念願の国立病院を受診できることになり、私の気持ちは早くも「希望」と同義の「転院」に傾いていた。検査漬けの一週間を過ごした地元総合病院では、転院できなかった時のためにとベッドを確保していてくれたが、私としては二度と戻りたくない病院だった。検査検査で一向に治療が行われない病院など、このまま居続けたら手遅れになるかも知れない。
国立病院で初めての診察を行ってくれた医師は同病院の神経内科の主任医師で、ちょっと有名な医者らしい。そんな素振りも見せないにこやかな方で、総合病院から用意された資料を見ながら「大腸がちょっと腫れているね」「喘息の経験はありますか」など、早くも当たりを付けているようにうかがえる問診や触診の内容に、安堵感が膨らむのを抑えきれない。たぶん医師から見たら、その時のわたしの目は期待に輝いていたのではないだろうか。「入院できますか?」の問いにも「もちろん、すぐ用意します」と心強いお返事。直後「あっちこっちに連絡しないといけないので」と、診察室に私を残して席を立っていった。この時の医師の行動の意味は、その後に解ることになる。
しばらく待っていると、車イスを押した看護士さんが迎えに来てくれた。その時はもう歩行困難で、車イスでないとスムーズな移動ができなくなっていたのだ。車イスに乗って看護士さんに連れられていったのは、循環器系の診察室。寝かされたベッドの周りを数人の医師と看護師が囲み、採血など次から次と検査を行っていく。前に入院していた地元総合病院では何となく倦怠感漂うような診察が多かったので、多くの医師と看護師が連携して時間を惜しむようにテキパキと検査が行われていく様を見るのは実に新鮮だった。その診察室での検査が終わるとすぐまた車イスに乗せられて次の検査へ。X線やCTスキャン、MRI、造影剤を使ったMRA、脳波から心電図まで休むことなく診察室、検査室を連れ歩かれて、最後にたどり着いたのが末梢神経の伝達を静電気によって調べる装置が設置された検査室。そこまで車イスを押してきてくれたのは、主治医となった医師とその助手の研修医だった。今思うと、あの先生に車イスを押させたとは・・と恐縮するような医師だったが、その時はもちろん解らなかった。
数時間のうちに10種類を超える検査が行われ、その後ようやく入院する病室まで案内された。4人部屋だったがまだ入院患者の先客が1人しかおらず「どのベッドがいいですか?」と聞いてくれた医師に、私は迷わず(おそらく笑顔さえ浮かべて)窓際のベッドを希望した。前の病院では窓から離れたベッドで、窓際のベッドの人がずっと羨ましかったのだ。しばらくベッドで横になって気持ちを落ち着けているうちに医師が再び来て、検査結果と治療方針を説明してくれた。そのときはまだ好酸球性多発血管炎性肉芽腫症という病名は出ていなかったが、好酸球が原因なのは明白だったので、これを抑えるためにプレドニンの点滴による大量投与を3日間行うことになった。前の病院では一切治療が行われず不安で仕方なかったので、治療を優先して行おうとしてくれるこの病院の対応が私には実に嬉しかった。それより何より、たった数時間で必要な全ての検査を完了させてしまう手並みというか連携に驚いた。最初に診察してくれた主任医師は、この検査を即日に完了させるための段取りを組んでくれたのだ。病院によってこうも違うものかと、驚くばかりだ。
私がこのように検査で連れ回されている間に、妻と息子は(病院へは妻が車で送ってくれて、夏休みに入っていた息子も一緒だった)前の病院に取って返して入院費の清算をしたり、今度の病院での入院生活に必要なものを買いそろえたりと陰で走り回ってくれていた。ちなみに我が家の家計の主力は妻の方で、決して暇な人ではない。この後も何度も私の病気関連で仕事を休んで協力してくれたり・・ひたすら感謝で頭が上がらない。