐらいになるんだけど、簡単に言えばそのチケットを無通帳入金決済で
選択し「リザーブしているだけ」の状況になれば、熱々の新しいチケットのはずのチケットは
3日が過ぎてやっと熱の冷めてしまった販売台に上がる事ができるのだ。そして決済段階で
キャンセルさえしてくれてたのならそこで終わっていたはずの問題が、彼女達が「無通帳入金」を
して完全にチケットを販売台からおろした事に慌てた「我らファン達」の憤怒に繋がる結果になってしまった。

結局は私が好きだったバンドのファン含め「ロックマニア」という名の下、一つに団結した他の
ファンまでが集まり私たちは団体行動をするまでになった。当時の私はとても若く幼稚な少女だったため
とても熱心に「某グループファンダムの謝りを促す!」という目標で団結した団体コミュニティーの
活動時間を勉強時間よりも費やしていたくらいだ。まぁ、結局知る人ぞ知るハプニングとして
終わったのだが当時私たちファンにはとても大きい事件だった。その事により結局売り切れず残った
チケットがとても多かったから。いや、もっと正直に言えばそんな事があったからと言ってチケットが
売れないというのはそれほど説得力のある理由ではないし、ただ私が好きだったバンドの人気が
国内ではさほどなかったという事を否定したかっただけなのかも知れない。そしてあの頃の
「ロックマニア」なら全員が一つレベル下に見ていた「アイドルマニア」の火力(パワー)が
あれほどに強いという事を認めたくなかっただけかも知れない。

何であれ、私とシアジュンスの間にはこのように冗長で悲劇的な、残酷な過去があった。残念な事にも
彼がミュージカルに出演するというニュースがあったその年にも私は相変わらず少女だったし、
若くて、何よりも悲劇的に何かの「マニア」だった。基本的に「マニア」というセクションに分類されると
暫定的な排他する心がむずむずと育つようだ。私は「誇らしい私達ミュドック【コミュニティー(笑)】の
違うジャンル排他」を真似し始めたし、「他のジャンル出身排他」を学び、それはずばりまだ
蓋すら開けてないシアジュンス避難に繋がった。

もちろん今じゃもう私に「あの人たち」になった大概のミュドックたちが何の根拠もなくシアジュンスを
嫌ってたのではない。その前のケースを見てみると時折「自分の分野で失敗した人たち」が主に
ミュージカル界を訪れたりしていたんだけど、そんな人達の中で多くが当たり前のように失敗の順序を
踏みその上“ミュージカルは失敗した芸能人たちの敗者復活戦舞台”という汚名まで残して忽然と
消え去ったからだ。 そのように軽い気持ちでミュージカル舞台を訪れた大概の「失敗した芸能人」たちは
一体どうして彼らを起用して劇を駄目にしてしまったのかキャスティング担当者に尋ねたいほどに実力が
伴っていなくて、回を重ねてもちっとも良くならないディクッションと歌、演技を見せるほどに意志さえ
窺えず、結局は多くの人々の冷やかしを耐えられずたった一度の挑戦とたった一度の失敗をおかしては
再びここからも逃げて行くほどに情熱までもがなかった。

このような様々な状況が重なり「ロックマニア」であり「ミュドック」だった私は当然のように、ごく自然に
シアジュンスを心から押し出す準備をしていた。あえて堂々と嫌いな事を表に出さなくても、当時まわりの
いわば「マグル達」(マグルという単語は主に自分が属しているファンダム以外の人々を指す。聞こえが
多少否定的に聞えるかも知れないが、とても一般的に使われる単語で、例えば映画マニア達の間では
映画を楽しまない人々がマグルで、コーヒーマニアにとってはコーヒーを好きじゃない一般の人を
マグルと呼ぶ)が私にシアジュンスのミュージカルニュースを聞き、関連情報や疑問点を聞いてくる事が
あれば「興味ない」という言葉と本当に興味がないという(作った)表情をしては「なんとなく
シアジュンスのおかげでミュージカルに関心が出てきた子達」に私がシアジュンスに対して
好意的じゃない事をアピールしたりする事はあったかな。

