掘り起こせ!埋め立てられた歴史…「上喜蔵河岸」&「女体神社」@粕壁宿を散歩する♪
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「クレヨンしんちゃんの街」へ、地下鉄から直行!
東京メトロ半蔵門線「表参道」駅にて本ブログ管理者2016.12.2撮影
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休日の早朝に、春日部駅東口を散歩する♪
ここは
駅前ロータリーからのメインストリートと、
旧日光街道筋が十字路交差する地点=↓地図中⑩。
(「公園橋西」交差点にて本ブログ管理者2016.12.3撮影)
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日光街道「粕壁宿」
江戸後期の人口は3701人。家数は773軒。
45軒の旅籠があったそうだ。
毎月「4」と「9」の付く日は定期市が開催されていたらしい。
↓地図中⑧地点を⑩方向へ向かって撮影。
(埼玉県春日部市粕壁2丁目にて本ブログ管理者2016.12.3撮影)
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新町橋の傍にあった「上喜蔵河岸」跡
春日部市郷土博物館の模型から推測すると、
恐らくは、現在は埋め立てられて
マンションの敷地になっているものと思われる。
十文橋(↓地図中⑤)から新町橋(地図中⑥)方向を撮影。
河岸の推定位置は、地図中⑦の場所。
(県道85号「十文橋」にて本ブログ管理者2016.12.3撮影)
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女体神社
埼玉県春日部市梅田1-2-31/本ブログ管理者2010.1.29撮影
(↓地図中①)
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粕壁宿の東西両端部には、寺が多い
1/50000地形図「野田」平成17年+グーグルマップに加筆
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本ブログ内「春日部シリーズ」
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成就院
真言宗智山派の寺院。
正面に見えるのは同じ宗派の寺院である「普門院」。
地図中⑨地点にて、、、
(埼玉県春日部市粕壁3-9-28/本ブログ管理者2016.12.3撮影)
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女体神社の拝殿
再び地図中①地点にて、、、
(埼玉県春日部市梅田1-2-31/本ブログ管理者2010.1.29撮影)
埼玉県では有名な
「氷川女体神社(氷川女體神社)」とは祭神が異なるらしい。
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「女体」とは、
女性の守護神(すなわち女性の身体)ではなくて、
「女直(女真)」であるという説がある、、、
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女真(女眞、じょしん)は、女直(じょちょく)ともいい、
中国東北部の松花江一帯から外興安嶺(スタノヴォイ山脈)以南の外満州および朝鮮半島北部にかけて居住していたツングース系民族。
10世紀ごろから記録に現われ、
17世紀に「満州」(「マンジュ」と発音)と改称した。
「女真」の漢字は
女真語の民族名「ジュシェン」(または「ジュルチン」)の当て字。
*出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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女体神社の境内にある「力石」と「夫婦檜」
埼玉県春日部市梅田1-2-31/本ブログ管理者2010.1.29撮影
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再び、十文橋付近の様子
十文橋(↓地図中⑤)から新町橋(地図中⑥)方向を撮影。
上喜蔵河岸の推定位置は、地図中⑦の場所。
(県道85号「十文橋」にて本ブログ管理者2016.12.3撮影)
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女体神社から春日部駅(東口)までの道程
古い商家建築が残っている。
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しかしながら、、、
低層の昔ながらの町家に隣接する位置まで
高層マンションが迫ってきている。
(埼玉県春日部市粕壁/本ブログ管理者2010.1.29撮影)
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あま太郎
女体神社方面から駅へ向かって歩くと
「 ■歩き食べ 」需要を満たすお店を発見♪♪★★
(↑地図中③)
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かつては、チェーン店だったようです・・・・・
(埼玉県春日部市粕壁にて本ブログ管理者2010.1.29撮影)
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「あま太郎焼(甘太郎焼)」とは、今川焼(大判焼き)のこと
実は、千葉県の成田山へ行く参道にも似たようなお店が存在。
( ■本ブログ内記事/成田編参照 )
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「今川焼き」の名称は、江戸時代中期の安永年間に、
江戸・神田「今川橋(今川善右衛門が架橋)」近くの店から
この種の焼き菓子が売り出されたことによる。
この商品が評判になったため、
今川焼きという商品名が一般名詞化し、
各地に広がったそうだ
(戦国大名の今川氏を語源とする説は否定される事が多い)。
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今川焼きの名称は全国的なものではなく各地により呼び名が違う。
地域によって特定の名称以外は使用されていなかったり、
人によって違う場合もある。
特に西日本では違う名前で呼ばれる事が多い。
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大判焼き(小判焼き)・二重焼き・回転焼き(回転饅頭)・きんつば・おやき(長野県のおやきとは異なる)など、形状や製法に基づく名だけではなく、
甘太郎焼・七越焼き・義士焼き・太鼓焼き・太閤焼き・夫婦まんじゅう(フーマン)・太鼓饅頭・蜂楽饅頭・あじまんと店名などでも呼ばれている。
また、
店名だけではなくJRAの競馬場内で販売する「G1焼き」など、
発売場所のイベントや祭りに関する名称を付けている場合もある。
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ちなみに、宮城県仙台出身の本ブログ管理者は
「大判焼き」の名で親しんでいた。。。。。
現在も、埼玉の飯能や千葉の野田、前橋、茨城では、『甘太郎焼』の名で、「名物」として店を構えていることが多い。
(埼玉県春日部市粕壁にて本ブログ管理者2010.1.29撮影)
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春日部駅(かすかべえき)
埼玉県春日部市粕壁1丁目10-1にある、東武鉄道の駅。
旧称は粕壁駅。
伊勢崎線(「東武スカイツリーライン」の愛称区間に含まれる)と野田線(愛称「東武アーバンパークライン」)が交差し、接続駅となっている。
2015年乗降人員73,634人/日。
開業年月日 1899年(明治32年)8月27日
距離程 伊勢崎線35.3km(浅草起点)、野田線15.2km(大宮起点)
(↑地図中④の位置)
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ホームは3面5線の地上駅で、
東口・西口それぞれに駅舎と改札口がある。
駅舎と各ホームは南・北2本の跨線橋で結ばれているが、
東西の自由通路のような機能はない。
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構内には貨物営業を行っていた時の名残で中線があり、
現在は回送列車の待避等に使用されている。
この中線にも番線が割り振られているので、3面5線の構造ながら、
野田線は「7・8番線」とされる。
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春日部市では
中心市街地が伊勢崎線・野田線により東西に分断された状況を解消するため、長年に渡り春日部駅の高架化を要望してきた。
歩行者は駅舎に自由通路がないので駅から約200m南にある地下道を通って行き来し、車は約400m南の内谷陸橋か、約200m北の伊勢崎線第124号踏切を使用せざるを得ない。
124号踏切は地元では「大踏切」と呼ばれ、
埼玉県内でも有数の開かずの踏切として有名。
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2005年度に県事業の国庫補助事業である「連続立体交差事業」の着工準備採択となり、現在、どのように立体化するかも含め、
県・市でまちづくりの計画・検討を進めているようだ。