私が子供の頃から不思議に思っていて絶対に回答を見出せず、他の人に問いかけても「そんなの当り前」的に相手にされなくて、私がおかしいだけなのかと思って一人で密かに抱え続けてきた問題が、十七世紀頃からすでに多くの哲学者や心理学者によって論じ続けられてきたということを、つい最近知った。「なんだ」という安堵のような失望のような複雑な思いと、それでも未だに正答と呼べる解答が存在しないことに対する安心感のような気持ちが有る。それが「〈私〉の問題」だ。自分はなぜ自分なのかということ。
身近で起こる死やそれに類することは、どうしても自分の死という連想と結び付いてしまう。死を知るには生を知らねばならず、生を考えるためには未だ私という個の生が存在しなかったときのことを思う必要がある(ように思う)。私はあるとき突如として私であったのだ。その前には私は存在しなかったのだろうか。私は無から突然生じ、死ぬとまた無になるのだろうか。生命が物理で語れるとは思わないが、それは物理的に有り得ないように思えるのだ。ならば・・・ということ。
私の命が尽きたとき・・あるいは時空に影響されないのかも知れないが、私はまたどこかで突如として誰かであることを見出すのではないだろうか。とか、クーラーの利いた快適な部屋で、アホなことを考えております。