お抹茶1杯1000円で売る方法…松島観瀾亭で茶菓子を頂きながら、白く輝く細波でマッタリと一服♪ | ゆるポタで心リセット“おれ野_お散歩日記”by_✡CAMMIYA…ちょいマニアックで開運

お抹茶1杯1000円で売る方法…松島観瀾亭で茶菓子を頂きながら、白く輝く細波でマッタリと一服♪

 

以前に流行った本で、「100円のコーラを1000円で売る方法」というのがありましたが・・・

 

今回は、1000円払っても良いと個人的に思った1杯のお抹茶をご紹介いたしますよ♪

 

宮城県松島町のJR仙石線「松島海岸」駅で降りてみました。

 

そうです!みんな知ってる超有名観光地「日本三景・松島」の玄関口ですね。

 

絶景の茶室

JR松島海岸駅から、遊覧船乗り場や絶景ポイントとして有名な五大堂にかけてのメインストリートである国道45号線は、その途中でクランク状に直覚的なカーブが2回続きますが・・・

 

ちょうど、そのカーブに差し掛かる地点にある「観瀾亭・松島博物館」に吸い込まれて入館。

※宮城県宮城郡松島町松島町内56 

 

この建物は、元々は文禄年中に豊臣秀吉から伊達政宗が拝領した伏見桃山城の1棟との事。

 

当初は江戸の藩邸に移築したのですが、その後2代藩主である伊達忠宗の代になり「一木一石変えず」にそのままこの地に移したものと伝えられています。

 

現在の「観瀾亭(かんらんてい)」という名は、5代藩主・伊達吉村の代に付けられたとの事。

 

拝観料は200円ですが、座敷で抹茶と和菓子のセットを600~700円で提供していましたよ!

 

藩主が納涼・観月に利用する「月見御殿」としてこの場所に移築された建物は東西に向き、京間18畳2室からなり四方縁をめぐらした簡素明快な形状ですが・・・


床の間の張付絵や襖絵は壮麗な極彩色で画かれていて、柱間1間6尺5寸の京間と、軽快な起りを持つ屋根構造から桃山時代の建築であると考えられているようです。


公式な記録によると、藩主・姫君・側室等の松島遊覧、幕府巡見使等の諸国巡回の際の宿泊及び接待用の施設となる「御仮屋」として利用されていたそうですよ。


江戸時代末期まではこの敷地内に藩主等に随行する侍の部屋や、台所、馬屋など11棟余の建物が存在していたとの事。

 

現在、眼下に松島湾の絶景を崖下に見下ろす観瀾亭は、その一部分が残存しているものだそうで、我国でも貴重な建物といえるのではないでしょうか。

 

では、県の指定文化財である藩主御殿の座敷へ通され、5分後に出てきたお抹茶と和菓子で優雅な一時を過ごさせて頂きましょ♪

 

1杯800円のお抹茶

目の前に見下ろす自然の地形が織りなす風光明媚な松島湾を航行する遊覧船が行き交う姿があり、無心でゆったりと時が経つのを感じさせる空間。

 

そんな中で頂いたのは、入館料200円+お抹茶セット代600円の、合計800円の1杯。

 

いやぁ、これは1000円くらい払っても「浸る」人が居るのではないでしょうかね・・・

 

逆に言えば、お抹茶一服1000円で売るために必要なのは、何か?という事も含め改めて実感。

 

おススメは、風が無く穏やかな快晴の日の、午前中(できれば9時半から10時半頃)

 

付いてきた和菓子(まつしま)の、餡の中に表現されたチーズクリームの模様は、松島湾の小波(さざなみ)をモチーフにしているのだそうですよ。

 

そんなことまで含め、この絶景カフェにて「まつしま」を最大限に堪能できる時間帯と気象条件に今回は偶然にも重なることができました。

 

終戦後には、昭和天皇もこの場所に泊まったみたいですね。

 

このお座敷が「本来の使用目的」を果たした、最後の姿なのかも・・・

 

一般大衆が気兼ね無く来れる場所となった現代では、風向きによってたまに入り込んでくる遊覧船のディーゼルエンジンから出る排気ガスの匂いが、ちょっと気になるのが「玉に瑕」。

 

金箔の間

立ち入り禁止になっている奥の座敷は、藩主等が利用する賓客の間。

※縁側から見学・撮影

 

