人生の色々 | 五十路は人生半ばなり

五十路は人生半ばなり

2014年7月に好酸球性多発血管炎性肉芽腫症(アレルギー性肉芽腫性血管炎、チャーグ・ストラウス症候群)という難病を発症。
退院後4カ月でプレドニンの処方も0mgになり、現在はほぼ健康人と同じ生活。あたふたと再起のための仕事の準備を進めている。

人生の終わり方という題名にしようかと思ったが、不吉な内容に思われそうなので無難な題名にした。「色々な人生」というとまた意味合いが違ってくるし、何だろうね人生ってというのが正直なところかも知れない。

 

高齢の母が腰と足の骨折で入院していて、日常生活には戻れないでしょうということで介護老人保健施設に入ることになった。それが決まった頃から急激に老化し始めたように思うのは、私の気のせいに過ぎないだろうか。人生の最後の過ごし方を模索して同居まで覚悟を決めたものの、姉の猛反対にあって実現は難しくなった。母よ、あなたが産み育てた娘だから、あなたにも責任が有るのだと心に言い訳してみても虚しい。

 

今後のことも有るからと、長年音信不通状態の兄を探した。兄は養子で、私が小学生の時に家に来て中学生になる前に家を出た。父の葬儀では顔を合わせたが、何をやっている人かどんな生活をしているのか全く知らなかったし、申し訳ないけれど興味もなかった。兄は住所のアパートにおらず、大家さんからの情報で救急車で運ばれたらしいということを聞いた。警察経由で救急に問い合わせて調べてもらい、救急病院に搬送されてそのまま入院しているということが解った。重症の脳梗塞だということだ。

 

医師の話では回復の見込みは経たないとのこと。役所と病院で相談しても扱いを決め兼ねていたところだったので、親族の登場には喜んだようだ。病院で17年ぶりに見た兄は、すっかり年老いて表情もないためか正直なところ兄とは解らなかった。兄のアパートに有った写真は、私と血縁ではいとこに当たる兄と私の共通の祖母の写真。唯一、気に掛けて可愛がってくれた人だったのかも知れない。

 

そんな兄を見、兄のアパートを見て生活の様子を思い、母のことと考え合わせると人生って何なんだろうなという思いに囚われそうになる。母も兄も自分なりには幸せであったのかも知れないけれど、少なくとも私はそれよりもずっと幸せなのだと思った。