しかし、果たして本当に関心がなかったかと言うと、どうだろ。正直あれほどのスーパースターが
ミュージカル界に、それも人気がなくなった訳でもなく、認知度が低いわけでもない、それこそ
当時最もホットなスターがミュージカル界に足を踏み入れたという事に対する疑念と好奇心がある程度
芽生え始めていた。ミュージカル界を辱めるつもりじゃなくて、その当時だけでも実際に 本当に
人気がある芸能人はあまりミュージカル界に登場したりする事はなかったから。
だからミュージカル界にはもっと専門的な「ミュージカル俳優」が多かったし、実際にある程度大きい
公演と良い公演にはけっこう人が集まるぐらい、一般人は良く知らないだろうけど、素晴らしい
ミュージカル俳優の数は思ってるよりも結構多かった。

私はシアジュンスの初めてのミュージカルだった「モーツァルト」の主演としてキャスティングされた
4人の俳優の一人の熱烈なファンだった。柔らかい中にも芯のある声に、若き頃の特技が
早口言葉ではなかったんだろうかと思うほどの正確なディクション。端整な外見に、純朴な笑顔まで
好きになれる要素をけっこう持っていた俳優だったし、今はよく思い出せないけどあの当時で比喩すれば
ミュージカル界のカン・ドンウォンぐらいにはなれたんじゃないかな。(実際ルックスではカン・ドンウォンに
もっと似ている俳優がいるのだが、いざ例えようとすればこれって人が浮かばない。それほどに
外見、実力、ファンダムまで3拍子揃った俳優だったという意味で取ってくれたらいい)私はその
俳優を観るために毎日のように公演会場を行き通い、自然と他の俳優達の「モーツァルト」も少なくても
一回ぐらいは観劇する機会があった。もちろん、シアジュンスは除外で。

実際、当時を思い出してみればシアジュンスのミュージカルは「観たい」と言って観れる劇ではなかった。
けっこう長い間シアジュンスのファンで、いわば「チケッティングの神」と呼ばれるほどの私の知り合いが
毎回チケッティングで失敗しては、知り合いの知り合いの知り合いに譲ってもらった2階の端っこの席を
感謝するほどだったから。だから私はシアジュンスを簡単に観る事も、観ようとも思わなかった。 
そんな中、明らかに違う反応が出始めた。私が本当に好きだったミュージカル界の名俳優たち、
何人かがシアジュンスを褒め、いや、単純に褒めるとかじゃなくて絶賛し始めたのだ。
それとは反対に私が属していたミュージカルファンダム内ではほとんど観る価値もないというような
酷評が続いていた。もちろん、その頃から好奇心がだんだんと大きくなって来ていた私の質問に
答えてくれる人など誰もいなかったけど。あ、私の質問は原初的だった。
“チケットってどうやって手に入れました?” 
空気を読めてない私がこんな可愛い質問をあっちこっちでしていると(本気で気になり出していた。
一回ぐらいは観てみたいと思い始めていたから)もちろん私一人だけの影響ではないだろうけど、
彼の公演についたレポの文頭は「私が観て来たんだけど~」から「私の友達が観たらしいんだけど~」
に変わる様相を見せ始めていた。

彼女らが実際にチケットを手に入れて観たのか、風の噂で聞いたのか関係なく、日に日に
私の好奇心は大きくなり、しまいには母をねだりチケットをもらう事にまで至った。いつもどんな
手段や方法でもあっちこっちからいい席のチケットを手に入れる私を見ていた母は「あなたが手に
入れられないチケットもあるの・・・」なんて言いながら、ただ軽い気持ちで一回ぐらい観たかった
私の気持ちとは相反して、あの頃の雰囲気からするとかなり凄い席をもらってくれた。
確かセジョンの3列目中央辺だったんだけど、実際セジョンは会場がとても大きいし、舞台との
距離も結構遠くてこの席もそこまで良く見える席ではなかったのに、似たような席がネットでは
数百万ウォンで闇取引されるのをみればとても凄い席だったんだと思う。

私が観て来たシアジュンスは、うん。 始めた頃の公演じゃなくてなのか、あの日のコンディションが
ひときわ良くなかったのか、声の状態がそれこそ最悪だった。大して意味もなく難しくもない短い
セリフを言うだけで、聞く側の方がドキドキしちゃうほど不安な、一言で単純に「かすれた」声だった。
それが私の初印象だった。だけど公演時間が過ぎるほど肝心なシアジュンス本人は声を大切に
する事も、心配する事も、不安がる事もなく演技をしていたな。正直私はシアジュンスの「演技」を
かなり心配していたのだけど、どうだろ。個人的な意見だけど初演のどのモーツァルトよりも
シアジュンスが最もモーツァルトらしかったと言える。
本当に、正直に。

