千葉「駅ナカ」にある学校給食を思い出すコッペパン…「教室」を出て学んだ千葉の歴史文化の3ポイント
カワシマパン
「その場で選んでその場で挟む」オーダーを受けてから作るコッペパンと昔懐かしのビン牛乳。
まるで学校みたいな内装と、給食みたいな食事の画になるのが印象的なカワシマパンですが、どうやら千葉市を中心に複数店舗展開している「マロンド」「石窯パン工房」の系列みたいです。
本記事執筆時点(2020.8.1)で、コッペパン専門店をエキナカで展開している「カワシマパン」ブランドは、JR千葉駅改札内の「ペリエ」と、JR市川駅高架下(改札外)の「シャポー」の2店だけ。
このうち、今回は千葉駅でイートイン利用した時の画像を公開いたします♪
コッペパンには千葉県産の米粉を使用し、具材には千葉の食材を利用したものも取り揃えているようですが、今回はオーソドックス(個人的に一番大好き)な「粒あん&マーガリン」を選択。
実は、牛乳も複数種類から選択可能なのですが、この店のコンセプトに最も寄り添った「千葉県産ブランド」×「昔懐かし瓶牛乳」(フルヤ牛乳)を選択。
コッペパンの値段は一般的なものに比べて2倍くらい高額ですが、自家製という餡がしっとりした感じで大量生産される工場規格品には無い「手作り」感が味わえます。
パン生地も昔ながらの学校給食で出てきたパサついた感じの表面・・・近年のコンビニや大手メーカー既製品のような無理にフニャフニャ柔らかくした感覚は抑えられています。
教室の「授業」に飽きたら…
電車に乗って「課外授業」してきましょ♪
千葉城に最寄り・・・隣の本千葉駅で降りてみました。
■先ずは千葉城(市立郷土博物館)を見学/本ブログ内別記事参照
七天王塚
かつて千葉城(亥鼻城)が存在した跡に建つ千葉大学亥鼻キャンパスの敷地内外に、7つの塚が点在し、これらは牛頭天王(ごずてんのう)を祀っていることから七天王塚と呼ばれています。
このうち2つは、キャンパス外(千葉城~県立中央博物館に移動するバス路線の道端)に存在して、同じような形の塚が2か所断続的に出現することで、歴史好きの人には有名な場所。
この七天王塚に関しては、千葉氏の守護神である妙見尊(北斗七星)をあらわしている、或いは将門の七人の影武者を祀っている等の様々な見解があります。
一説には、この七天王塚は『平将門の七騎武者の墓』とも言われていて、 将門滅亡後、その一族である千葉氏が北斗七星の塚を築いたとか・・・。
平将門と千葉氏の関係については■本ブログ内関連記事(千葉城編)で言及しているので、よろしければご高覧頂ければと存じます。
現在、七天王塚は、大学構内に5箇所、構外に2箇所という構成で配置されており、地図上で配置された地点を線結ぶと、若干形は歪なものの、確かに北斗七星に見えなくもないですね。
千葉県立
中央博物館
「総花的」な展示内容で、得た知識が自分の頭の中で消化不良を起こしそうだけれども、盛り沢山の展示物があって、じっくり見ていると時間が足りなくなりそう・・・
逆に言えば、これだけぼボリュームの展示物があって、入館料たったの300円というから驚き!
(他都道府県も見倣ってください)
動植物(とくに虫と魚介類)の標本が豊富なので、教科書や参考書の知識しかない人が、ここで「実物」を見ることで、理解度をさらに掘り下げて深めることができそうですね。
チバニアン
残念ながら、「何が逆転したのか?」が素人で1目で地層を見て理解できるほど簡単ではありません(目に見えて地磁気の逆転を感じることはできません)。
地層の中の鉄分には、当時の地磁気の向きが記録されており、この鉄分を調べることで、地層から地磁気が現在の向きに移り変わる様子が観察できることが分かったのだそうです。
私たちがコンパスを使うとN極が北を指すように、地球は大きな「磁石」として存在・・・地層のある部分を境目にして、現在の北極はS極に、南極はN極になっているとの事。
地球の長い歴史の中で、このN極とS極は度々逆転してきたことが、この地層の中の鉄分を取り出して調べた結果、判明したのだそうですよ。
柳の木
洪水の時に倒木・横転し、土石流に埋没した木が「根」となって、そこから新たな芽を再生し生き残って元の木々が鬱蒼とした河原の状態に戻るそうです。
柳の木って、生命力に溢れてますね・・・感動しちゃいました。
千葉県立中央博物館のある一帯は、青葉の森公園という都市公園(広域公園)で、かつて農林水産省畜産試験場の跡地につくられ、1987年(昭和62年)に開園。
自然が多く、桜や梅の名所で、陸上競技場などのスポーツ施設や博物館や文化ホールなどの文化施設も充実しています。
家族連れで楽しむことができるほか、芸術文化ホールでコンサートが開かれたり、スポーツプラザを利用して小中学校の総合体育大会などの体育行事が行われたりもする千葉市民の憩いの場として広く親しまれています。
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千葉県千葉土木事務所の管内図と、昭和43年の1/25000旧版地形図「千葉東部」を比較。
大正15年の橋
帰り道は千葉寺(■本ブログ内関連記事参照)の側を通ってJR本千葉駅へ向かう途中、千葉県道20号(大網街道)沿いに大正15年竣功を記す橋の欄干を見つけました。
本記事内上掲の千葉土木事務所管内図によると「弁財天橋」という名らしいのですが、川は既に暗渠化されていて、河川名は不明(県管理では無いようです)。
いかがでしたか?
皆さんも是非とも、先ずは「ご近所散歩」から歴史的遺構を見つけてみてはいかがでしょうか。
そして、小腹が減ったらコッペパンと牛乳でパワーチャージ!ですね♪