No.8「挑戦を楽しもう!」挑戦内容:コミュニティ構築 | 挑戦記インタビュープロジェクト

挑戦記インタビュープロジェクト

キャンサーペアレンツ会員たちの挑戦記をご紹介していきます。

AYA世代&働き世代のがん罹患者、経験者の方々とネットやリアルな活動を通してボーダーレスな支え合えるコミュニティを築きたい‼︎



名前:渡邊 康治さん
年齢:35歳
仕事:会社員
家族構成:妻、娘1人(4歳)
疾病:滑膜肉腫
罹患時年齢:30歳
概要:2013年8月に耳下腺嚢胞と診断され、その後2015年6月に滑膜肉腫と正式に診断結果が下される。
手術、放射線治療、抗がん剤治療を経て社会へ復帰するも約一年後に肺への転移が発覚。
そこから更に抗がん剤治療、手術、抗がん剤治療と続けて、2017年以降からは定期的な経過観察中。
詳しくはこちらのV-LOG(「がんノート」)で⤵︎⤵︎


◆がん宣告前後◆
Q・がん宣告前後の状況を聞かせてください。
滑膜肉腫という診断結果が正式に下されるまでに、何度も耳下腺部の腫れを繰り返している中、当時は2直の交代勤務をしていました。

転職したばかりで「今、休むわけにはいかない」という気持ちが強く、夜勤明けに病院に通い、腫れに注射針を刺して嚢胞を抜くことを繰り返しながら、ピシバニールとう抗がん剤の投与を2回行いました。

しかし腫れは日に日に大きくなり痛みも増してきて、注射針で抜いていた事を繰り返していたせいか嚢胞は真赤に血で染まり、やがて血腫と呼ばれるものになりました。

徐々に病院へ通うスパンが短くなっていき、「もうこの病院では手に負えない」と医院長より告げられ、紹介状を手により専門性の高い病院へと行きました。

その時も確か夜勤明けだったと思います。身体の疲労と痛みで心身共に限界状態の中、耳下腺の腫れの緊急手術ということで入院となりました。約3週間くらい入院していましたね。

その2週間後くらいに病院から生検の結果が出たと連絡があり、「滑膜肉腫」という診断結果を告げられました。

この聞いたことも無い病名の説明を詳しく受けるにつれ、非常に悪性度の高いがんであることが理解できました。

そして、「耳下腺部に滑膜肉腫ができるということが全て報告されている訳ではないが、日本国内では初めてである」とも伝えられました。



Q・そのときの心境はいかがでしたか?
先生から、とても伝え辛そうな神妙な面持ちで診断結果について伝えられた瞬間、私自身生まれて初めて「死」を意識しました。

家族のこと、妻や産まれたばかりの娘のこと、様々な想いが頭の中を巡り、真っ白な状態になりましたね。

しかしそれ以上にショックだったのが、その約1年後の肺転移発覚でした。

5年生存率は50%から40%〜30%に引き下がり、主治医の先生から「今のあなたの状況は私の経験上、生き残っている人の方が少ないです…。これから残りの人生をどう生きるか考えましょう」と告げられたときはかなり気持ちが落ち込みましたね……。


Q・そこからどのように頭を切り替えていったのですか?
正直、肺転移腫瘍手術を終えるまでは頭を切り替えることはなかなか出来ていなくて、少しずつ生きる自信をともり戻したりもしていきましたが抜け殻みたいな状態が長かったと思います。

あれから社会復帰して3年が経ちました。今思うと、「当時は世捨人のようだったなぁ……」なんて思うこともあります。

でも、医師からは「ご自身のQOLを優先してください」と言われていたので、体調が良いときは、血液検査を受け、医師と家族の了承を得た上で、サーフィンに行くことはありました。

