キュウキュウのムス◯ | ~ ~ 寄せてはかえす さざ波のように ~ ~

~ ~ 寄せてはかえす さざ波のように ~ ~

~ 生まれは男 生きる方向は女性性にあり? 豊かな人生を目指して書き綴ります ~

電話が鳴り受話器を取り「はい、もしもし?〇〇です」と、


こちらが名乗ると、「もしもし?私、〇〇の〇〇です、 


奥様でいらっしゃいますか?」と、電話での勧誘販売やら


古着買い取りのアポインター等、私を知らないだろう相手方は、


電話口で話す私の声を聞いて、女性として対応してくれる!


ほぼ100%、嬉しいけど……


たとえ″気持ちが女子″でも『体(生まれ)が男子なんやから


″息子″であることは違いない』が私の受け入れ置。


「いいえ、ムスコですョ」と(仕方なく)言い直しても、


アポ…の方は『そうですか~ムスメさんでいらっしゃいますか〜


w』と、私を″女性″と判断ww。


『Q.ホンマに女性として通して良いのですかっ?(希)』と、


詰め気味でも確認したい((怖&笑))。








父はあと少しで90、母は80代となり、それぞれ、


体に何かしらの異変がいつ起きてもおかしくはない……


そんな体調と年齢になって数年が経つ。



10年程前、父が肺気腫と診断された。


[肺気腫]は、(タバコを吸い続けた結果)肺が炎症を起こし、


上手く機能しないので、(通常必要な)酸素量が徐々に減って、


咳き込み、呼吸困難などのそれに伴う症状が顕れてくる……


そんな状態が日常で、高齢者に多いらしい。



あれから数年が経った1年ほど前から、父は[その症状]が


顕著になって、在宅酸素と出かけるときには吸入器を持ち歩く


生活をしている。


(私がやかましく言うから)父は渋々やっと、


吸入器を着けている、イヤイヤ着けさせられている……


といった感じで、本人は「そんなん(吸入器)なくても大丈夫」と


思っていて、通常の酸素量に満たない体となっているのにィ!(怒)


「ゼェ〜〜ゼェ〜〜〜」と、苦しい喘鳴を撒き散らしながら、


(やめなアカンとは思ってる様だけど…)止められないというか、


止める気のないタバコに毎日火を着けて(酸素吸入器の電源を


消して離れて)ベランダでのうのうと吸い続ける。。。


父の状態でタバコを吸う事はありえないのに、


酸素吸入に伴う父の対応の事もあって………


プンプン💢ヽ(`Д´)ノいい加減にせェ〜!


デッカイ釘、脳天から打ち込んだろかぁ~?怒怒ww。


吸?吸!?吸!−って父に言うの、疲れたぁ………







タバコの有害や命に関わること、電子タバコにしたら?など、


父や母家族と話し合い、父自身も理解していなかった、


タバコにかける姿勢や思いを聴き取り、喧嘩もたくさんして……


等など、何年もかけて、父からでたのは「タバコの一服時は


人生を振り返る時間に繋がる」と。。。


何かズルいゎ、時を超える~的なこと……ww


ソレ、幸せなんちゃう?尊重するしかないやん。


母はやめてほしいと望んでる。。。


父自身で心身を支えられなくなっている、目に見えてわかる。


だから、幸せと認識できる時間があることが、


(子として家族として)せめてもの救い。










ここ数年、父の事で救急車に頼る事が何度かある。。。


夏前、父に高熱が出てどんどん上がり、救急車を呼んだ。


駆けつけた救急隊員(男性♡)に父の状態を尋ねられたので、


不安になりながら(マスクする余裕はなくても)


できる限り落ち着いて、手短に簡潔に答えられる様にする。


救急車に運ばれて(ちゃんとマスクをして)その中で改めて


父の状態についての詳細が必要なため、先程の隊員ではない、


別の隊員から再度質問を受けたので答える。


救「それで…患者さん(父)とは同居?の家族(私のこと)


さん?」と尋ねられたので、私「〇〇〇〇(父の名)の息子で


〇〇(私の名)です」と名乗ったら、救「〇〇(私の男名)さん?


