ミントタイムス


         



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2019-03-15 14:37:00

「わが町」

テーマ:春の脳内小旅行


もう十なん年も前、高校を卒業し熊本の田舎から4月の陽光眩しい東京へ引っ越し、文学座の研究所に入所してずっと夢だったお芝居の世界へ足を踏み入れ。
初めての発表会は、確か入所から一ヶ月と少しすぎた後の5月で、文学座研究所伝統·ソーントン·ワイルダーの「わが町」という戯曲を、これまた文学座研究所伝統の割り振り配役(と、勝手に呼んでみました。30人強の研究生みんなが舞台に立てるよう、一つの役を、幕ごと·場面ごとに役者を変え演じさせるのです)で演じたのですが。

あらすじをざっと記すと…
物語は三幕構成。
アメリカの、とある小さな町。
進行役と呼ばれる狂言回しを軸に、<無対象>と呼ばれる、実際に具体的な小道具や大道具の出てこない舞台で、演者の台詞とパントマイムによって、観客に今どこで何が行われているのか、その場面場面に想像を膨らませてもらいながら進められてゆく。
繰り広げられるのは、二つの家族の何気ない日常。
隣り合わせに住む幼なじみの男女が、それぞれ家族の愛に育まれながら成長し、小さな恋の種を育み、やがて結ばれ、賑やかで晴れやかな結婚式の場面で二幕目を終える。

休憩を挟んで三幕。
二幕の終わりに晴れやかに式を挙げていた若妻がその後のお産で命を落とし、雨降る墓地で彼女の弔いが行われているところから始まる。
黒い傘を差し、讃美歌を歌う弔いの集団。
暗く悲しい雰囲気。
その弔いの集団の傘を割って出てくる<死んだ>彼女。
幼子をその膝に抱いた体温や感触がまだ生々しく残る、命を落としたばかりの彼女は、自分が亡くなったが納得出来ず、舞台の進行役に「(こんなに生々しく赤ちゃんの感触を感じられるのだから、私はまだ、生きていたあの時間に)戻れるんでしょ!?」と懇願。進行役や、既に墓地に根をおろしている先人達が「そんなことするもんじゃない」と止めるのも聞かず、かつて自分が子供だったころに戻ることに。

戻ったのは、何てことはない<日常>の中の、ある日。身支度の時間。
そこにいたのは、子育て真っ最中の、若く生命力に溢れた両親。
「私のお気に入りの帽子はどこに置いてあるの??」と母に尋ねる彼女。
生きている間に何度も繰り返されていたであろう、でも実際に子供だった頃には何を感じることもなかった小さなやりとり。
それが。
大人になり、子をもち、自らの命を失った今の彼女は、その短いやり取りの間に“生きている„ということ、ただそのことのまっすぐな美しさに打たれて耐えられなくなり、あっという間に「止めて!!」と叫び崩れ落ちる。
そして、<当たり前にある日常のありふれた景色たち>だったひとつひとつの小さなものに、生まれ暮らした町に、パパやママに、それぞれ愛しさを込めながら別れを告げ、その美しさを讃え、死者の世界へと戻ってゆく。そして、墓にすがりつき悲しむ自らの夫を、死者(先祖)たちと共に見つめて幕、になる…のですが。
(記憶を辿って書いたので、思い違いや私の勝手な解釈もあるかと…そこは何卒ご了承くださいませm(_ _)m)

これ、高校卒業したばかりの、肌も心もピッチピチ☆だったころに接したときには、恥ずかしながら「あー、そうなんだぁ」ってな感じでして。想像力を働かせてみても、感じ取れることが薄かったというか。
恥を覚悟で言えば、物語どうこうよりも、自分に割り振られた僅かな場面をいかに密度濃くしてゆくか!?いかに面白く観客の目を引くものにしてゆくか!!?というところに同期の皆が苦心していたように思うのですが。
そこから十なん年後の“先“に来てみて、ふと、この物語を思い出しては、<生きているということ、日常のとうとさ>みたいなものへの強く肯定的なメッセージに心震えることがあるのです。

