ぎっしり湯の華☆彡詰まったパイプが「天然温泉」の証♪×ダブル女体神社! | ゆるポタで心リセット“おれ野_お散歩日記”by_✡CAMMIYA…ちょいマニアックで開運

ぎっしり湯の華☆彡詰まったパイプが「天然温泉」の証♪×ダブル女体神社!

縄文天然温泉「志楽の湯」

2002年に閉鎖された半導体工場跡を再開発し湧出させた天然温泉。

九州の黒川温泉(後藤哲也氏)のアドバイスを受け、信州八ヶ岳から230トンの安山岩を運び、九州・飛竜野山頂からコナラなどの自然木を運び植栽。

「もう一度この地を原点である縄文時代の森に戻してみること」をコンセプトに設計された温浴施設なので、日本の田舎にある昔ながらの鄙びた温泉・森の中にある秘湯のような雰囲気の佇まいだが、

ここは人口140万人の大都会「神奈川県川崎市」を代表するJR川崎駅から北西約1.5kmしか離れていない中層のマンションが建ち並ぶ住宅街のド真ん中。

□外部リンク参照

(川崎市幸区塚越4-314-1/本ブログ管理者2016.10.8撮影)

複数の棟から成る分節構造の建物

今流行りのスーパー銭湯とはかなり異なる施設内部イメージ。

浴槽(内湯・露天)や洗い場にも、

今時の「常識」に逆らって足元に引っかかる様な大きな石を置いてある。

上述の黒川温泉(後藤哲也氏)の指導のもと「現代人が失っている生命力・自然治癒力を蘇らせる」というコンセプトで、敢えて(人間が本来持つ)自分の身体の危機に対するコントロール能力を回復させる目的で、リスクを承知の上で設計したのだそうだ。

正直、眼鏡を外すと裸眼視力0.1以下の「ド近眼」である本ブログ管理者にとっては、黒を基調とした内装および黄色掛かった薄暗い自然光の照明と相まって、最初は慣れるまで恐る恐る歩かなければならないので正直面食らった。

完全バリアフリー構造&平たく広い今流行りのスーパー銭湯型で設計された温浴施設とは完全に一線を画す

まるで本物の古い歴史ある温泉旅館に居るかのような雰囲気

でも、この施設は最近出来たばかりの新しい施設。

まぁ、「慣れ」だね。

本来、人間には環境適応能力があるのだと思う。

それを信じよう。。。

「縄文の湯」というだけあって、

縄文土器もインテリアとして風呂へ行く廊下の途中に飾られていた。

(川崎市幸区塚越4-314-1/本ブログ管理者2016.10.8撮影)

パイプの目詰まりが「天然温泉」であることの証

地下1300mから湧出する100%天然温泉を使用。

地下深くに眠っていた太古からの化石海水の湯。

小川のせせらぎの音に似た湯の流れ出る音が心地良い。

心身ともにリラックスできる空間が、ここにある。

(浴槽写真は施設公式HP□外部リンク参照より引用)

畳敷きの喫茶軽食コーナーでは玄米を使ったメニュー

玄米を使った「わかめおにぎり」は1個170円。

単品でも売ってくれるが、

650円から有機無農薬の菜食惣菜や味噌汁を組み合わせたセットメニューや、玄米を使ったカレーライスも用意されている。

やはり、こちらも「健康(身体の免疫力回復)」がテーマのようだ。

さらに、その奥には別棟に蕎麦レストランがあり、地酒も楽しめる。

(川崎市幸区塚越4-314-1/本ブログ管理者2016.10.8撮影)

昼寝ができる畳敷きの「お休み処」は、さらに別棟の奥まった場所にある。

正直、慣れないと「迷路」のようだ(笑)。

川崎駅西口

本ブログ管理者2016.10.8撮影

東京起点18.2km地点。

2014年度平均乗降客数408,306人/日。

(JR東日本の駅では秋葉原駅に次ぐ第10位)

■本ブログ内関連記事参照

川崎駅西口にある「女体神社(女躰大神)」

現地案内板によると女躰大神の創建年代は不詳ながら、当地旧南河原村は大田区六郷の農民が移住して開拓、氾濫を鎮めるために身を投じた女性を祀り、村の鎮守社としたとある。

明治6年「村社」に列格。

「南河原村」の名称は多摩川の南側にあたることに由来。

(川崎市幸区幸町1-994/本ブログ管理者2016.10.8撮影)

ちなみに埼玉県春日部市にも「女体神社」が存在する。

■本ブログ内関連記事参照

国道1号「第2京浜」で東京都内を目指す、、、

川崎市幸区遠藤町にて本ブログ管理者2016.10.8撮影

遠藤町(えんどうまち/神奈川県川崎市幸区)

住居表示は未施行。

2010年の国勢調査時点での面積は7.31 haであり、2012年6月30日現在の人口は1,375人(588世帯)、人口密度は18,816人/km²

正式な読みは「えんどうまち」であるが、一般には「えんどうちょう」と読まれる。

江戸時代の当地は一面の水田であったそうだ。

その頃には、現在の地名で言えば川崎区観音にある石観音堂が栄えていたが、周囲の地名が「遠藤野」であり、遠方からの参拝客は「遠藤耕地」であった当地と混乱したという。

地名の由来は戸手の小字であった遠藤耕地に由来するが、それ以上のことはわかっていないようだ(但し、現在の「遠藤町」の範囲は、旧・遠藤耕地だけでなく、下河原耕地も一部が含まれている)。

■本ブログ内関連記事参照

遠藤町交差点の近くにも「女体神社」

神奈川県神社誌によると、この「紺屋町女體神社」は、本記事内で上述した「南河原村の女躰神社」を分祀して永禄年間(1558-1570)に創建、大正年間に戸手神明大神に合祀されたものの、戦後戸手神明大神より復祀して、当地に祀ったのだそうだ。

「戸手中部町内会館」の敷地内にある。

(川崎市幸区紺屋町12-1/本ブログ管理者2016.10.8撮影)

紺屋町女躰神社の周辺

国道1号「第2京浜」の北側1本裏手の路地に

川崎駅西口の「女躰大神」から分祀された女躰神社がある。

(川崎市幸区紺屋町・遠藤町にて本ブログ管理者2016.10.8撮影)