No.16「あのときの一歩が、今の私の原点に」挑戦内容:イベント参加 | 挑戦記インタビュープロジェクト

挑戦記インタビュープロジェクト

キャンサーペアレンツ会員たちの挑戦記をご紹介していきます。



名前:阿蘇敏之さん
年齢:48歳
仕事:CAD/CAMオペレーター、「がんサロン おしゃべリバティー」代表
家族構成:妻、長女(27歳)、次女(25歳)
疾病:精巣腫瘍、後腹膜胚細胞腫瘍
罹患時年齢:20歳(精巣腫瘍)、43歳(後腹膜胚細胞腫瘍)

概要:20歳で精巣腫瘍に罹患。23年後の43歳のときに転移再発、後腹膜胚細胞腫瘍の診断。術前化学療法と手術を経て、現在は経過観察中。


◆がん宣告前後◆
Q・がん宣告前後の状況を聞かせてください。
20歳の頃行った精巣腫瘍の手術から23年後の43歳のとき。激しい腹痛と腰痛に襲われました。市販の鎮痛剤を服用して対処していたものの、痛みは日に日に強くなり、鎮痛剤の服用回数も増えていきました。

腰痛でじっと座っている体勢がつらくなり、車の運転にも支障が出てきたため、総合病院の内科で検査してもらったところ、超音波で「大きな影」が見つかりました。

その後、主治医に紹介いただいた病院へ転院し、画像を診てもらったところ、「翌日、ご家族と再来してください」と告げられ、これは思った以上に酷い状態なのではないか、と嫌な予感がしました。

その後も複数の医師に診ていただいた結果、「精巣腫瘍の転移再発で、病名は後腹膜胚細胞腫瘍」との診断。まず術前化学療法を行い、その後手術をするという方法を提案され、家から近い大学病院へ転院して治療を進めることになりました。


Q・そのときの心境はいかがでしたか?
23年ぶりに悪性腫瘍の診断を受け、20歳のとき以上に命の危機を実感しました。

「この先も生きていきたい」、「子どもの卒業式に参列したい」といった想いから、「早く治療を進めなければ」という焦りもありました。


Q・そこからどのように頭を切り替えていったのですか?
危機感の一方、「精巣腫瘍に罹患した際は、早く手術した結果、すぐ元気になったので今回も大丈夫」という前向きな気持ちも心のどこかにありました。「子どもたちの成長を見届けるためにも、ここで死ぬわけにはいかないんだ」という目標があったからこそだと思います。

ただ、初めての術前化学療法は想像を絶するものでした。抗がん剤や利尿剤などの投与によって、吐き気や倦怠感などで体が苦しくなり、「あー、もうこれ治療中に死んでしまうかも……」と日々思っていました。

ちなみに、そのときの私は、病気のことを家族以外には伝えていませんでした。「このまま人生をフェードアウトするか、それとも思い切ってカミングアウトするか……」と考えるようになり、「このままフェードアウトしてしまうくらいなら……」と、20歳からあえて公表しなかった自分の病気を思い切ってSNSでカミングアウトすることにしました。23年前の当時からの友人も含め、とても驚いていましたね。

しかし、このカミングアウトによって、旧知の友人や恩師から応援の言葉をもらったり、お見舞いに来てもらったりと、生きる力をもらうことができ、それによって苦しい治療もなんとか乗り越えることができました。


◆挑戦について◆
Q・現在、どんな挑戦をされているのですか?
治療が終わった5年前から始めたのが、がん経験者が集まるイベントへの参加です。初めて参加したのは、がん情報サイト「オンコロ」さん主催のイベントでした。最初は、ただ登壇する方々のお話を聞きに行くだけのつもりだったのですが、後半の交流会で登壇者、参加者の方々と交流を持たせていただくことになり、その方々の紹介で、また次のイベントに参加することになりました。そんな人と人とのつながりがまた次のつながりを生み、今では、自分自身がコミュニティの代表をさせていただくまでになりました。