ムスメさん?」と聞き直す。


だから「いいえ、息子です」と私。


救「えっ、ムスコさん(男)?w」と、少々困惑気味www。


『マスクしてるから(間違えた)?


(してない状況で)さっき相対したけど?


こんな近距離で(女性として)見間違えるゥ?』✌😚


鏡に写る私はまあまあ男やのに……外形?雰囲気?女声圧?w


父の緊急受け入れ先がみつかり、ピーポーピーポーと急発進。


揺れる車内で『娘~♡イェ〜ス!』と、脳内ガッツポーズ(笑)



*ちなみに…父は肺炎で2週間程入院となり、完治しました。


(その間タバコは吸わずにやり過ごせたのに)


戻ってくるなり、スパスパ吸っとー💢
















母は軽度の認知症だけど、受け答えはしっかりとしていて


(ひいき目に見ても)表情も活き活きとしている。


言われなければ、認知症とは気付かれない。


以前と少し違うのは(呼吸するように)常に歌っているww。




母が生まれたのは終戦前。戦後占領地から引き上げて来た


関西の地で育つことになる。


その娘時代に(鬼畜の国とされたアメリカの宗教であり、


外国に売られてしまうとされた)クリスチャンの洗礼を受けると


宣言した娘(私の母)に対して、母(私の祖母)は棒で娘を


打ちながら「私を殺して行きなさい」と猛反対し、


それを止める兄姉妹らが(娘時代の)母に「〇〇(母の名)、


お願いだからクリスチャンになるのをやめてくれぇー!!」


と懇願した。


打たれながらも、祈る母は『愛する家族がイエス・キリストに


よって救われるように』と、愛する憐れみの心で満たされて、


(痛いからではなく)涙が溢れた。


*後の私が知る限り、信仰心からくる【霊的包悦?】という


状態に包まれた様で、マゾではありませんww。


ちなみに…祖父母が最期の時、母の信仰を認めて、


母(や牧師)が祈り天国へと救われた、と聞いています。






私にはもう1人姉が居た。


その次女の姉が6年で、私が3年の時。


その当時の姉は、喘息が段々とキツくなっていた様で、


起きているのもやっと…といった印象。


日々ゼェゼェとなることが多く、母が(夜中でも)姉の背中を


擦り、力無く上半身を起こして、加湿吸入器?を口鼻周りを


中心に当てている。その光景が私にとって日常だった。


我が家の目の前にある学校に行けたら…万歳!といった様な


健康状態。


それでも…何とか学校に行こう!としている、


弟の私とは、正反対の頑張り屋さん。




(当時)父は、家族がまるで目に入っていない?と思う程、


ほぼ毎晩飲んで遅くに帰ってくる、チンチクリンの、


我が家の王様サラリーマンww。


(その当時)姉の喘息が深刻な事態ということを、


(多分)まるっきり理解しようとしていなかった。。。




その晩は、私らが起きている時間帯に父が帰宅したのか、


いつもの様に喘鳴に耐えながら起きている、姉に向かって


「何でそんなに学校を休むんやっ!?嫌なんか?


