時は2013年。 里親として龍馬を迎えてから約1年半。 平和だった私の猫ライフは、龍馬の脱走事件によって突然地獄へと!
龍馬脱走後DAY3
その日は、朝から大忙しだった。 前日の夜中に仕掛けた3台の捕獲器のうち2台に野良猫がかかり、避妊去勢手術へ連れて行ってもらう手配。 そして仕事、その後ハンモックを設置する案を考え相談→断念、その後材木屋に相談して、長い板を1階から2階のベランダにスロープのように設置してもらう案を検討。
そして夕方からまた新たに捕獲器を設置、ビラ配り、捜索に歩き回る。のちすぐにまた一匹捕獲器にかかる。 どうやらボス猫らしい。
(当時はブログを書く予定もボランティア活動をするつもりもなかったので、写真をあまり撮っていないのが残念)
これもまたSさんに病院に搬送してもらう。
夜10時半頃、夜の捜索に出かけ、犬の散歩の人を狙って外で目撃情報収集。 日ごろ近所づきあいもしていないのにマンション外の皆さんは親切で本当に感動。 捕獲器を自宅に庭に置かせて欲しいとお願いしたら全員了解してくださる。 留守中に勝手に門を開けて庭に入り自由に捕獲器を確認してよいとも言ってもらえた。 動物を飼っている人には私の気持ちはわかってもらえるらしい。![]()
ところが、マンションは人間関係が希薄と言うが、本当にそうだった。
私はそのマンションに住んで8年は経過していた。
特に誰ともトラブルを起こしたこともないが、特に親しく話すわけでもない、すれ違えば心のない挨拶を交わす程度。
しかし、私はすでに3日間、龍馬の捜索をして大騒ぎしているわけだ。
龍馬捜索のポスターも管理人さんに頼んでゴミ置き場に貼らせてもらっている。
早朝から捕獲器を何台も設定している私を目にしている人は、何か事件が起こったのだろうとはわかるはず。
それでも、心配してくれる人はほぼ皆無だった。
マンション内はまず丁寧に探し、一階の住戸の方には、ベランダやエアコンの室外機の下に龍馬がいないか探してもらい、見かけたら連絡もらえるようチラシを渡した。 別に意地悪もされないが、同情もされなかった。 猫を飼っている人がいないのだろうかとさえ思った。
後に猫の保護活動をするようになってから思い知ったことだが、この町は野良猫に冷たい町だ。 ぽつぽつと大豪邸もあるが、野良猫に情をかける人などいやしない。 当然対策もしない。
そういえばうちのマンションも、散歩にいく犬を見ると、ほぼ全部ペットショップで買ってきたブランド犬種のように見えた。 そういう人が多い町は、自分のペットにだけ愛情を持ち、野良猫野良犬には関心がない人が多いものだ。 私たちが捕獲器にかかる猫を避妊去勢させていることにも全く関心もなさそうだった。
そんなことを思い始めていた捜索3日目の夜、10時半、私が捜索に出かけた外を歩いていたところ、うちのマンションの階下の住人が道路に飛び出してきて、私にこう言った。
「昨夜はうるさくて眠れなかったのよ
。 うちの子、具合悪くして今日学校休んじゃったのよ
。 うちはね、10時に寝るのよ、だから(捜索を)10時までにして!!」 と![]()
。
すごい剣幕だった
。
私はびっくりして返す言葉が思いつかず
。
まず、昨夜を思い出す・・・と、そうだ、2日前にベランダから飛び降りて脱走してしまった龍馬が、昨夜の夜遅くにベランダの下から見上げて悲しそうに鳴いたので、
ベランダの上から龍馬に呼びかけたり、何とか飛び上がってきてくれるよう上から紐や籠などを吊るしたり、1階のこの住人に謝りながら電話をかけて龍馬を見なかったか聞いたり・・・また、深夜に譲渡主のSさんが捕獲器を持ってきてくれたので、
それで設置場所を考えたり・・・
と確かに1時近くまで騒々しかったことは事実だ。
しかし前日にこの人には事情を説明してあった。 家族の危機に瀕した私のその行動が、たった一日でそんなに責められるべきことなのだろうか
。
しかも、この人、子供同士が同級生だったので、私にしてみれば口をきく人も少ないマンション内では数少ない知り合いだったはず。 それにおとなしめの常識的な人だと思っていたのに、そんなことで怒鳴り込んでくるとは、本当に驚きだった。
しかも、自分の子供が10時に寝るから、いなくなったうちの子の捜索を10時に打ち切れと?? 猫とはいえ家族だ。 どういう理屈?
