今回は以前紹介した、MY幼稚園の園長先生のお話を紹介します。
《子ども時代の輝き》
近ごろ、子ども時代の輝きの意味(わけ)が少しわかってきたように思う。
先日、童話家 出村孝雄先生の『てんぐの風』を年長さんが聞く機会があった。
出村氏の創作童話で内容は素朴かつ粗削りで、取り立てて言うほどの、名作ではなかった。
又、その話ぶりも流暢でもなければ(その上只今入れ歯治療中で、言葉が抜ける時がある)洗練されているとも思われなかったにもかかわらず、子どもの心を魅了した。これはいったい何故なのだろうか。
お話の後、出村先生とお食事を共に2時間ほど過ごした。
その間色々なことがわかってきた。
出村先生は今年米寿。つまり88歳。まず、そのご高齢に驚いた。
(とてもそうは見えなかった。60代に感じた)その年齢の深い意味と重さを感じた。そのお話の最後に
「私は88歳です。皆様とはもうお会いできないと思いますが、今日お会いできて大変うれしかった。」
の言葉、一言一言に、その時々を大事にする生き方を教えられた思いがした。
又、あの戦争の間も、この童話家として一筋の道を70年近く地道に、我が道を歩まれたことへの畏敬の念を覚えずにはおれなかった。
しかし、これを理解するのに出村先生と2時間のお話を要した私に比べ、子どもたちは『てんぐの風』という20分間の話の間に、この先生の心を感じ取ることができた。
これが子ども時代の輝き、あるいは豊かさを表わしているのではないだろうか。
つまり、子どもの感性は、本物を見分けることに長けていると思う。外観や経歴、その背景に左右される大人とはだいぶ異なるようだ。
もうひとつ、子どもの豊かさのパワーを感じたことがある。
年長さんが県体育館で参加した県内幼稚園どうしのドッジボール大会でのことだ。
勝ち抜き戦で、ある強豪なチームと接戦になった。
相手のチームは、ドッジボール大会の意味も良く理解し、勝ち抜いていくと、優勝するということがわかりすぎていた。よく、練習もしていた。
MY園祭や料理づくり、節分、園外保育などで、練習など殆どやっていないMY園チームは、園庭での自由あそびドッジボールそのままで、ボール獲得が至上の喜びで、とびついていっては、モコモコとボール取り合戦を仲間同士で行うという光景を、真剣な大会でも相変わらず見せてくれた。
いまさら、試合だから『仲間同士のボールの取り合いはやめて』と先生が叫んでも常々やっていることは、そう急に直らない。
しばらく、恥を忍べばよいのではないかと諦め、応援を続けた。時間がきて、何と同点であった。審判3~4人が集まり頭を寄せ何やら話し合っていた。私たちも「どうなるのかな?ジャンケンかな?」と不安に見ていた。
相手チームは何回も経験しているらしく、同点の意味がよくわかっていて、心配そうに審判の方をじっと見ていた。
そこで審判は『1分間のみ試合延長します。その間に入った点で決定します』と大声で全体に知らせてくれた。
我々は緊張した。あと1分で点をとれるかな、と一瞬不安がよぎった。相手チームの子も我々と同じ表情をした。よく理解できていて、その表情に緊張感が見えた。
一方MY園チームは審判の討議中も休憩をかねてふざけあっていたので、まるで理解できていない。だから「立って」の呼びかけに、あわてて立つと「どうするの?」「あと1分やるのよ」と言うと、何と「やったー。まだやれるの!やったー」と小躍りする始末。MY園チームには、この1分間に点を入れないと負けるという認識がまるで芽生えていない。そのまま試合開始。
すると、どうでしょう。あっという間に、のびやかなあそび感覚のMY園が相手チームの子を二人瞬く間にあててしまったのだ。能力の点では相手の方が勝っていたにもかかわらず、MY園が最後の1分間で勝敗を決した。
この時私は、子ども時代の輝き、豊かさを教えられた。
“無心”の強さ、無心の時代を、なるだけ長い間体験する中で、人間は大人になって支えられる本物の豊かさや、強さを身につけていくのではないだろうか。
早く大人になろうとする人、知識へ急ぐ人に欠如している、“子ども時代の輝き”“無心の強さ、豊かさ”を今一度考えてみたい。
メーテルリンクの「青い鳥」も、幸福は身近にあるといっている。つまり幸福(心の豊かさ)は、一人一人の心の中に、子ども時代、みなが持っていたはずの心そのものであるといっているのではないだろうか。
1分間の奇跡のなかに、MY園の子どもの育ちがまちがっていなかったことを確認できた。
またその証拠に、1試合ごとに強くなり、コツを身につけ成長している姿に、遊び心、遊び感覚の内に潜在する可能性のエネルギーを見た、また、おもいきり全力をぶつけることもMY園の特徴であった。常々の外あそびが効をなし、最後までパワフルで体力が一番あったようだ。
(「MY園だより」から)
私は自分の子どもが幼稚園に入園するとき、いろいろ幼稚園を探しました。
その中で偶然に出会った幼稚園がMY園でした。
この文で語られているそのままの保育がなされているところでした。
しかも、どんな障害を持った子どもも普通クラスで受け入れ、一切の差別のない幼稚園でした。
サン・テグジュペリは「星の王子さま」の冒頭で「おとなは、だれも、はじめは子どもだった。しかし、そのことを忘れずにいるおとなは、いくらもいない。」と訴えています。
子ども時代の輝きを忘れていないかもう一度確認したいものです。