北本通り(国道122号“岩槻街道”)が直角カーブする理由は、何か?・・・「赤羽岩淵」お散歩♪編
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北本通りと環八通りが交差する「赤羽」交差点
国道122号(岩槻街道)に沿って行こうとすると、
埼玉方面から来て荒川を越え200m先の信号で
左折メインの標識が出る。
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昔の岩槻街道は「真っ直ぐ」→赤羽駅経由だった
JR線の高架手前にある寺(宝幢院)の門前に、
岩槻街道(日光御成道=現国道122号の前身)と
板橋街道の分岐を示す古い道標が残存している。。。
明治13年の旧版地形図からもハッキリ読み取れる♪
(東京都北区赤羽3丁目にて本ブログ管理者2017.9.3撮影)
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高架化される前の名称は「板橋街道踏切」
赤羽駅が明治18年に開業した頃の場所は、現在のビーンズ赤羽(高架下店舗)内にあるビバホーム付近だったようだ。
現在の京浜東北線が赤羽まで伸びる昭和3年に、
南へ約300m移設して今に至るのだそうだ。。。
(東京都北区赤羽1丁目にて本ブログ管理者2017.9.3撮影)
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岩槻街道「岩渕渡船場跡」と岩渕宿「小山酒造」
旧岩渕街道(日光御成道)は、赤羽駅前から線路の西側に沿って
十条・王子(西口)・西ヶ原・駒込を通って、
現在の東大前(中山道=国道17号)に合流する経路を辿っていた。
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後身の国道122号(現道)は、
昭和2年の路面電車開通に伴い開通した近代的な車道
(現在の「北本通り」)へ東に大きく迂回し、
王子駅(東口)で明治通りを経由し、
西巣鴨で国道17号「中山道」に繋がる道筋に付け替えられている。
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東京23区内に2件しか無い「造り酒屋」の地酒を呑む
2016年(平成28年)7月に港区に東京港醸造が開業するまで、東京23区内に唯一残る造り酒屋として知られていた。
(ダイエー赤羽店にて本ブログ管理者2017.9.3購入実飲)
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東大前の国道17号「中山道」合流点
本郷通りが昔の岩槻街道(日光御成道)だったのだ。
だから、本来ならば国道122号の終点は、
西巣鴨ではなく、この場所こそが相応しいと思うのだが、
本記事内先述のように、
明治通り・北本通りへ付け替えられてしまった。。。
(東京都文京区弥生1丁目にて本ブログ管理者2017.9.3撮影)
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本郷通りのバス停に残る「追分」の地名
東大前が中山道と岩槻街道の分岐点であった数少ない名残。
(東京都文京区向丘1丁目にて本ブログ管理者2017.9.3撮影)
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西ヶ原一里塚
西ヶ原一里塚は、江戸の日本橋から日光まで続く「日光御成道」の二里目の一里塚で、徳川時代に設置されたままの旧位置を留めている。
大正時代に道路改修工事にともない撤去されそうになったが、実業家の渋沢栄一等を中心とする地元住民の運動によって塚の保存に成功。
大正11年3月8日、国史跡に指定。
(東京都北区西ヶ原2丁目にて本ブログ管理者2017.9.3撮影)
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滝野川公園
この周辺は御殿前遺跡と呼ばれ、昭和57年に都内で初めて豊島郡衙(ぐんが・古代大律令制時代における郡の役所)が発掘された。
但し、江戸時代には
将軍が鷹狩りに使う森「御殿山」に変わってしまっている。
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また、この公園の奥には
近代農業の研究施設・農事試験場跡地の碑がある。
(東京都北区西ヶ原2丁目にて本ブログ管理者2017.9.3撮影)
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十条富士塚と岩槻街道・日光御成道
都市計画道路「補助83号線」工事に伴う道路拡幅で、
富士塚の東側半分が削り取られる運命にある。
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「補助83号線」は、歩道4.5m×2+路側帯2.5m×2+車道3m×2=片側1車線の幅員20m街路として工事が進められている。
既に整備中の赤羽駅西口本通りのような姿になるようだ。
今の東十条駅西口付近の景観も一変することだろう。
(東京都北区中十条2丁目にて本ブログ管理者2017.9.3撮影)