甘えとるんちゃうか?」と、その他諸々、喘息で苦しむ


我が子に対する父親とは信じられない言葉を言い放つ。。。


姉は「〇〇(姉の名)だって、元気やったら行きたいわー!!」と


父の不理解に精一杯抗ったのだけど、父は全く聞く耳がない。


側に居る弟の私は、母が父に対して反論してくれる!と


期待したけど…


子どもの手前、父親を批難することはできないみたい……


そういう古い昭和の家庭やったww。


そう察した私は「お父さんひどい!〇〇姉ちゃんは喘息で苦しくて


行きたくても行かれへんねんでぇ?何でお父さんやのにわからんの


ぉ?!〇〇(私の名)なんか、体元気やのに良く休むけどお姉ちゃん


はしんどくても頑張って行こうとしてるんやで!お父さんお姉ちゃ  


んの何を見てんのぉー??〇〇(私)だってわかるのにぃー!怒」


と……父にありったけの批難を投げて、当時団地の1階に住んで


いた私は、すっかり暗くなった外の、真隣の公園の砂場に


家出した。


しばらくして、母が迎えに来た…。「お父さん何であんな


(ひどい)人なん?」と私。母は「そうやね、だからお母さん


もお父さんのこと祈ってるんよ。〇〇(私)も一緒に祈っと


いてね」と、慰めるように、憐れむように、私に求めて、


母と心を合わせて、父や姉、家族のことを祈った。


小さな頃から何かあると、母に事情を話して、母が「愛する


天のお父様…」と祈り、そうすると、悲しく苦しい気持ちが


消えて、なぜか晴れたような気持ち。。。



私と母が居る砂場の正面は、少し目隠しのように


草木が生えていて、団地内の道路とコチラを隔てる壁の様。


その、少々小森の暗闇の一部が、小さく優しくほのかに光る!?


私が気づいて、母と一緒にその草木に顔を近づけてみた。


「ホタルちゃう⁉」と興奮の私。


母は「ホンマやね、光ってる!ホタルかどうかは


わからんけど」と。


わたし達が住むその地域は、海沿いの山側の土地を切り開いた、  


昭和のニュータウンの団地群だけど、人口池や草むらなどが


周りにある、まあまあ自然地域。だから、絶対ホタルやぁ!


と思った。。のかな?ww


覚えている限り、ホタルと認識してたのは、この時が初めて。


【ホタル】もあって、すっかりリセットされて、母と家に戻った。


6月が終わろうとする頃だったかな。。。




















その後も(相変わらず)母は日々祈りを欠かさなかった、


と言うより、(息をするように)祈らずにはいられなかった?


【母】と言えば…お祈りの人…だったからww。




あれから40年が経った今から、10年程前。


母が認知症と診断された当初は、所属する教会で「〇〇さん


(母)、ご奉仕したくないから、ウソついとんちゃう?」と、


陰口を叩かれていた?と、私の憶測。


そんな経験もあってかな……母は「隠さずその事を相手に知って


貰えたら安心。皆と話したい」と、私は日頃そう聞いている。


それからは、母が暮らしやすい様に「母は軽度の認知症があり


ますが、みなさんとお話したいと思っているので、知っていて


もらえたら助かるので、よろしくお願いします」と、


ご近所さんと話す機会がある時は、そう伝えている。




その母は今、食べる時の様な【習慣としての祈り】は、


することもあるけど、呼吸の様に祈り続ける事が難しい。



5年程前かな…私は母(父)の信じる神様にすがることが


多くなった……


その時、母に言われた…「神様にすべてを委ねなさい。 


包み隠すことなく、すべてを申し開きしなさい!


神様は信じる者の声に応えて下さる真の神で力あるお方、


わたし達の主なのだから」と。




父や母、姉夫婦、家族親族、両親の教会や世界の戦争災害の


中にある人々、それを支援する人々、ブログで繋がった方々など


愛する者のために立ち上がった方々を、いつも祈っています。




母が40年前のあの日、神に救い求めることを、


私に求め導いた祈りが、私の日々になっている。








アメーバブログ【全てはシンプル】の朱音さんの

記事『みなさんにお願いがあります』の一部を

掲載させてもらいます。


「島根にいる私の友人。
人間のために働いてきた乳牛たちが余生を送れる場所を運営しています。 
現在、クラウドファンディングで共感して応援してくださる方々からのご寄付のみで運営させて頂いています。
今回、2回目のクラウドファンディングに挑戦しました。
公開は13日(月)0時からですが公開前の友人のクラウドファンディングをご覧下さい。」

 


賛同頂ける方、クラウドファンディング可能な方、ご自身(わたしも(^o^;))が協力が難しくても気になる方等々…

是非ご覧ください!

よろしくお願いします🙇