老いた桃の少年の話 | スギモト ダイキノ ブログ

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自分の
居る場所が
自分の
居場所になれ。

老いた桃の少年の話

 

少年が少年だった頃
少年の力ではどうしようもない世界に置かれて
少年は、そうだ我慢すればいいのだ、そういう最高の作戦を立てました。
感情のスイッチを切り、
心のライトを消して、
思いの窓に鍵を掛け、
言葉のフタを閉じ
めでたく少年は痛くもかゆくもない
そういうつもりになれました。
わざと滑稽でふざけた格好をして
そのまま大人になりました。
しかしふと、
なぜ私は今もこんな姿でいるのだろうかと思いました。
時代は変わり、もう我慢する必要はない。
だがしかし、戻り方を思い出せない。
感情のスイッチの位置を、心のライトのつけ方を、

鍵の在り方を、フタの開け方を、
随分老いた少年は忘れてしまいました。

けれども、通り過ぎる街の中で
桃の姿をしたちいさな少年に出会いました。
私は私の戻り方を忘れてしまったが、
何か少し思い出せることがある。
そんなにスイッチを切らなくていいし
そんなに鍵を隠さなくていい
時々私に会いにきて
こっそりライトをつけておくれ
そしたら君は忘れないだろう。
ライトのつけ方を忘れないだろう。

少年は「またね。」と手を振り笑って、

溶けそうなアイスを食べながら

壊れそうな家に帰っていきました。

 

 

 

 

テレビを買い替えて、

今までと同じものを見てるはずなのに全く別の何かが目の前にあるような

そんなことを考えながらチップスターをかじった週末。

 

 

5月12、13日のデザインフェスタの展示を見に来てくれた方々、ありがとうございました。

即興でその場で描いた絵を売るのがとても好評で、

物語を気に入ってくれた人も沢山いて

そこに立ってる意義のようなものを感じた。座ってたけど。丸椅子に。

 

インターネットであれリアルであれ

何年前のあの時から見ていました、って

何年も経ってから話しかけてくれる人が時々いて

じゃあ例えば今この瞬間が、

いつか知り合う誰かにとっての何年前かもしれないなと、よく思います。

 

なので、いつの時も金太郎飴みたいに、どこ切っても「自分」だったなあといえるような

そんな日々がいいなあ。

 

 

 

ガリガリくんを食べたら当たりが出た。

続けて食べたら寒くなった真夏日の夕暮れ。