子どものための教育学 

 

 プロローグ

 

 みなさんは、お医者さんにかかったことがあるとおもいます。

 そのときには、病気の説明や、治療の方法など、説明があると思います。

 そして納得のできないときは、別の治療法を選んだりすることもできます。

 

 ところが、教育については、子ども自身、自分がどんな人間に育てられようとしているのか、説明されることは、ほとんどないと思います。こんな人になっていこう、こんな人に育てたいと、教師の願いや思いを聞くことはあると思いますが、そのための具体的な方法を教えられることはまずありません。

 

 それは、「子どもは、国(文部科学省)が決めた教育から外れることなく育てられる存在である」と考えられているからであるとともに、「確立した方法が教師に認識されていない」からではないでしょうか。

 

 したがって、文部科学省の道筋から外れないよう、学校の先生方は、日々奮闘されていることと思います。

 

 しかし、それにしても、教育を受ける当事者である子どもが、どこに向かって今の教育を受けているのか何の説明もなく、ただ大人の言うとおりに従っていくというあり方で本当にいいのでしょうか。

 

 子どもの権利条約を見ると、第12条には「自由に自己の意見を表明する権利」があると明記されています。

 つまりそれは「意見を表明するためにも、自分の受ける教育に対して知る権利」もあるということになるはずです。

 そのために必要なことは、難解な教育学を唱えることではなく、子どもにも理解できる教育学を子どもたちに伝えていく必要があるのではないでしょうか。

 

 そこで、教師だけでなく、子どもも教育に対して学ぶことにより、よりよい教育を教師と子どもの共同作業として展開していけるのではないだろうかと考えました。

 

 修学旅行に行くとき、子どもも教師も目的地を共有し、ともに計画を立てると思います。

 もしも教師だけが、目的地を認識して、子どもが知らされていなかったとしたら、その楽しさも激減してしまうのではないでしょうか。

 

 同様に、教師も子どもも、この教育の先にどんな子どもが育ち、この教育の先にどんな自分に成長しているのか、その目的地を共有することで、お互いがよりよい協力関係を築き、未来に向かって進んでいけるのではないかと思うのです。

 

 これまでの大人主導型、教師主導型の教育ではなく、教師と子どもの共同作業としての教育を目指すことが必要ではないでしょうか。

 

 そこで私は、「子どものための教育学」を提案していきたいと考えました。

 ここでは、これから本論を紹介していきたいと思います。

 

 完成したものをお知らせするのではなく、現在作成中のものを書いていきますので、途中、中断したりすることもあります。ご了承ください。