公演を観ながらうろたえたのはほぼ初めての事じゃないかと思う。ミュージカル「モーツァルト」は
多少軽くて陽気なナンバーで成り立つ劇の序盤から始まり後半になるにつれどんどん重くなる。
主演男優のワントップのミュージカルであり、ソングスルーではないけれどソングスルーに近くて
ナンバーも多く、そのナンバーの一つ一つが複雑な同時にとても聴きやすい音楽で構成されている。
だけど既に何度もモーツァルトを観劇していたから、シアジュンスのモーツァルトに出会った私には、
今まで私が聴いてきたモーツァルトのナンバーの「聴きやすい音楽」とは全く違う彼の
歌は戸惑いと軽い衝撃を与えてくれた。 気持ちよくあがる怖いぐらいの高音が好きで、私の
お気に入りだった曲はシアジュンスの舞台ではひたすら「泣き叫び」に近かった。それは全然
さっぱりとした安定的な曲ではなくて、解釈によって違うのだろうけど、私はシアジュンスの公演を
観て初めて「あ、私が観たのはモーツァルトだったんだ」と思い始めるほどになっていた。
勿論他の俳優もとても素晴らしくて完璧だったけれど、彼らのモーツァルトから私が得た感情の中に
「感動」はあっても「悲しみ」はなかったという事が違う点だと言えるだろう。逆にシアジュンスの
モーツァルトでは「感動」などは取り扱いされないような感情のようだった。彼のモーツァルトは
居心地悪く、わだかまりがあり、寒気がして、モーツァルトらしかった。 その当時、個人的に
つらい事があったのだが、他の俳優の公演では鳥肌立つ歌の実力に感動して心を癒されて
来たとすれば、シアジュンスのモーツァルトでは全く自分の状況と関係のない人物の話なのにも
かかわらずその凄絶な泣き声と一緒に泣くしか出来なくて、それは治癒と言うよりも
解消に近かったんだろうと思う。

私は疑問を持ち始めた。どうしてあんなにもひどく泣いてしまったのだろうか、について。あっちこっち
探してみると彼は感受性がとても鋭敏みたいで、彼の個人的な状況とモーツァルトの話が重なって
観てる人さえも悲しくなってしまうほどにその役柄に入るしかない状況だったみたいだ。とにかく私は
今までした事のない経験にやや慌てていたし、直ちに心からシアジュンスのモーツァルトを好きに
なっていた。結局チケッティング戦争に負けて2度と初演を観る事は出来なかったけど。

私の個人的な感想評とはまるで反してミュージカルファン達の間で彼の公演に対する評は一向に良く
ならない状況だった。とにかく私も初めて経験した種類の公演だったし、感想というものは当然、
お互いが置かれた状況や背景によって違うしかないから、他人の意見に反対するつもりは絶対に
なかった。それに、当時には反対できるほどファンダム内の反応が余裕がある方ではなかったから。
当時公演が行われたセジョンは規模がとても大きくて来韓公演でもない国内初演のミュージカルで
チケットを売り切る事はほぼ不可能に近かった。公演会場自体が劣悪な方で後の席はどんなに安くても
売れない席だったし、当時のチケット価額も国内ミュージカルにしては高い方だったから。そのような
状況の中でも結局シアジュンスのモーツァルトは全回、全席売り切れで、韓国のミュージカルチケット
販売歴史上それこそ衝撃的すぎる結果を残しつつ幕を閉じた。そして当時は彼を見る視線が本当に
良くなかったから、そんな状況までもが否定的に見られがちだった。

そして私がこんなにも冗長かつまとまりのない文を書く事になった理由も正にここにある。モーツァルトを
経て天国の涙、エリザベートに至るまでのかなり正直な歩みの中で彼は有り得ないぐらい保守的な
ミュージカル界の各種古株ファンの考えを変えたし、それなりに愛される俳優になったし、製作側からは
福を招く者として、多くの評論家には「必ず観たい俳優」になりモーツァルト初演当時の状況を振り返って
みると本当に奇跡に間違いない説得をして来た。

