自分の体調というのは日々少しずつ変化して行くものだから、本人にとっては自覚がしにくい。しかしそれでも何かの拍子に「あれ?」と気付くことはあるもので、昨日なども入浴後の日課になっている足のマッサージをしていて、ふと足の痺れが少なくなっていることに気が付いた。そう言えば最近は足指の動きも比較的自由で、かなり動かしても強い痺れや痛みを感じないことが多い。歩いていても痛いのは関節で、悩みの種だったはずの足裏の過敏的な痛みや痺れは気にならなくなっている。一つに気が付くと「そういえば」と連想されて、次から次と改善されたと思しき記憶が蘇ってくる。これはもう明らかに復調し始めている・・・病気が治ったというところから、さらに一歩進み始めていると言えるのじゃないかと一人嬉しくなった。
そう、最近の不快感はむしろ「普通にできないこと」にある。長年染みついた体の動きというものは簡単に無くなるものでなく、何かの弾みに無意識に元の動きを体が再現しようとする。もともとが職人だから無駄な動きを最小限にする癖が付いているので、割と体が許すギリギリの動き方をすることが多い。最近は油断することが多くて、動き始めた瞬間に「しまった」と冷や汗をかくことも多くなった。それだけ体が普通の状態に近付いてきているということなのだ。だから余計に普通の動きが制限されることが意識されて、不快に感じてしまうのだ。
去年の暮れまでは杖をついて歩いていた。段々に杖を浮かせたままでも歩ける場面が増えてきて、時々は杖なしで近くに買物に行ったりもし始めた。今年になってから杖は卒業と決めて、どこに行くにも杖なしで出かけるようになった。それまでは買物にはリュックを背負って行ったが、杖なしでも楽に歩けるようになってからはリュックも卒業した。それでも買物の荷物が重いときなどは、階段を上るときに手すりを握る右手に全力を込める必要があった。それが今はどうだろう。両手に重い荷物をぶら下げながら、危なげなく階段を上ることができるようになっているのだ。
筋肉はまだバラバラというか、それぞれの部位の筋肉がそれぞれに発達しつつある状態で、以前のように密度が高い集合体になっていないが、ほとんど筋肉の存在が解らないような状態からここまで来たのだから凄い進歩と言えるだろう。筋肉量が増えれば基礎代謝も増えるから、特に何をしなくても太らない。通算6ヶ月間プレドニンを処方されていたが、その間ついに一回もムーンフェイスに悩まされることがなかった。もっとも一度だけ担当医に「ちょっと顔が丸くなりましたか?」と言われたことはあるから、気が付かない程度には出ていたのかも知れない。
この調子なら治るかなと、実は思っている。もちろん原因不明の病気だから症状が治まっても再発・再燃の恐れが無くならないことは理解しているが、それを言ったら全快と言って良い病気はウィルス性の感染症だけになってしまう。外因性でない病原はいつ発症したっておかしくないのだ。極端な言い方をすれば、全ての人は癌の潜在的な患者ということになるだろう。
面白いことを言う人がいる。全ての病気は神経症であると、その人は言う。心と体のつながりは解っているようで実際には解明されていない。深く関与し合っていることは医学でも常識になっているのに、そのメカニズムは解っていないのだ。健康な人が心を病んだことによって、体にも病変が表れてしまう。病気の人が心を強く持ったことで、奇跡的に全快してしまうことがある。身近にそういう人を見たわけではないから信憑性は五分五分だが、そういうことがあっても不思議ではないという程度には思っている。病気の原因が心にあるのなら、心のケアをすることが病状の改善に良い効果をもたらすはずだ。「病気の原因が心にあるのなら」という前程が間違っていれば意味の無い戯れ言になってしまうが、それだけに縋るのでなければ良いだろう。病気の医学的・科学的・物理的な治療は医師に任せて、自分でできることとして心を健全に保つために自分自身をいたわってあげることも大切なのだろうと思う。