Q・なぜその挑戦を始めようと思ったのですか?
治療中、病気を公表したことで知人や友人とはコミュニケーションが取れていたものの、同じ病気を罹患した方や同年代のがんサバイバーの方とはあまり接点がありませんでした。入院中も声を掛けそびれてしまったり、相部屋の方がずっと年上の方だったり……。それでも治療中はそれほど気にならなかったのですが、治療が一旦落ち着いた頃から、同じ境遇の方々のお話も聞いてみたいなと思うようになったんです。

20歳の頃とは違い、病気の情報だけならネットでも得られる時代になりました。でも、「こんな悩みを抱えているのは自分だけなのだろうか」とか「他の方は、こんなときどうするんだろうか」といった精神的な悩みについては、やはり同じ経験者の方でないとなかなかリアルには分かち合えない。そう思い、意を決してイベントに参加することにしました。

でも、正直、申し込みはしてみたものの、直前まで参加しようか迷っていました。治療による後遺症で、末梢神経障害があり、字も書けなければ、ペットボトルのふたも開けられない状態だったんです。そんな自分が行って、周りの方に迷惑をかけてしまうんじゃないかと。あとは、なんか変な商品を勧められるんじゃないか…といった心配もやはり最初の頃はありましたね。

それでも、もしいやだったら次から行かなければいいんだと思い、「えいやっ」という気持ちで参加してみました。そこで登壇していたのが、今でも忘れられない「ぐっちさん」(故・西口洋平氏:キャンサーペアレンツ創設者)でした。確か2016年の6月だったと思います。当時は、キャンサーペアレンツもまだ立ち上がったばかりで、会員30人とかの頃でした。でも、そんなぐっちさんやキャンサーペアレンツとのつながりも、このイベントに参加していなければ得られなかったですし、振り返ってみれば、少しの勇気で人生が大きく変わっていくんだなと実感しますね。その後も、「がんノート」さんや「マギーズ東京」さんをはじめとした信頼のおける団体さんのイベントには積極的に顔を出させてもらっていました。

幸い、これまでオンラインも含めて何十回とイベントには参加していますが、変な商品を勧められたことはありません。オンコロさんのイベント案内(https://oncolo.jp/event2020)などで紹介されているイベントであればそういった心配はほとんどないと思いますよ。



Q・その挑戦は阿蘇さんにとってどんな意味を持っていますか?
最初はイベントに参加する側だった私が、いつの間にかイベントを主催する側になっていました。当時、多くのイベントは都内で開催されていて、神奈川県相模原市に住んでいる私にとっては交通費も時間もそれなりにかかる。地元には今のところそういった活動をしているところはなさそうだ。だったら、自分で立ち上げてみよう、と思い、「おしゃべリバティー」を始めました。

私のように、悩みを抱えている方が集まり、想いを伝えあい、最後は笑顔があふれる場になればいいなと思って2ヶ月に1回程度の頻度でイベントを開催しています。そういう意味では、イベント参加は今の私の原点ともいえるものですね。



◆皆様へメッセージ◆
Q・これから何かに挑戦しようとしている方に、挑戦することの重要性を伝えてください。
最初はやはり葛藤もあると思うんです。こんな自分が行っていいのか、迷惑なんじゃないかという。でも、私もそうでしたが、決して最初から前向きな気持ちでなくてもいいんです。不安を抱えたままだっていいんです。集まる方が、がん経験者の場合、皆さん不安があって当然なんですから。そうした想いを抱えながら、それでも、「あー、自分だけじゃないんだ」とか「こうした考え方もあるんだ」といった安心感や気づきを少しでも持ち帰っていただけるよう、私もおしゃべリバティーの運営では心がけています。最近はコロナ禍によりオンラインのイベントも増やしており、遠方の方も参加しやすくなっているのではないでしょうか。

モヤモヤを抱えながらでもいいので、一歩踏み出してみませんか? 皆様のはじめの一歩を応援しています。



……阿蘇さん、本日はありがとうございました!

(了)

【取材日:2020年11月24日】


【ご案内】
阿蘇さんが代表を務める「がんサロン おしゃべリバティー」は、がんを経験された方、ご家族、ご友人、また医療、看護、介護、福祉関係者、すなわち、がんに関心があるすべての方達のおしゃべり場、交流の場、学び きづきの場、情報交換の場です。イベント初参加の方もお気軽にお申し込みいただけます。

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