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五十路は人生半ばなり

2014年7月に好酸球性多発血管炎性肉芽腫症(アレルギー性肉芽腫性血管炎、チャーグ・ストラウス症候群)という難病を発症。
退院後4カ月でプレドニンの処方も0mgになり、現在はほぼ健康人と同じ生活。あたふたと再起のための仕事の準備を進めている。

専用のふた付きグラスに水や麦茶、ウーロン茶などを入れたものが、いつも手元に置いてある。水飲みの習慣は入院中に病院で身に付いたものだ。1日に1.5から2リットルは飲むだろうか。500mlのペットボトルでなくグラスにしているのは、単に価格的な理由によるものだ。

入院中の血液検査で良く言われたのが、血液中のイオンのバランスが悪いとか電解質がどうだこうだという素人には良く意味の解らないことだった。あるときはカリウムの値が低いとか、通常はカリウムなどは摂取すればすぐに値が上がるはずなんだけどそれが上がらないのだとか・・・ぼけっと聞いてるしかないのだが、自分で何かできることはありますかと聞いても特にないとのこと、ただ水は飲むようにしてくださいと。「水、飲んでますか」というのは何人かの医師から代わる代わるに聞かれた。入院してからしばらくは食事の時に出される1杯のお茶くらいしか、水分は摂っていなかった。それでは足りないそうだ。

元来が酒飲みだった私は、水やお茶を飲む習慣がない。病院で初めて「水、飲んでますか」と聞かれた時にも、別に飲んでないよなあとか食事の時のお茶は飲んでるとか、そんな感覚だった。細かく説明してくれたのは研修医の若い医者で・・・非常に聡明で熱心で物腰が柔らかくて好きだったのだが・・その研修医が言うには、1日最低でも500mlは飲まなければいけないということだった。「甘いものはおすすめできません」とも。それからはできるだけ水分を摂ろうと努力するようになり・・そう、リハビリでも「水、飲んでますか」は良く聞かれたのだが、最近は500ml2本くらい飲んでますよと答えると「それはいいじゃないですか!」と大げさに喜んでくれたりした。水って大事なんだなと。なんで水を飲むことが大事なのかということになると、中々ハッキリした説明をしてくれる人がいない。しかし大事なのは大事なようで、実際にかなり水を飲むことが習慣化してきてからは血液中のイオンのバランスや電解質の問題というのも、あまり言われなくなった。医者や整体師は経験的に水を飲むことが大切と知っているということなのだろう。

水を飲む習慣は退院してからも続いていて、冷たい水は胃に悪そうなので常温のものをいつも手元に置いている。昨日は凄い猛暑で、買物に出かけたあとで置いてあった水を口に含むと、ぬるま湯になっていた。口直しにと水を注いだグラスに氷を1つ2つ入れていると、息子が脇から覗き込んで「お父さんが氷入れてる」と面白そうに言う。さっき飲んだ水がお湯になってたんだよと説明すると「それは嫌だね」と、自分が中学生の時はこんな素直じゃなかったなあなどと思いながら、しばし息子との他愛ない会話を楽しんだ。

グラスに角氷を入れていると必ず思い出すのが、高校生の時に弟と印旛沼に釣りに出かけたときの記憶だ。夜中から早朝にかけての釣りということで、なぜ弟がそんなことを思い立ったのか知らないが、心配で付いて行ったのだと思う。釣りなど釣り堀でしかやったことがない。それは弟も同じで、釣れるはずもなく夜中は寒さに震え、陽が出てくると暑さにあえぎという馬鹿みたいな時間を過ごし、昼近くになると(なぜそんなに長居していたのかも不明だが)水筒の水も底を付いた。水たまりの水をじっと見ている弟を見て、こいつだと水たまりの水を飲むと言い出しかねないと不安を覚え「どこかで水をもらってくる」と水筒を持って人家がありそうな方に向かって歩き始めた。ようやく1軒の家の庭に水道があるのを見付けて「すみませーん」と声を掛けると、家の人が出てきてくれた。事情を説明して「水を入れさせてもらっていいですか」と聞くと、あわてたように「ちょっと待って」と家の中に入って行った。そそくさと戻ってきたときに手に持っていたのが角氷の容器で、水筒の口から角氷を入れようとしてくれたのだが入らない。せめて冷たい水だけでもと氷の容器の底に溜まった冷たい水を水筒に注いでくれるのが、とても嬉しかった。

思いっきりの愛想で家の人にお礼を言って、冷たい水が入った水筒をぶら下げて弟の元に向かう。私が帰ってきたのを見ると弟は「この水飲もうかと思った」と水たまりを指す。危ないところだ。別に弟は変な人ではない。私ほどではないが普通に優秀な学生だった(自慢が入っているが)。水筒を渡すと美味しそうにごくごくと飲み、元気が出たのか「さて帰ろうか」と・・・まあいいか。帰り道、さっきの家の前を通ったとき家の人が出ていないかと見てみたが、庭には誰もいなかった。

