週2日だけ公開!見沼通船堀の役宅裏…毎日見れる高低差と東浦和の「わらうだんご」 | ゆるポタで心リセット“おれ野_お散歩日記”by_✡CAMMIYA…ちょいマニアックで開運

週2日だけ公開!見沼通船堀の役宅裏…毎日見れる高低差と東浦和の「わらうだんご」

 

今回の記事は、穏やかに明るく晴れた日には水辺の散策路でノンビリお散歩したいと思っている人には、少しだけ参考になるかも?

 

JR武蔵野線の東浦和駅から南東方向へ道なりに歩いて460m・・・

 

県道103号線沿いに鎮座する附島氷川女体神社さまから、今回はお散歩スタートです♪

※埼玉県さいたま市緑区大間木1522

 

縁結びの神

道路際から約3mほどの高低差がある石階段を上ると・・・

 

正面には、きちんと小綺麗に整備された感のある境内と、厳重に鉄製フェンスで囲まれ守護された社殿が佇んでいました。

 

この神社の創建年代は不詳ですが、見沼溜井の造成によって水没した三室村内の氷川女体神社の社領二〇石分の替地が、寛永6年(1629)以降附島村内に与えられたことから・・・

■本ブログ内関連記事(氷川女体神社編)参照

 

それ以降に、社領の鎮守社として祀られたのではないかと伝えられているそうですよ。

 

主祭神は氷川女体神社と同じ奇稲田姫命(クシナダヒメ)さま・・・

※ご利益は五穀豊穣、縁結び、夫婦和合

 

すなわち、スサノオさまの奥さんです。

 

一間社流造りの小本殿は、身舎の間口が69cm、奥行61cm、向拝の出が51cmあります。

 

その周りには複数の境内社(祠)が鎮座していますが、何の神様なのかは不明。

 

残念ながら、現在の主社殿には建立年代を伝えるものは残っていませんが・・・

 

推定建築年代は、江戸時代初期と考えられているようです。

 

役人の家

参拝後は、神社からさらに350m東の県道103号線沿いに遺っている「鈴木家住宅」を見学!

※埼玉県さいたま市緑区大間木1889

 

この鈴木家は享保12年(1727)より始まった見沼干拓事業に従った家系。

 

開拓後は差配役に任ぜられ、各船に対する積荷や船頭の割り振りなど、「船割り」と呼ばれる作業を行っていたと伝えられています。

 

文政年間(1818~1831)に鈴木家が江戸の通船屋敷から、八丁堤と呼ばれる現在地へ移ったことから、この頃に鈴木家住宅が建てられたとの事。

 

付属建物のみ公開

公開しているのはたった週2日(毎週土・日曜日)だけ・・・

 

しかも見学(立ち入り)可能なのは「付属建物」と呼ばれる納屋と米蔵、そして舟小屋のみ。

※その代わり、入場無料・予約不要

 

末裔が現在も実生活を行っている家なので、主屋は非公開(立入禁止)なので要注意!

 

納屋で受付を済ませたら、パンフレット類とともに「さいたま市の水」の缶ボトルを頂きました。

 

この缶ボトルは非売品で、市民の防災意識(非常食、飲料水の備蓄)に関する啓蒙PR活動用に配布しているモノなのだそうですよ。

 

常温(冷えていない状態)とはいえ、この日は暑かったので大変ありがたく頂きました!

 

浦和区の駒場にある東浦和浄水場の井戸から採取した、水道水用の井戸水なんだそうです。

 

では、ゆっくりと江戸時代の役人宅の蔵を、見学しちゃいましょ♪

 

かつて江戸時代、ここ見沼周辺の地区と江戸との間を、芝川と見沼通船堀に船を運航させて物資の出し入れをしていたようですが・・・

 

芝川と見沼通船堀の間には約3mの高低差があり、段階的に水を溜めて水位を上げながら前に進んで行く「閘門(こうもん)」と称される関を設けてクリアしていたようですね(後述)。

※要は「閘門式運河」という事ですね!

 

広大な「見沼」が開拓された当初は南側部分のみで、ちょうど鈴木家の前を走る県道103号に八丁堤と称される堤防を築いて、北半分は溜池にしていたようです。

■本ブログ内関連記事(氷川女体神社編)参照

 

その後、徳川吉宗が将軍の時代(1728年以降)に北半分も水田化され、この場所に鈴木家が配置され、背後に見沼通船堀が設け枯れたのは既報の通り。

 

納屋は、梁間2間半×桁行6間半(3.64×11.83m)・・・

 

米蔵は、梁間2間半×桁行4間(4.56×7.28m)の規模。

※いずれも、現地案内板より

 

この米蔵と納屋は、大正12年の関東大震災で大破したが、その後修復されたものとの事。

 

大幅な改変は無いそうなので、往時の面影がしのばれます。

 

床はほとんど土間で、部分的に板の間の2階(屋根裏部屋)があるようですね。

 

う~ん、立派な米蔵だ(笑)

 

すぐ裏は、通船堀

舟小屋には、かつて見沼通船堀~芝川~隅田川(荒川)~江戸を運航していた「ひらた船」の二分の1模型が展示されていました。

 

こんな大きい船が通れるくらいに、昔は水量が多かったのでしょうか?