主演女優ワントップミュージカル「エリザベート」の初演当時、キムソンヨン女優の熱烈なファンだった
私の数十回に及ぶ観劇の中の80%以上が「キムジュンストート」だったのだから、私も気付かない内に
私にとってもかなり信じて観る俳優になったと言えるだろう。(参考として私はエリザベートトートの
トリプルキャストの一人の俳優のファンでもある)ミュージカルファンダムの中でも「エリザベート」を基点に
彼に対する評価かかなり肯定的に、しまいには好意的に変わる様相を見せた。だけどここで私が疑問を
持つようになった部分は、未だに各種「雑な主題を語り合うコミュニティー」では「ミュージカル」と
「シアジュンス」という二つのキーワードが会って出てくる反応はかなり否定的という部分だ。
少し前にもミュージカル関連情報を探していて自らミュージカルファンと称するある人が、「今年は
ミュージカル界でシアジュンス見なくてもいいから嬉しい」「シアジュンスこれからもやらないといいな」と
いった雰囲気の文を書いていたのを偶然見たのだけれど、その人はなんとシアジュンスの公演を
たったの一度も観た事もない人だった。その時おせっかいにもこんな事を思ってしまったのだ。
“一体どうして?”

もちろんシアジュンスを嫌いな事には問題がない。当然私もそれに対してどうして?と考えたりしない。
だけど、どうして何人かはあれほどにもシアジュンスを熱心に、精を尽くしてまで下げようと血眼になるの
だろうか。ただ単に自分の好みと距離がある俳優なら観なければ済む事を、どうしてあれほどに
沢山の人を「あの子大した事ないよ」と説得しようと努力するのだろう。(少し省略)

 

 

私は私と考えが違う人たちを説得するつもりもそんな技もない。ただなんだかんだ彼が私にとって
「信用して観る俳優」の中の一人になったという事に対する色々な背景とエピソードを丹念に
説明する事で少なくても初めてミュージカルに興味を持ち入門しようとする人たちの「でもミュージカル
ファンはシアジュンスの公演は観ないらしいよ」という偏見を崩したいだけなのだ。少なくても
私は一番つらかった頃に彼に慰められたから。自分がよく知らない分野に好奇心を抱いた時、その
分野をよく知り好きな人の意見の場合、特にそれが否定的な意見の場合それがとても大きな作用を
する事を知っているからこそ、ただ可能な限り、一つの出会いを早とちりと根拠のない批判で失う事が
ない事を願うだけなのだ。実際モーツァルトの初演の時「大した事ないんじゃない?」と言った私の
一言で他のキャストの公演を観た友達が、再演を観てから私を揺らしながら「ね!ちょーいいじゃん!」
と言った事を思い出す。彼女もまた私と同じような状況でつらい想いをしていた子なんだけど、
その友達がもっと早く勇気を出せて慰められたかも知れないチャンスをまるで私が奪ってしまったのでは
ないかとなんとなく悪く思ってしまった記憶。その記憶が本質的にこの文を書き始めた理由だ。
彼の公演や彼の演技を好きになれ、もしくは嫌いになれと強要するつもりでも説得するつもりでもない、
ただ偏見と偏見に囚われた者たちの「巷の噂」のようなあきれる、勿論わたしが犯したような
同じ過ちと似た種類の、批判に流されて思ったよりけっこう宜しい、いや、私が今まで会って
来た中で最も強烈な印象を残した俳優に接する機会を失わないで欲しいという願いがあるのだ。
もちろんその機会は有り得ないほどの数と火力を持ったファンダムの恐ろしいチケッティングの
実力により失う可能性がとても濃厚だという事実に挫折する事になるだろうけど。
 

 

 


 

 

 

 


 

 

 

 

 

 




