本日は兵庫県展2024の応募申し込みしめきり
昨年は立体部門で応募
↓(タイトル「回る松ぼっくり」)動画
写真↓
うん、確かに回ってますね
けっこう高速で回ってるもののあえなく落選
で
今年はまたいつもどおり絵画にもどす(タイトル「手がでかい」)(県展後公開予定乞期待)
入選はそりゃ本懐ではある
が
もういいや
落ちて落ちて落ちてばっかりだから
参加することに意義があるってことで
出展料の3000円は私からの寄付
兵庫県展よ、どうぞ有意義に使ってくれたまえ
そして私をスポンサーもしくは協賛とお呼び
えーと
兵庫県展にだす絵とは全然関係なく最近描いてるのは人の絵
人から話を聞いてイメージして描くっていうのがわたしは大好き
今までは父と母からしか話を聞けなかった
彼らの絵はけっこう描いた
(母の故郷の「奈半利三光院隣りのお墓」、生まれた場所「西代の大楠」、通ってた「中芸高校ちゃり通学」、じいちゃんの故郷神鍋に慶子おばさんと一夏世話になった「日高町ココハ水ノ口の家」などなどの絵)
(父の過ごした「新宿2丁目太宗寺で野球」、「神楽坂のおばさんちへおつかい」、「おばあちゃんと花園神社で銀杏の葉っぱ」などなどの絵)
それが今
話してくれる方がたくさんいる
彼らの話も聞いてて楽しい
↓カズコさん
カズコさんは上品で感じがよい婦人である
リビングで出会うとにっこり笑ってくれる
いつも塗り絵をしている
ある日、カズコさんの色鉛筆を借りて
3秒くらいでカズコさんの似顔絵を描いた
するとカズコさんは信じられないくらい喜んだ
びっくりして心臓マジ止るか思った
わたしの落書きを喜ぶ姿を見るって初めての体験だった
それでちゃんと心をこめてカズコさんの絵を描こうと思って描いた
タハラさん↓
リビングにはピアノが置いてある
「片手だけ!右手だけ!で弾ける楽譜」を購入しそれを見ながら私はピアノを弾く
(わたしは楽譜を読むのが苦手であるがこの楽譜はドレミがふってある)
(ちなみにわたしは小1から中3までピアノをならっていた)
(にもかかわらず楽譜を読むのが苦手ですべての楽譜にドレミを鉛筆で記入してた)
(ピアノの先生はそんな私をみて必ず注意する「ドレミをふってはいけません、何年習ってるの?すぐに消して」)
(そこで消しゴムで消す。が、家で練習のときはわかんなくなるからまたドレミをふる)
(疑問なんだけど、プロのピアニストになるわけでもないのに何故にドレミをふったらいけないのか?弾けたらいいぢゃん)
母はおぼつかない私の演奏に合わせて歌う
いつしかタハラさんも一緒に歌うようになった
タハラさんのリクエスト曲は「ダニーボーイ」である
そこでわたしは
ダニーボーイが載ってる「片手だけ!右手だけ!で弾ける楽譜」も購入してしまいました
タハラさんと母が時々ハモりながら歌う「仰げば尊し」を聞いてるとわたしはいつも胸がせつなくなる
えーと
タハラさんの住んでた場所は
真東に開聞岳からのぼる朝日が見える漁村そうだ
で
地図で調べたらあった
そこは、知覧塩屋
頴娃高校までちゃりで50分かけて通学してたっていうタハラさん
ナビタイムで検索したら知覧塩屋から頴娃高校まできっちりチャリで50分だった
松下電器に入社したときタハラさんは松下幸之助から言われた
「そこでやめるから失敗になる、成功するまであきらめるな」って
イチコさん↓
イチコさんの故郷は鹿児島の加世田小湊
砂地を超えたらすぐに海だった
加世田にも特攻隊の基地があった
特攻隊って飛行機だが陸軍だそうでわたしはそんなこともしらなかった
きのう6/20はわたしのじいちゃんの命日でじいちゃんも陸軍
フィリピンのルソン島で飢餓戦死した
6/20になくなったことをわたしは姫路護国神社の人から教えてもらった
6月までじいちゃんは生き延びたんだ・・・って思った
えーと
イチコさんの話に戻る
グーグルマップで加世田小湊へ行ってみた
わたしの高知のばあちゃんが住んでた奈半利法恩寺にとても似ていた
加世田小湊は東シナ海に面してる
奈半利法恩寺は太平洋に面してる
台風や潮風の影響はどっちも瀬戸内海や日本海とは全然違うんだろうなぁって感じた
↓気功のジュンコ先生
先生はこないだフィンランドへ気功を教えに行ってきた
なんでもロシア圏の人で気功をならってる人は多いそうだ
フィンランドもそれで気功人口がいるそうだ
日本の日常では104才のお義母さんのお世話とか考えることがたくさんあるけど
フィンランドでは何も考えず緑と湖を見てすごして心底のんびりしたって言ってた
おみやげにgeishaチョコをもらった
見覚えがあるチョコである
去年6月に留学から帰ってきた長女からもらったおみやげと一緒だった
長女も先生も無事に帰国できてよかったって思った
↓人気のgeishaチョコ