家庭における妻の重要性 | 五十路は人生半ばなり

五十路は人生半ばなり

2014年7月に好酸球性多発血管炎性肉芽腫症(アレルギー性肉芽腫性血管炎、チャーグ・ストラウス症候群)という難病を発症。
退院後4カ月でプレドニンの処方も0mgになり、現在はほぼ健康人と同じ生活。あたふたと再起のための仕事の準備を進めている。

退院して杖を付けばそこそこ歩けるようになった頃、息子の学校の合唱コンクールで夫婦して市民会館へ。駐車場からホールへと歩きながら「大丈夫ですか?」と気遣ってくれる妻に、ふと「これはこれで良いのかも知れない」と思った。何もない人生より面白い・・いやもちろん病気で苦しんでいる方々に対して失礼にもなる言葉だというのは認識しているけれど、いざ渦中に入ってしまって抜け出せないのなら、もはやそう考えるしかないんじゃないかなと・・。幸いにして妻も息子もこんな私を嫌わずに支えてくれる。そう、それが大きいのだろう。だから楽観的でいられるのだ。まさに今この病気になった時の家族が、この2人で良かったと心から思う。

実は仕事仕事で生きてきて、そのために1度家庭を失敗している。早朝・・それこそ朝の3時、4時には出勤して、帰りは深夜。入浴して一杯飲んで寝るだけが、私の家庭での生活のすべてだった。休日が無くても一向に辛いと思わず、そんな自分を我ながら凄いなどと称賛していたのだが、実際はとても愚かしく周囲のことを考えない自分勝手な行動だったのだ。家庭は壊れてから気が付くもので、ある日いつもより早く仕事が終わって帰宅すると、家の中には誰もいなかった。早くといっても午後10時過ぎだから、高校生・大学生の息子たちはいざ知らず、妻くらいはいるだろうと考えていた。買ってきたケーキの箱を前にぼんやりと、自分は何をしているんだろうなと・・。お金さえ渡せば上機嫌の妻だったから、それで良いのだと思っていた。いや、それは私の言い訳だろう。仕事をしたい、業績を上げたいという私の欲求と、自分が自由に使えるお金をたくさん持ちたいという妻の欲求が合致したに過ぎない。双方が相手に協力しているように見えながら、実際は自分勝手な欲求を満たしていたのだ。その後、会社の業績が悪くなり資金不足が生じて妻に打診した時の「お金なんかありませんよ!」という鬼のような形相は頭の片隅にこびりついている。離婚を決意したのも、そのときだったと思う。これ以上は言うまい。ただ、離婚が成立した時の私の目には普段通りの町の風景が、ことさらに美しく輝いて見えたとだけ言っておこう。

そんなこんなで、ささやかな式さえ挙げずに結婚した現在の妻には、とても苦労をかけてしまった。私が経営していた会社もジリ貧で生活費も十分に渡せず、それでも「大丈夫です」と文句ひとつ言わずに頑張ってくれた妻には感謝の言葉もない。夕食後など私がくつろいでいると、中学生になった息子と妻が真面目な顔で話している。何を話しているのかと聞き耳を立てていると、どうも双方に勘違いがあるようで会話の内容がズレている。それでも二人とも声を荒げるでなく、首をかしげながら相手の言うことを理解しようとしている。そのうちに互いが話している内容が違っていたことにようやく気付いて笑い転げる。我が家のいつもの家庭風景だが、本当に平和な家庭だなと思う。家庭にとって妻という存在の大切さを、しみじみと実感する。実に平凡な家庭なのだろうが、自分の一生をかけるに値する家庭だ。この家庭を大事にしていきたい。