子どものための教育学

 

実践編(☆:著者 T:教師 C:子ども P:親)

 

9 クラスのモラル

 

C1「おかわりは、全部食べた子がするんだよ。」

C2「違うよ、ジャンケンで決めるんだよ。」

C3「こっちから、順番にもらうんだよ。」

C4「あいているところからでいいんだよ。」

 

T「どうして、全部食べた子からにしたの?どうしてジャンケンにしたの?どうして 

  順番なの?どうしてあいているところからにしたの?」

 

C「だって、先生がそうしなさいって言ったから・・・。」

 

 新学年が始まったときの、給食の準備の1コマです。

 いくつかの、クラスから子どもたちが混ざり合うので、違うところで小さなぶつかり合いが起きることがあります。

 

C「先生、A君が真似して書いてきます。」

C「A君真似するのやめなよ。」

C「そうだよ、真似することはよくないことだよ。」

 

T「そうか、A君が真似して書いたんだ。でもどうして真似しちゃいけないの?」

 

C「だって、先生が人の真似をしてはいけませんって言っていたから・・・。」

 

☆クラスでは、1年間かかって、クラスのルールや、モラルができあがっていきます。

 大切なことは、その先に、子どもたちのよき成長があるかどうかです。

 先生方は、あまりにも仕事が多く、労働時間は限られています。そすると、どうしても効率よく進めていかなくてはなりません。

 その結果、なぜそうするのかという「説明」が省略されてしまうことが多いのです。

 さらに、学年が変わっても混乱が起きないように、やり方の統一がされたりする学校もあります。

 

 授業の進め方、給食のやり方、掃除の仕方、宿題の出し方や量。

 この学校では、「このやり方だ」とすれば、説明の時間が省略できます。

 

 ところが、教師一人一人の生き方は、それぞれです。

 したがって、学年が変わって新しい担任になったときに、子どもたちは混乱します。

 

 そして、混乱したときこそチャンスなのです。

 「これは、本当に子どものためになっているだろうか」

 

 教師は自分にそう問いかけることができます。

 

 「どのやり方が、自分たちのためになるのだろうか」

 

 子どもたちは、自分にとってよりよい方法を考えることができます。

 

 道徳心、倫理観、クラスのモラルというものは、誰が多数派かによって決まっていきます。

 

 完成されたものがあるわけではないのです。クラスの多数派が認めたことが、そのクラスの空気(クラスのモラル)となっていくのです。

 

 例えば、時には「自殺」につながる「いじめ」。この出来事が起きたら、徹底的に追求しようとされますし、「いじめ」を無くそうとなります。

 

 ところが、それに比べるとはるかに多数の交通事故死亡事故がありますが、だからといって、「自動車」を無くそうとはなりません。

 

 なぜなら、自動車は便利だからです。日本人の多数が、交通死亡事故よりも車の便利さを選んでいるからなのです。

 

 肺がんで死亡するかもしれないタバコが、販売され、年税収が2兆円ほどあることも、命を削ってタバコを吸っている人から、税金を得るという、なんとも矛盾した現実があります。

 

 倫理的には全くおかしな話です。しかし、タバコを吸う人も国もそれを認め、タバコを吸わない人も、吸う人からの税収により潤っているのです。

 

 つまり倫理観というものは、それほど完成されたものではなく、多数派がどう認めるかによって決まっていると言えるのです。

 

 これはクラスという社会においても同様のことが言えます。

 

 つまり、クラスのモラルも正しいもの、完成されたものがあるのではなく、教師と子どもで、より幸せなクラスにするために作り上げるべきものなのです。

 

 ところがこれまでは、教師が、教師の論理で子どもに一方的に押しつける形で作り上げられてきてしまったと言えるのです。

 

 先生が意識するべきことは「自分の都合よくしていこうという姿勢に気づき、子どものためになっているだろうかという自分自身への問いかけを常にしていくこと」なのです。

 

 子どもが意識するべきことは「どうしてこのやり方なのだろうかと問いかけ、解らないことについては、友だちや先生と納得できるまで話し合うこと」なのです。

ここを教師と子どもが常に意識できれば、間違いなく幸福感の高いクラスができるのです。