五十路は人生半ばなり -5ページ目

五十路は人生半ばなり

2014年7月に好酸球性多発血管炎性肉芽腫症(アレルギー性肉芽腫性血管炎、チャーグ・ストラウス症候群)という難病を発症。
退院後4カ月でプレドニンの処方も0mgになり、現在はほぼ健康人と同じ生活。あたふたと再起のための仕事の準備を進めている。

今年最後の定期健診日。今日は薬を貰うだけではなく血液検査と尿検査も行った結果、まさかのプレドニン 0mg。2mgから一気に 0mgだから不安は残るものの、考えてみれば前に 0mgになったときも 5mgから 2.5mg、それで 0mgだったから、特に大胆な断薬というわけでもない。

 

前の時は 0mgになってから 1年弱で喘息症状で呼吸困難になったりしたので、今回はどうなるか。1年間無事に過ごせたら、第一段階クリアのような感じになるだろうか。もし「おかしい」と感じたらシムビコートを2吸入くらいして様子を見てくださいということだが、やってみるしかないだろう。

 

検査の結果は好酸球値が 1.4%。白血球が 7100だから、まあ標準値。ただし前回も言われた悪玉コレステロールが標準値より高く、今回からコレステロールを抑える薬を服用することになった。前回言われた尿酸値は、今回は薬で標準値内にコントロールされている。

 

私が通う病院は戦時中から建っているオンボロ国立病院なのだが、敷地内で何か工事してるなと思っていたら新病棟だそうで、何だか凄い病院になりそうだ。今でも待ち時間が2時間なんてザラなのに、もっと混むようになると困るなと思うものの、徒歩15分くらいのところに住んでいるので文句は贅沢というものだ。薬局が近くにないのが、珠に瑕だ。

人生の終わり方という題名にしようかと思ったが、不吉な内容に思われそうなので無難な題名にした。「色々な人生」というとまた意味合いが違ってくるし、何だろうね人生ってというのが正直なところかも知れない。

 

高齢の母が腰と足の骨折で入院していて、日常生活には戻れないでしょうということで介護老人保健施設に入ることになった。それが決まった頃から急激に老化し始めたように思うのは、私の気のせいに過ぎないだろうか。人生の最後の過ごし方を模索して同居まで覚悟を決めたものの、姉の猛反対にあって実現は難しくなった。母よ、あなたが産み育てた娘だから、あなたにも責任が有るのだと心に言い訳してみても虚しい。

 

今後のことも有るからと、長年音信不通状態の兄を探した。兄は養子で、私が小学生の時に家に来て中学生になる前に家を出た。父の葬儀では顔を合わせたが、何をやっている人かどんな生活をしているのか全く知らなかったし、申し訳ないけれど興味もなかった。兄は住所のアパートにおらず、大家さんからの情報で救急車で運ばれたらしいということを聞いた。警察経由で救急に問い合わせて調べてもらい、救急病院に搬送されてそのまま入院しているということが解った。重症の脳梗塞だということだ。

 

医師の話では回復の見込みは経たないとのこと。役所と病院で相談しても扱いを決め兼ねていたところだったので、親族の登場には喜んだようだ。病院で17年ぶりに見た兄は、すっかり年老いて表情もないためか正直なところ兄とは解らなかった。兄のアパートに有った写真は、私と血縁ではいとこに当たる兄と私の共通の祖母の写真。唯一、気に掛けて可愛がってくれた人だったのかも知れない。

 

そんな兄を見、兄のアパートを見て生活の様子を思い、母のことと考え合わせると人生って何なんだろうなという思いに囚われそうになる。母も兄も自分なりには幸せであったのかも知れないけれど、少なくとも私はそれよりもずっと幸せなのだと思った。

好酸球性多発血管炎性肉芽腫症のための薬の処方がなくなったのが、2015年の1月。それから一年も経たずに喘息様の症状で呼吸困難になり、再び医療のお世話になり始めたのが2015年の12月。それ以来だから、シムビコートには二年と4ヶ月ほどお世話になったことになる。

 

今月10日の検診でシムビコートの処方が無くなり、プレドニンも3mgから2mgに減量されて一週間。プレドニンの離脱症状のようなものは何も認識されず・・・鈍いだけかも知れないが、体調はすこぶる良い。声のかすれがシムビコートのためかもという医師の所見が正しかったのか、気が付くと好きな歌を口ずさんでいたりして声が良く出るようになっているのが解る。

 

今日から息子のお弁当再開で、しばらく楽をしていたものだから「起きられるかな」と不安だったが、朝(?)1時に目が覚めて寝直すも一時間ごとに目が覚めてしまって結局3時に起き出してしまった。寝坊はできない性分のようだ。