今日は週に一回のお山ほいくでした。
久しぶりに1歳10か月の女の子が来てくれました。
最初は久しぶりだったから「ママは~?」を連発していましたが
3歳の男の子が優しくリードしてくれて楽しくお散歩♪
ちっちゃいリュックが可愛い
3歳の男の子は出発して5分で「お弁当♪食べなきゃ」と
早々にお弁当を広げて食べ始めました。
久しぶりのお弁当持参の日だったので、嬉しくて仕方なかったのでしょう。
頭の中はお弁当でいっぱい(^^)かわいすぎる
こんなとき、「お昼が足りなくなっちゃう」とか「お昼までがまんさせなきゃ」とか
そんなことが頭をよぎるけど、それはもうしないんだ。
だって、その子のわくわくが分かるから。
お弁当持っておでかけ。それだけで嬉しい。
どんなお弁当かな。食べてみたいな。
朝ごはん食べたばかりだからお腹はいっぱい。
だけど気持ちが食べたくて仕方ない。
その気持ちは否定したくない。
子どもはお腹一杯なら食べすぎません。
だからちょっとお弁当をつまんだら満足して
お弁当をしまってまた出発しましたよ。
気持ちに寄り添うと、スムーズに進む。
私がやりたい方向(行先に向かう)にスムーズに協力してもらえる。
急がば回れ。
気持ちが満たされたら、行動はしないこともある。
だから徹底的に子どもの気持ちに寄り添う。肯定するを心がけている。
大きい朴の葉っぱは子どもたちの格好のおもちゃ。
遊びを誘導しなくたって、子どもたちは自分で遊びを見つけ楽しみを見つけ思い思いに自分の時間を機嫌よく過ごしている。
本当に時間の使い方がうまいんだ。
子どもたちは私にとって生き方の先生。
笑顔と歓喜の叫びを見聞きすることで、私の魂も癒される。
子どもたちは歓喜の声を上げていればそれでよいのだ。
喜びを全身で表現していればいいのだ。
その存在が、周りのすべての存在を癒し元気付けてくれるから。
ほんとうに尊い存在。
そんな存在と一緒に過ごせることが私の幸せだ。
午後は日差しが強くなったので川へ行った。
水を見たら、キャーキャー言って水と戯れる。
すぐに裸足になって、服も濡れたらすぐ脱いで。
いつのまにか二人ともすっぽんぽん。
水はまだまだ冷たいのに、嬉しい声が止まらない。
私も一緒に裸足になって、自然の恵みに浸る喜びを共有する。
たいていの大人はこんな冷たい水につかって、風邪でもひいたら、なんて心配するかもしれない。
でも私はこの歓喜の声を止められない。
子どもは体が冷えればちゃんと水から上がってくる。
子どもの感覚を信じる。
子どもたちは水に入ったり、石の上で甲羅干ししたりを繰り返して
ほんの20分くらいで水遊びをちゃんと終わりにして
服を着て、靴を履いて、自分で納得して遊びを終わらせていた。
本当に何にも心配しなくていい。
感覚を信じる。子どもが納得するのを待つ。
コントロールしようとしない。
とにかく信頼。
子どもたちに対しても。
そして見守る自分自身に対しても。
この世界に私たちは何のために生まれてきたのだろう。
きっとこの世界を味わい尽くし、そして喜びを感じるためなのだろう。
心からの歓喜の声を上げるために、私たちは生きている。
子どもも大人も。
歓喜の声をあげよ。
喜びで生を埋め尽くそう。
きらきらと魂を輝かそう。
太陽が呼んでいるよ。
さぁ、外へ出よう!