消化器内科での悪夢の一週間 | 五十路は人生半ばなり

五十路は人生半ばなり

2014年7月に好酸球性多発血管炎性肉芽腫症(アレルギー性肉芽腫性血管炎、チャーグ・ストラウス症候群)という難病を発症。
退院後4カ月でプレドニンの処方も0mgになり、現在はほぼ健康人と同じ生活。あたふたと再起のための仕事の準備を進めている。

白血球の数値が異常に高く脱水状態にもなっていたことから緊急入院となり、着の身着のままで病室のベッドをあてがわれた私に、妻は文句ひとつ言うでもなく入院に必要な身の回りのものなどをテキパキと揃えてくれた。一見無表情で愛想の無い妻だが、こういうときはヒシヒシと気持ちが感じられて嬉しい。しかし、この病院で過ごすことになるこれからの一週間は決して楽なものではなかった。

ひとつには診療科が私の希望していた一般内科ではなく、消化器内科であったこと。自分が受け持つ診療科目以外のことに、思いの外疎い医師というのがいるのだなと実感することになった。もう一つは病院の方針なのだろう、原因が解るまで治療は行わないと宣告されたことだ。原因が特定される前に推測で治療を行って、もしそれが駄目だった時には次善の策が失われてしまう・・という理屈は解らないでもない。しかし痛さ・苦しさにさらされている患者にとって、原因の特定が一向にはかどらなければこれは地獄でしかない。実際のところ、この病院での一週間の入院生活中は食事を抜いて点滴で栄養補給と脱水症状の改善が行われただけで、治療行為は一切行われなかった。

毎日のように複数の検査が行われ、翌日になると担当医が「白血球が下がらない」「検査結果は異常なし」を言い渡しに来る。「こいつ無能じゃないか」と私に疑念を抱かせるに充分な状態だ。こちらは毎日のように症状が悪化して腹部の痛みは体を真っすぐに延ばせないほど強くなっているし、筋力の衰えも見過せないようになってきた。入院当初は自力で歩いていたものが、点滴台に掴まらないと歩けないようになり、すぐに車イスでなければ移動できないほどになった。足だけでなく腰や腹筋、背筋なども急速に衰え始めていたからだ。医師にそのことは何度も伝え、自分としては筋力の低下が非常に気になるのだと言っても「わかりました」と言うだけで、相変わらず胃腸の検査ばかりをやっている。最後の検査として大腸内視鏡が行われることになり、医師はこれで何か見付かると確信していたようだ。しかし結果はいつもと同じ「異常なし」だった。

消化器科の主任医師だと思うが、その担当医が言うには「来週からもっと精密な消化器検査を行います」・・ちょっと待てよと、私でなくとも考えるだろう。これだけ検査をして原因が特定できなければ、消化器以外に原因が存在すると・・つまり消化器にはこの病気の原因がないと考えるのが普通ではないか。それをさらに消化器の検査を続けて、しかも治療は行わない・・それは嫌だし納得できない。幸いにして親身に相談に乗ってくれる看護士さんがいたので、私が考えていることを彼女に話し、できればもう少し視野が広い医師に診察して欲しいという希望を伝えた。その看護士が仲間の看護士さんたちにも相談して医師に希望を伝えてくれたお陰で、私はその病院の一般内科の責任者の診察を受けることができることになった。もちろん消化器科の担当医の心中は穏やかでなかったろうが、こちらは体がかかっているのだ。

一般内科の検査では血液検査と問診・触診という簡単な検査のみですぐに「消化器科の病気じゃないな」という判断が告げられた。「もしかすると珍しい病気かも知れません」とも言われた。しかし「私たちは寄生虫が原因ではないかと考えています」その検査を来週から行いたいと言う。その結果が解るまで治療は行わないと・・やはり病院の方針ということなのだろう。その医師は決して無能な感じでも嫌な感じでもなかったが、これまで一週間もの間なんの治療も行われず検査ばかりの毎日で、また来週から検査のやり直しかと考えると、これはかなり辛いものがあった。しばし考えた末に私は、また最初から検査をするならその前に、今までの検査の結果を他の病院でも診てもらって、可能なら転院したいということを申し出た。その申し出は思っていたよりあっさりと受け入れられ、おかげで私は隣町にある国立病院の検査を受けられることになった。

他の医師に診察してもらいたいということも、他の病院で診てもらいたいということも、ある意味わがままだろうと思う。しかしその決断をしなければ・・もし我慢して言いなりになっていたらと思うと怖い。必要な時に必要な行動が自然にできる程度には人生経験が役立っていたなあと、つくづく思った。