床の間、襖、障子腰板に金箔を貼り、極彩色で画かれた桧と槙・笹竹等の林木花卉と渓流の図は、構図法・彩色方から伊達家お抱の狩野派系統の絵師の遺品と見られています。


床の間の「雨奇晴好」の額は、5代藩主吉村公の筆で宋の詩人蘇軾の詩から採った句との事。


欄間にかけてある「観瀾」の二文字は、7代藩主重村公によるものだと言われています。

 

徳川8代将軍吉宗公の養女が、伊達6代藩主宗村公に御嫁入する際に使われたという「長持」が展示されていました。

 

こんなものが296箱も!・・・徳川の娘の荷物を担いで東京から仙台まで持ち込まれたとの事。

 

松島博物館

一度外に出て、縁側を回り込みセコイアの化石を過ぎた敷地奥にあるのが別棟の松島博物館。

※観瀾亭拝観料200円の中に、こちらの入館料金も含まれています

 

松島にゆかりのある文化財の品々のほか、季節に応じた展示を行っているとのことですが・・・

 

観瀾亭に関する説明を、再確認する場にもなりますね。

 

観瀾亭には、江戸時代には来客者への接待を含めた建物の管理と運営を行う「御仮屋守(おかりやもり)」という管理人が置かれていたそうです。

 

また、藩主とその来客が使う観瀾亭の宿泊費の一部や、建物の修繕・草刈り等に際しては近隣の村々で費用や人員・資材の負担を行っていたそうですよ。

 

「金箔の間」の絵は国の重要文化財に指定されているので、現在は複製を展示しているとの事。

 

また、先程頂いた茶菓子のモチーフとしてだけでなく、5代藩主吉村公が名付けた「観瀾亭」という建物名こそが、そもそも「さざなみを観る屋敷」という意味なのだそうですよ。

 

旧松島駅の駅名標

現在はJR仙石線と仲良くランデブーしながら塩釜駅経由で海際を走るJR東北本線ですが・・・

 

開業当初は、今は支線で行き止まりである利府駅経由の「山線」が本線級の扱いでした。

 

昭和37年に廃止されるまでの(旧)松島駅は、現在の松島町健康館の場所で建物も現存。

※宮城県宮城郡松島町初原岩清水1-1(現在の愛宕駅から西へ815m)

 

昭和15年当時で上り(仙台方面)13本、下り(小牛田方面)14本の列車が設定されていました。

 

松島博物館における展示の目玉の1つが、直径89㎝×高さ42㎝ある木製の「防空桶」。

 

館内奥に置かれたこの桶は昭和15年に作られたもので、空襲の際に使用する防火水槽を想定していたのではないかと事。

 

五大堂前の国道45号線沿い、現在は牛タン炭焼の店「利休」付近に終戦直後まで営業していたと推定される東洋館という旅館が持っていたモノらしいです。

※宮城県宮城郡松島町松島町内112-2(牛たん炭焼 利久 松島五大堂店)

 

大正時代に建てられた木造3階建ての日本旅館だったそうですよ。

 

防空桶の周囲の壁には、海上保安庁より寄贈された明治16年に製作された松島湾の海図・・・

 

さらに寛文年間における仙台藩の領内絵図が展示されていました。

 

本来は、この博物館には約600点の資料を所蔵しているとの事ですが・・・

 

建物が手狭であることと、資料劣化防止の観点から現在は別の場所に保管しているそうです。

 

そのため、正直言って「展示が少なすぎるのでは?」と思える寂しい現状ですが、定期的な展示替えとパネル展示の充実に今後は取り組むようなので、再訪時に期待しましょう!

 

改めて、観瀾亭の周囲をもう一度・・・

 

外観はスッキリとした印象の御殿建築でしたが、中身は秀吉払い下げ品に相応しい(?)金箔を多用した姿になっていましたね。

 

観瀾亭敷地内には、童謡「どんぐりころころ」の歌碑

 

日本人なら誰でも知っているこの童謡は、松島町出身の青木存義先生が文部省在職中の大正年間に松島での幼き日を偲び作詞されたものであります。

 

松島町の防災無線で流れる曲も、「どんぐりころころ」でしたよ♪

 

いかがでしたでしょうか?

1000円払っても良いと個人的に思った1杯のお抹茶をご紹介いたしました。

 

日本三景松島の中心地にある、まさに「絶景カフェ」と言える「観瀾亭・松島博物館」は、風が無く穏やかな快晴の日の、午前中(できれば9時半から10時半頃)がお勧めですね。

 

近くには瑞巌寺もありますので、併せて散策してみてはいかがでしょうか?

 

では、今回も長文雑文乱文記事に最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。