限られた体力と時間の中で、人目を避けて、普段はあまり入ることがなかった海に、誰よりも万全な装備で入っていましたね。

波に乗っているときの楽しさは、なんとも表現できない壮快な感覚があります。嫌なことはすべて忘れて、完全にのめりこんでいる状態というか。

その一瞬の時間は心より楽しい気持ちがあふれ、自然と笑顔になり、童心にかえり、無我夢中になれるんです。

余命宣告を受けるに等しい自分の病気さえも忘れるくらいでした。

ここだけの話、沖で副作用を感じたときは「ちょっとこれはヤバいな…」と焦りましたけどね(苦笑)

そして、その海でサーフィンをしているローカルの方々とも少しずつですが自分のことを話す機会が増え、仲良くなれて、様々な話を聞かせてもらったり教えてもらったりと、コミュニケーションを取っていく内に少しずつ前向きな気持ちになっていく自分がいました。




◆挑戦について◆
Q・現在、どんな挑戦をされているのですか?
挑戦という言葉が合っているかはわかりませんが、AYA世代&働き世代のがんサバイバーの方々同士の掛け橋を私なりに創ることで、がんに対するセンシティブなイメージを少しでも払拭したり、様々な思いや、自由な感性を共感・共有したりできる場にしていきたいと思っています。

具体的には、若い世代のトレンドであるSNS「Instagram」と、私も出演させていただいたNPO法人がんノートさんのyoutubeと、キャンサーペアレンツの複数のSNSとをリンクさせた私のアカウントで、その架け橋になれればと思っているんです。





Q・なぜその挑戦を始めようと思ったのですか?
思い付きみたいなきっかけだったんですけど、闘病していた頃から、若年層のがんへの情報発信ってまだまだ少ないなぁって思っていて、それは最近でもずっと感じていたんです。

特に私の住む新潟県のような首都圏から離れた地域は、得られる情報量や仲間がどうしても限られてきます。

そんなとき、「AYA世代、働き世代のがん罹患者の方々とネットやリアルな活動を通してボーダーレスなコミュニティを築くことができたらな」とふと思いつきました。

そして、ほんの少しの好奇心と行動(高速道路で4時間かけて)で、昨年の11月に築地の国立がん研究センター中央病院で開催されている「がんノート」に参加してみたことが始まりでした。

これまでずっと、自分と同じ、または近い境遇の人が近くに誰もいませんでした。

希少がんであるなしにかかわらず、これまで私の周囲には同世代で命に関わるような大病を患った人はいなかったですし、ネットで生存者のブログや病院の論文なんか読み漁ったりしても良い情報がなかなか見つからないことに、どこか孤独感のようなものを感じていました。

最近はSNSなどで近い境遇の方を目にする機会は以前と比べたら少し増えたかな?と思っていましたが、それでも、「リアルにFace to Face でお会いしてみたい…‼︎」というのが率直な挑戦への動機でしたね。



Q・その挑戦は渡邊さんにとってどんな意味を持っていますか?
この先、私の周りの方達も病気や怪我と無縁で長い人生を過ごすことができる人の方が珍しい時代になると思います。

私は周りと比べて早くして大病を患ったかもしれません。

でも、この体験談をもって近い境遇に悩んでいる人を助けること、支えることが、過去と今の自分を助けること、さらには未来の罹患者と自分を救うことにも繋がると思っています。


◆皆様へメッセージ◆
Q・これから何かに挑戦しようとしている方に、挑戦することの重要性を伝えてください。
我々がんサバイバーの、現実と向き合いながらも多くのことを学んだ経験は、必ず何か与えられた意味があると私は思っています。

また、皆それぞれ自分の存在価値を感じる物語をきっと持っていると思います。

そんな経験や物語を大切にしていくためにも、ご自身が未来に向けて挑戦を楽しむことが重要なのではないでしょうか。

これからもキャンサーペアレンツに負けないような(笑)、自分なりのコミュニティを作っていきたいと思っています!!

……渡邊さん、本日はありがとうございました!

(了)

【取材日:2020年3月6日】