力尽きる前に「玉台」で休憩だ!…鬼怒川に架かる玉台橋&常総ニュータウンをポタリング☆彡 | ゆるポタで心リセット“おれ野_お散歩日記”by_✡CAMMIYA…ちょいマニアックで開運

力尽きる前に「玉台」で休憩だ!…鬼怒川に架かる玉台橋&常総ニュータウンをポタリング☆彡

玉台橋(鬼怒川右岸)にて、、、

かつて鬼怒川は玉台橋経由ではなく、当地よりやや上流(つくばみらい市寺畑)で小貝川に合流していたが、江戸時代初期における利根川東遷事業の一環で掘削され、鬼怒川全体としては最下流に位置するにも関わらず台地の間を貫いている。

(茨城県常総市内守谷町きぬの里2丁目にて本ブログ管理者2018.7.1撮影)

常総ニュータウン(鬼怒川左岸側)

常総ニュータウン(じょうそうニュータウン)は茨城県常総市・つくばみらい市・守谷市・取手市に跨って開発が行われた大規模ニュータウンであり、開発主体は日本住宅公団(後の住宅・都市整備公団→都市基盤整備公団→都市再生機構)。

開発面積約850ha、計画人口90,000人(105.9人/ha)。

東京23区の過密化が進み、人口を分散させる狙いで1966年(昭和41年)6月に制定された首都圏整備法に基づき、近郊整備地帯に計画されたニュータウンである。

当時の東京圏内では開発が進み、常総ニュータウン近辺でも取手市の国道6号両側などで乱開発が行われていた。

これに対して日本住宅公団は乱開発が行われることで、将来道路や施設を整備するにあたって経費や手間が余分にかかってしまうこと、災害への対応が難しくなることを挙げ、1971年(昭和46年)に建設が始められた。

このうち、写真の「北守谷地区」は、常総ニュータウン最大規模の地区で、ニュータウンの中心地区と位置づけられている。

御所ケ丘、久保ケ丘、松前台、薬師台で構成され、開発初期は「常総ニュータウン守谷」と呼ばれていた。

地域内には新守谷駅があり、各地区は遊歩道で結ばれている。

開発面積260.5ha、計画人口32,000人(約8000戸、122.8人/ha)。

街開きは1982年(昭和57年)4月1日で、

街開き初期の入居者は1600人(419戸)であった。

ちなみに、

平成22年国勢調査データで見る現況は以下の通りである。

(茨城県守谷市松前台・久保ケ丘にて本ブログ管理者2018.7.1撮影)

松前台2丁目(60人/ha)

  65歳以上人口比率14.7%、一戸建66.8%、持家率63.9%

  (住人類型)製造業従事者25.3%、専門・技術系18.6%

久保ケ丘3丁目(85人/ha)

  65歳以上人口比率24.4%、一戸建99.3%、持家率92.5%

  (住人類型)卸・小売業従事者16.7%、事務系24.6%

常総ふれあい道路に沿って走る

常総ふれあい道路(じょうそうふれあいどうろ/Jōsō fureai dōro Ave)は茨城県取手市新町二丁目の取手駅西口交差点から、守谷市内を経てつくばみらい市小絹の国道294号結節点へと至る1989年(昭和63年)4月10日に開通した道路の通称。

常総ニュータウン戸頭・南守谷・北守谷・絹の台の各地区やヒルズ美園を通過する、地域の主要道路となっている。

全線にわたって並木道が形成されており、ニュータウンや利根川および鬼怒川沿いの自然溢れる街並と調和した通りとなっている。

(茨城県つくばみらい市絹の台にて本ブログ管理者2018.7.1撮影)

写真の「絹の台地区」は車道区間と歩行者専用道路区間の入り交じるやすらぎの小路をはじめ、街路樹やカーブを用いて車の進入速度を抑えたり、統一感のある落ちついた街並を形成し、常総ニュータウンを代表する住宅街となっている。

地域内には小絹駅があり、北守谷地区と隣接している。

かつては小絹、筒戸の各一部で、森林や畑が広がる地域であった。

昭和末期になると常総ニュータウンの一地区として、小絹土地区画整理事業が行われ、1989年(平成元年)7月30日の街開きと共に「絹の台」として独立。

全域が住宅街として人口が増え、1994年(平成6年)4月1日には地域内に小絹中学校が開校している。

開発面積85ha、計画人口7,400人(87人/ha)

