3月26日、大好きだった祖母が101歳で亡くなりました。
3月23日の妹の結婚式を見届けてから、とでも思っていたのでしょうか。
その翌日から急に飲み物含め食事がとれなくなったということでした。
普段実家には2,3か月に1度行かれればいい方なのだけど、20日頃だったかな。そのくらいからおばあちゃんの調子が悪いと連絡をもらっていて、何かあればすぐにでも行かなければと思いながら、毎日母に電話で様子を確認していました。
妹の結婚式も無事に済み、24日はゆーちゃんも疲れていたようだったし、25日は天気も悪かったので、26日に会いに行くことに。
途中乗り換え駅で連絡したら、朝から発熱しているとのこと。
電車は各駅で1時間半ほどかかるのだけど、気ばかりが焦る中実家へと向かいました。
着いたらちょうど往診の先生が帰られるところで、今日か明日か…と言われたということでした。
すぐにおばあちゃんに会いに行くと、熱があるからか息が上がっていて少し苦しそう。
声を掛けたけれど、目は開かないし、寝ているのか起きているのかもわかりませんでした。
しばらくして息の調子は落ち着いてきて。
3時半頃ゆーちゃんがお昼寝をし、母は薬局等へ用事を済ませに出掛けたので、しばらくおばあちゃんの隣で過ごさせてもらいました。
手を握らせてもらって。
元気だった時みたいに少しだけ話を聞いてもらって。
そしたら、開かないんだけど目は一生懸命開けようとしているかのように動いて。
口も少しだけもごもご動いて。
握っている手もかすかに動いて。
あったかかった。
後はただ手を握ってしばらく座ってました。
夕方旦那さんが仕事を早く切り上げてくれて、万が一泊まりになった時のために私とゆーちゃんの荷物を持ってきてくれました。
不思議だな、というか、おばあちゃんらしいなと思ったのは、
旦那さんと一緒に再び部屋に行ったとき、心なしかおばあちゃんがシャンッとしたこと。
私だけじゃなく、旦那さんもそう感じたそうなので、きっとそうだったのだと思います。
いつも旦那さんがあいさつに行くと、ベッドに寝ながらも、「なんにもお構いできなくて。」って気にしてたので、あの時も発熱しながらもきっと気にしてくれたんだと思います。
向こうでお母さんにお夕飯御馳走になるから大丈夫ですよ。って言ったら、なんとなく安心したように感じました^^
まぁ、小さな空気の変化だけれども。
*****
そして8時過ぎ。
家族が見守る中、静かにおばあちゃんは息を引き取りました。
普段なかなか会えないのに、最期に立ち会えてよかったです。
おばあちゃんが呼んでくれたのかな。
ありがとうって言えてよかった。
昨日すべてが済みました。
もう会いに行ってもいないんだなと思うとさみしくなるけど、でも101歳。
大往生であったと思います。
今頃ゆっくりお茶でも飲んでてくれてるといいな。
妹の結婚のお祝いに今月8日実家に行ったときに話したのが最後でした。
あの時はまだしっかり話ができたのにな。
おばあちゃんは天ぷらを作るのが上手で、とっても美味しかったんです。
いつだったのかずいぶん前、小学生?中学生?の頃にうちに来て天ぷらを作ってくれたときに、私にも教えてくれました。
お出汁をきちんととること。
にんじんやゴボウはきちんと長さを揃えること。
ナスの切り方はちょっと変わってたなぁ。
衣には氷を入れること。
などなど。
今でもあの時の光景は不思議としっかりと覚えています。
でも!
いま、同じように作ろうと思っても、どうしてもニンジンだけはおばあちゃんのように見た目がきれいにできないんです。
だからニンジンの天ぷらのコツを聞きたいとずっと思ってました。
それで、最後の会話。
「おばあちゃんに天ぷらの作り方を教えてもらいたいと思って。」
「かーんたん(笑)」
「でもおばあちゃんみたいに上手に作れないの。」
「上手じゃないよ(照れ笑い)」
あとはもうなんか私が泣きそうで、おばあちゃんも疲れたのかそれ以上しゃべらなくなっちゃったのでそれで終わりましたけど、でも、おばあちゃんは私の目をじっと見つめて、何度も何度もまばたきをして、何かを伝えようとしているかのようでした。
「疲れちゃった?ありがとね。」って言って、それでその時は終わりました。
おばあちゃんの天ぷらが再現できるように、これから修行したいと思います^ ^*
あとはね。おばあちゃんが寝ていて、こっちが心配して「元気?大丈夫?」って聞いているのに、いつも、「げーんき。あんたは元気なの?」とか「あんたんとこはうまくやってるの?」ってこっちを心配してくれていましたね。
大丈夫です。
私たちは元気だし、旦那さんとも仲良くやってます。
安心して見守っていてね。
おばあちゃん、大好きでした。
いっぱい面倒見てくれてありがとう。
大好きだったお茶とお煎餅でゆっくりしてね。