ただそれだけの経験なのだが、角氷を見るたびに、水筒に一生懸命氷を押し込もうとしていた人のことを思い出す。そして少し暖かい気持ちになる。その人はよもや何十年も前にあったささやかな出来事など覚えてもいまいが、人が人に与える影響というのは場合によっては一生物になりえるのだ。もう二度と会わないかも知れない人との邂逅であったとしても、それはもしかすると互いに大きな意味を秘めているかも知れないと考えることは決して無駄ではないだろう。って、何の話をしていたんだっけ。
休日の昼に子供が好きな回転寿司に行ったときのこと、妻が「たまにはビールでも飲んでみたら?」と・・。退院以来ずっとお酒は飲まずにきて、プレドニンの処方が無くなってからも特に飲みたいとは思わなかったので断酒生活が続いていた。好酸球性多発血管炎性肉芽腫症の症状が私は胃と腸に強く出たため苦しんだ記憶と、治療によって取り戻した健康への感謝もあって、お酒などというものを胃に流し込む暴挙に中々踏み切れなかったという事情もある。しかしビールくらいなら何ということはないかなあと「うーん」と考えて答えを出すより早く、息子が「駄目ー」とこれは母親の方を向いて抗議の声を上げた。私の病気はお酒のせいじゃないからと妻が息子に説明するも、珍しく顔を少し上気させた息子が「でもお酒を飲んでまた体調が悪くなったら、どうするの」と食い下がる。「じゃあ、やめておこうかな」と言わざるを得ない。生ビールねえ・・もう1年以上飲んでないんだなあ。

病気になる前は少し自暴自棄的なところや諦めの気持ちもあって、どこか悪くなってるだろうなと思いつつも結構な量の飲酒癖を改めなかった。ブランデーが好きで薄めずロックでがばがば飲むから、胃に良いわけがない。どうせ早死にするんだろうというような変にひねくれた気持ちがあって開き直っていたものが、今回の病気によって全身くまなく精密検査をしたことで皮肉なことに当の病状以外は全くの健康体であることが判明した。おまけに・・これは飲酒のせいだろうが・・以前から不調だった胃腸関係も病気の治療とともに信じられないくらい改善されて、調子が良くなった。こうなると現金なもので、この健康を失ってなるものかと・・・。

しかし少し不眠の傾向があることから「少し飲んでみようかな」と息子に相談してみると、それなら寝る前に1杯だけ飲んで寝ることにしてみたらと・・・たぶん私がダラダラと際限なく飲むことを心配しているのだろうが、そんなにだらしなく飲んでいたかなあと今更ながらに反省させられた。かくして息子のお許しが出たので、最近は寝る前に1杯・・それもコップ半分のブランデーを水で薄めたものを1杯だけ飲んでから寝るようにしている。おかげで不眠の方も大分解消されて、疲れや眠気が翌日に残ることも少なくなった。

好酸球性多発血管炎性肉芽腫症は好酸球が異常増殖してしまうことによって起る病気だが、好酸球が増える原因は解明されていない。医師によると外部からの何かしらが原因で好酸球が異常に増えるというのは考えにくいから、日常の生活で再発を防ぐために気をつけるようなことは何もないということだ。お酒も然りであろうが、どちらにしても過剰な飲酒は体を痛めるから良くない。免許皆伝を授けて息子を独り立ちさせるまでは健康に生きていたいから、これからもほどほどの飲酒を心がけて行きたいと思う。
私の父親というのが横暴を絵に描いたような人で、2度も会社経営に失敗して家族が貧乏のどん底に落ち込んだにも関わらず、偉そうに説教ばかりする性質は変わらず、ちょっとでも反抗の素振りを見せるとすぐに暴力を振るってくるような男だった。そのおかげで私は早くから親と決別する覚悟を決めていて、世間一般のルートとは違うものの自分で生きる方法を見付けながら生きるという、希有な経験をさせてもらうことになった。自分が苦労してきたことを自慢話のように話せるというのは、聞かされる方はたまったものではないが悪いことではない。何の苦労もなくボンボンで育ちましたって男よりは、なんぼかマシなのではないだろうか。

そういう意味で考えると親が病気をするというのも、子供にとっては悪いとは言えない面も多く含んでいるのではないかと思えてくる。我が息子に関してみても、私が病気をしてから強くなったなあと思うことが良くある。私が病気になったという紛れもない事実は、私が病気になることが必然であったということを誤魔化しようもなく指し示している。これが必然で、これがこれからどのように生かされていくのか、それはこれからの自分の生き方で変わってくるだろう。親が原因不明の難病を患ったという経験を持っている子供は多くない。その滅多にはない経験をした我が息子が、そのために他の子供たちが中々できない精神的成長をものにできることになれば、変な言い方だが私も病気になった甲斐があったというものだ。

父親が横暴で暴力的な男だったから、今の私がいる。自分が子供の時に親が難病を患ったことが、自分の考え方やそれからの生き方に大きな影響を与えたと、もし自分の子供が思うようになってくれるのなら。それこそ私の病気は必然であったと、むしろ誇りを持って言えるようになるのかも知れない。