ちょうどこの前の記事に、うるうるしながら書きました・・・という事を言いましたが、

今回の記事・・・

なぜだか知らないけど、

きっと天気のせいかも(こっちは雨日和)、

ヨジャDayでセンチメンタルな感情のせいかも、

と察しながらも

どうしてか感情のジェットコースターに思いっきり乗せられてしまい

号泣に近い泣き声をあげながら訳しました。

恋愛なんて長い間していない私が←

いつだってここまで泣いてしまう原因は

いつだって

どんな時もジュンス絡みです。

ええ、

残念で情けないかも知れないけど

私のハートの中の感性がまだ生きていると知らせてくれる

甘い涙の雨を連れてくるのはいつだってジュンスです。

ミュペン記事でも短く簡略に説明はしていますが、

この方のブログでミュペン心理の背景はもっと伝わるのではないかと思います。

ジュンスに堕ちた頃はちょうど訴訟で騒がしかった頃でしたが、

その頃の私は訴訟の真剣さがそこまで伝わっていない新米ペンでしたし、

なんせ東方シンキ5人にめちゃくちゃはまっていて、モーツァルトを始めているジュンスよりも

過去の㌧関連ブログや資料をあさるだけでも24時間が足りないほどでした。

ツイッターもブログも始めてない頃・・・

その後、過去を勉強して彼らの現実と自分なり向かい合い、複雑で混乱な時期を消化して

デマ、噂から離れて行く日本ペンを留める事ができるなら・・・・・と、

自分の愛情を叫ぶほかにできる事をブログやツイッターでやろうと思い立ってから

今になりますが・・・

あの混乱の渦巻きの中でもやもやしていた自分の気持ちと

今の気持ち。

大分違います。

ただ好き、可愛い、好き・・・

そんな気持ちよりも信用・信頼、好きという感情よりも愛おしさ、

金銭的に、現実的に応援する・・・といった事よりも

心から、心の奥から

本当に尊敬して、愛してやまない・・・目に見えないけどそこにいつだって感じれる、

彼の歌声と歩みと彼が発する柔らかくて優しいエネルギーに

寄り添ってるからこそ感じれる心の中の平穏、

嬉しさ、

誇らしさ、

そしてなによりも前向きな生き方、

をジュンスを応援しながらごく自然に感じれるようになったのが違いかなと思います。

私が勝手に想像して作った幻想じゃないのだと思います。

ジュンスがこの何年間、つらい涙を心の中で流し続け、

見えない努力をし続けてくれて・・・

今になって読み返す彼のあの頃のインタビューだったり、

ファン達のシャツァルトのレポだったり、

この記事のように高慢だったミュペンの告白だったり・・・

今となれば短く感じる時間も本当につらく感じる瞬間だって多かった事

改めて思い出してしまって

あの頃、純に感じる事ができなかった

「ジュンスが歌ってくれる」

という事の幸せ、

諦めないで、ずっとずっと前に進んでくれた事への

感謝する気持ちが大波のようにやって来て、

本当に上手く説明できないけど、ただただ涙が流れました。


演ミュギャラリーで探れるだけのジュンス記事は全て読んで来ています。

非難する記事も、バカにする記事も。

どんなにむかついてもネガな記事は訳さない主義なので一度も大きい声で話した事なくても。

このブログでアップしてる演ミュ記事はうきゃんきゃんしながら訳してますが、

今回訳したこのブログで改めてどうしてあんなに延々と続くコメントを

訳そうと思ったのか思い出したような気持ちです。

告白されている彼女よりもうんと意地悪で、偏見の塊で、人格を疑うような投稿から

こんなにも俳優ジュンスに愛情を大声で叫んでくれている事。

全てジュンスの実力だけで起きているという事が

本当に本当に嬉しくて、

ジュンスの事が言葉では表す事ができないぐらいに誇らしいです。

私が選んで好きになった人です。








歌手金ジュンス君の、

ミュージカル俳優金ジュンス君の

歩む道、どこまでも応援します^^
 

 

 

 

 

 

生まれて初めてキムジュンスという名前で
たった一人舞台に上がったあの日
モーツァルトは僕とあなたを
再び向かい合わせてくれました
 
高い城壁を越え新しい世界へと
飛び上がるキムジュンスの姿を
いつだって黙々と 僕の挑戦に拍手と愛を
送ってくださるあなたたちの姿を
末長く胸に刻もうと思います
 
そしてありがとうという言葉では全て表現する事ができなくて
この舞台の上でその愛に恥ずかしい事のない
自分になれるように今日も努力します
 
もうシャツァルトという名前に慣れた
今この瞬間たちを長く、長く
覚えていたいと思います
 
僕が彼に近付いて 皆さんが僕の心を
感じる今日、僕は幸せです
 
ありがとうございます・・・みんな^.^