 

鈴木家のすぐ裏を、見沼通船堀西縁が通っているのですが・・・

 

現在の姿からは、ちょっと想像し難いですね(笑)

 

八丁橋と八丁堤

前述のとおり、芝川を越える八丁橋を挟んだ両側の現「県道103号」は、かつて見沼を南側の水田地帯と北側の溜め池に2分する堰き止め堤防でした。

 

この堤防の長さは8町(約870m)あったことから、「八丁堤(はっちょうづつみ」と称したとの事。

 

また、この八丁堤は「赤山街道」の一部にもなりました。

 

では、いよいよ見沼通船堀沿いに、水辺の散策路を歩いてノンビリお散歩してみましょう♪

 

通船堀と関(堰)場

ちょうど、先程の鈴木家の裏あたりに来ているのですが、やっぱり通船堀の南岸の側が、1段高く土が盛られた構造になっている事が、写真からでもよくわかるのではないでしょうか?

 

綺麗な人工のV字谷(堀)に、しばし見とれて立ち止まる・・・

 

現在の水量だと、さすがに船を通すことは無理ですけど・・・

 

満タンまで水量があれば、何とか運河として機能を果たせるかな?というくらいの大きさは感じさせてくれますね。

 

見沼通船堀と鈴木家住宅はセットで、昭和57年に国指定の史跡として認定されました。

 

「閘門式」の設備は、芝川を挟んだ向かい側の東縁のほうがよくわかるみたい・・・

 

復元遺構が整備されている東縁の「二の関」まで、歩いてみました♪

 

かつては芝川を挟んで、西縁と東縁の両方に2つずつ堰(関)があったようですね。

 

当時の閘門(関・堰)通過時の様子が、イラストで再現されていました。

 

当時は、大の男が20人くらいで船を引っ張るような、まさに「大仕事」だったようですよ。

 

この運河設備は、大正時代の終わりまで使われていたのだそうです。

 

おなかすいた

さて、歴史の勉強しながら歩き回ったあとは小腹が減ったので、JR武蔵野線を挟んで反対側の「駅北通り」沿いに2024年3月オープンしたばかりの「わらうだんご」さんに寄っちゃった♪

※埼玉県さいたま市緑区東浦和3-2-7

 

このお店、オーダーが入ってから焼き上げるので、ふわふわアツアツの団子を頂けます!

 

だいたい3~4分で焼きあがるのですが・・・

 

今回は、「しょうゆ(税込130円)」、「みたらし(税込130円)」、「ぶし(税込160円)」を1本ずつ購入してみました♪

 

そう!メニューの中に、一般的な餡子とかは存在せず、「甘くない大人の味付け」の団子が主役であるのも、このお店の特徴の1つなんです。

 

どうせなら、ふわふわ熱々のうちに、近所の公園のベンチで食べていきましょ・・・

 

そうだ!、先程「鈴木家」で頂いた「さいたま市の水」が、まだ残っていたぞ(笑)

 

酒のお供になる(?)

だんご・・・

「しょうゆ」は、焼き焦げ目と醤油味のハーモニーがたまらない、甘くない「大人」のだんご!

 

「みたらし」も、甘さはあるけどショウガが入って「後味スッキリ」な仕上げ♪

 

「ぶし」は、焼き団子に風味豊かな鰹節がかかっていて、酒のツマミでもいけるかも?

 

だんご自体には砂糖などの添加物を一切使用せず、米100%で作られているんですってよ!

 

いかがでしたでしょうか?

今回の記事は、穏やかに明るく晴れた日には水辺の散策路でノンビリお散歩したいと思っている人を念頭に書いてみました。

 

東浦和周辺は、最近の記事でも今回の他に2つ公開していますので・・・

■本ブログ内関連記事(氷川女体神社編)参照

■本ブログ内関連記事(民家園編)参照

 

よろしければ、そちらの記事も併せてご参照頂けたら幸いと存じます。

 

皆さんも是非とも、晴れた日には楽しく「買い食い散歩」してみてはいかがでしょうか?