現況人口は3,558人(41.9人/ha*2017.8.1)。

玉台橋左岸で県道3号線と十字交差

茨城県道・千葉県道3号つくば野田線(いばらきけんどう・ちばけんどう3ごう つくばのだせん)は、茨城県つくば市から、常総市、坂東市を経て、千葉県野田市に至る東西約27kmの県道(主要地方道)である。

並行する道路として、北側の国道354号と南側の都市軸道路の中間に位置し、茨城県南地域と千葉県野田市を連絡する重要な幹線道路となっている。

(玉台橋にて本ブログ管理者2018.7.1撮影)

玉台橋

内守谷町(茨城県常総市)と小絹(茨城県つくばみらい市)の間の鬼怒川(江戸時代初期に掘削された区間)に架かる橋である。

現地看板によると、この橋(右岸=常総市側)一帯の台地は「玉台」という通称地名(かつての小字)で呼ばれているが、戦国末期に追手によってこの地で落命した「お玉の方」に因んだ地名なのだとか、、、

お玉の方は小田原北条氏側についた菅生城主(現在の茨城県常総市菅生=玉台橋の北西へ直線距離2.6km)菅生越前の守の妻であり、『東国戦記実録』という真偽不明の軍記物では、1560年、弓田城の染谷氏を攻撃中に、逆に馬洗城の横瀬能登守永氏に菅生城を攻め落とされ、胤貞は討死し、落城によってお玉の方はこの地まで逃げてきたが、遂に力尽きたと伝えられている。

尚、菅生城における発掘調査の結果、堀跡から小田原北条氏の城に多く見られる畝堀が検出されたらしく、北条氏やその傘下に属していた下総相馬氏との結び付きが推測される。

菅生氏の系譜は不明であるが、名前に「胤」の字があるところを見ると千葉氏に連なる家系であることが推測され、位置関係からすると、やはり小田原北条氏側についた守谷城主下総相馬氏の一族ではないかと思われているようだ。

(茨城県道3号線にて本ブログ管理者2018.7.1撮影)

鬼怒川右岸にも拡がる常総ニュータウンの続き

常総市域には、常総ニュータウン唯一の工業地域である大生郷工業団地地区、現在住宅が増えつつある新興住宅街のきぬの里地区がある。

このうち、「きぬの里地区」は、内守谷町きぬの里1丁目から3丁目まであり、戸建が中心の住宅街で、現在開発中である。

2003年(平成15年)に内守谷町から新設された地区で、天然温泉きぬの湯(後述)、KASUMIきぬの里店があるほか、隣接する区域に内守谷工業団地がある。

開発面積約66.3ha、計画人口約5,400人(81.5人/ha)。

当地域の2007年4月1日時点における人口は667人であったが、2017.7.1現在の人口は2819人(42.5人/ha)である。

常総ニュータウンの街びらきが行われている地区では一番新しく、住宅地の緑化に関する「きぬの里・花のまちづくり協定」が結ばれ開発途上であり、地域の中央をしらかし通り(県道3号線)、南部をさくら通りが通り、地域内は戸建が中心の住宅街となっている。

しらかし通り以北と、地域の西端は工業地となっている。

元は内守谷町鹿小路(かなこうじ)・鹿口大作(かなこうじおおさく)・須立山・玉台・溜井・長之入の一部で、全域が農地となっていた。

地域の北東部から西部にかけては谷津田で、その他は台地となっていたが、常総ニュータウンの開発によって現在はほぼ平坦な地域となっている。

(茨城県常総市内守谷町きぬの里2丁目にて本ブログ管理者2018.7.1撮影)

きぬの里地区にある「きぬの湯」で休憩

ちょっと料金割高だけど、

休日でもそれほど混んでないし、

源泉がたっぷり掛け流される露天風呂が魅力。

■本ブログ内関連記事参照

(茨城県常総市内守谷町きぬの里1-5-6/浴槽写真は公式HPより引用)

「長居三拍子」揃った館内

源泉風呂は37℃前後でゆっくり長湯できる。

館内レストランでは地場のブランド肉を堪能♪

温まって腹も膨れた後はゴロ寝でリラックス☆彡

■本ブログ内関連記事参照

(茨城県常総市内守谷町きぬの里1-5-6/浴槽写真は公式HPより引用)