この人、自分の子供がいなくなっても、近所迷惑を考えて捜索を10時に止めるのだろうか?
結局、この人は、意地悪で冷淡で自己中な人だったのか? いや、そうとも限らない。 その時はわからなかったが、猫ボランティアをするようになった今、わかったことがある。
それは犬猫のことでは人が変わるということだ。
人に対して常識的な優しい人間が犬猫に対しては残虐ことを平気でする。 精神異常の虐待犯だけではなく、普通の人が平気で子猫を捨てたり、殺処分してくれと保健所に持ち込んだりするのだから。
世界的には、親切で正直で思いやりがある人種だと思われている日本で、捨て犬猫や殺処分が多い状況がそれを物語っている。
私の高校時代の仲良しの友人も、ある日その子の娘のわがままを聞き、ペットショップで犬を買ってきたところ、娘はろくに面倒も見ず、そのうち脱走させてしまったのに、家族誰も探しにも行かなかったという。
友人は私には親切で良い人なのに、動物には情がないのだろう。
私はどうしてもその犬の事だけは許せないでいる。
きっとこの1階の住人も動物が嫌いだったのだろう。
のちにこの人がとった行動でそれがはっきりとわかった。
この人がいかに動物が嫌いでも、私には家族だ。
ペットを家族としてその命を尊ぶ気持ちを理解されれば、龍馬は早くに見つかったのにと思う事件があった。
それはまたあとで説明する。
一階の住人に怒鳴られた私は、その瞬間びっくりしすぎて、とにかくその場で謝り捜索を中断することしか思いつかなかった。
すっかり萎縮し、翌日から捕獲器を設置する時間を早め、その家に通常の近所への心づけよりもはるかに高い金額の物を商品券と共に届けるなど、できる対策は講じたが、
猫は夜動くのだから10時に捜索をやめることだけはできず、遠慮しながら継続するしかなかった。
これも失敗だった。 確かに迷惑はいけないが、どれほどの迷惑だったろう。 暴走族ほどの大きな音をさせるわけでもない。 夜中の酔っぱらいの大声ほどでもない。 猫を呼ぶ声、一緒に探す家族や協力者のボランティアさんと話す声くを遠慮しながら出しているだけだ。 迷惑だったとしても、後で謝まれば住む程度の迷惑だったのではないかと今振り返れば思うのだ。 そこで遠慮せず思い切り探し、さっさと捕まえて、あとで謝った方がよかったと後で思った。
実はあとで考えたら、龍馬はその時はまだ、1階の住居の周辺にいたのだ。 その時にこの人が協力してくれ、何とかして捕まえていれば、あんなに壮絶なことにはならなかったのだ。
実際、迷惑だと言ってきたのはこの人だけだった。 マンションの周辺の人達は、遠慮せずにしっかり探してね、と言ってくれたり、自宅の庭に自由に入ってよいと言ってくれたり、ポスターを自宅の壁に貼ってくれたり、目撃情報をくれ、一緒に現場まで探しに行ってくれる人も沢山いた。 それらは皆 見ず知らずの人だった。
自分とは知り合いで仲が良くても、動物に対する情を共有できない人は多い。 最近よく思う事だが、「友達は猫友ならず」。
自分の友達だからと言って、猫に対して私と同じ気持ちを共有できるわけではない。
友達と猫の話をするときは気を付けるようにしている。
龍馬の話に戻るが、結局、そこから延々と見つからない日々が続く。