産まれて生きて死んでいくという粛々と繰り返される営みの中に溢れている、普段は気にも留めないような、生きているこの世界そのものの美しさが、あちらの世界の視点を得ることで見えてきて。

そして、右も左も分からぬ時に出会い体験したこの世界が、年を経ていくごとに深まってゆくこと、味わいかたがどんどん変わってゆくことに驚き、ごくありふれた日々の描写を通して生きてゆくことを讃えるようなこの物語を、若さ溢れ、血気盛んな新入生の初めての舞台の題材に選ぶ老舗劇団の粋に、大人になるほどに深く感動してしまうのでした。
夢に向かって走り出したばかりの若者達が、まるで自分の役者としての存在の証明をするかのように照れてしまうほどの熱量で臨んでいた時間。その瞬間瞬間の眩しさ。
それが、物語の中、そしてその外側にある実際のそれぞれの人生の流れの中のきらめきに変化して、リンクするような。

その時には分からなくても、その時には想像も出来なかった時間を経ることで感じられるようになるもの。
自分が今、人生のどの地点に立ってるかなんて分かりもしませんが、ゆっくり発芽して伸びてゆく種をその青い時期にもらえたことは、人生にとってのものすごい贈り物だったのだな、と、麗らかな春の日に少し感傷に浸りながら思い、ちょっぴり涙。
きっとまた何年後かには感じ方がまた変わってるのだろうな。




2019-03-13 02:57:26

春の湿り気が好きです。

テーマ:春の脳内小旅行
春のエンジン、回ってきましたね。
2019年スプリング。
最近気になっていることつらつらと。

人は、電車内等でついうとうと居眠りをしてしまうとき、つい、自分の右側に倒れてしまうのではないか?ということ。
私自身、何故か右に右に傾いてゆくので。
最近は気になって電車内で寝てる人はいないか!?とつい観察してしまいます。今のところ電車内でうとうとなさっているのを確認できた方はお一人、その方は右に傾いてらっしゃいました。
密やかに調査続けて行きたいと思います。

そして、ヒーリングミュージックを聞くと、やっぱりどうしても癒されるよりも先に何ともかなしく寂しい気持ちになってしまう。
何故なのかしら。
春の夜は特にそんな気が。
眠りたくてヒーリングミュージックかけるのに、ぽつんと宇宙に一人放り出されたような気に。逆に眠れなくなってすぐに消してしまいます。
癒しは、さびしさやかなしさを過ぎたところにあるのかしら。

でも、華やいでゆく季節なのに湿った空気の中にどうしようもない哀しさを感じる春のこの感じ。何とも言えず


です。

みなさまも、良い春を。



2019-03-01 16:22:25

3月いっぴの独り言

テーマ:春の脳内小旅行
今日から3月ですなぁ。
春の、空気が温んでくるこの感じ、たまりませんなぁ。
ウキウキする季節であると同時に、冬から春へ季節の脱皮で、寒暖差や気圧の変化による影響でモヤモヤ、しょんぼり、やきもきしたりもする季節。個人差はありましょうが。
その兆候があらわれたら、こっそりでもひっそりでもそのモヤモヤ達をを文字にして形を与え、随時アウトプットしてゆかねばな、と思います。
そして、お水飲んで、呼吸して、モヤモヤもろとも循環、アウトプット。
自分は人に愚痴や弱音をこぼすのが苦手な自覚があるので、意識的にこの作業してゆかないと、澱んでしまふ。
澱んでいってる最中は、「なんかおかしい…」と焦りながらも、気がつけないことの方が多いので。意識的に、意識的に。

皆様も、春の空気を吸って吐いて、吸って吐いて、元気に春の本格的な到来を迎えられますように。

ハバナイス·マーチ💖
ベルベットな質感にうっとり…(*´-`)
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