5月2日(木)
8時起床。晴れ。微風。気温9.5度。体重74キロ。
まずはさわやかな1日だった。ウッドデッキで寺田寅彦の「写生紀行」を読む。大正11年1月に『中央公論』に発表された文章だが、
「十一月二日、水曜。渋谷から玉川電車に乗った。東京の市街がどこまでもどこまでも続いているのにいつもながら驚かされた。世田が谷という所がどこかしら東京付近にあるという事だけ知って、それがどの方面だかはきょうまでつい知らずにいたが、今ここを通って始めて知った。なるほど兵隊のいそうなという事が町に並んでいる店屋の種類からも想像されるのであった。」という興味深い箇所があった。K子の実家は下北沢近くで、祖父は主計中将だったというから、「世田が谷という所が東京付近にあるという事だけ知ってだって」とK子に読み聞かせて笑った。当時は渋谷だって東京の外れだったのだ。写生紀行で東京の周辺を歩きながら嫌でも眼に入る膨張する東京や庶民の生活の変化を寺田寅彦は的確に捉えている。
11時過ぎK子の友だちKさんと小学4年生の娘を長坂駅まで迎えに行く。
ランチはわが家から車で3分ほどの麦の家で食べる。麦の家というくらいだからパンがメインである。ぼくはホットサンドを食べた。なかなかよい。店主夫婦も感じがよい。店内の一画に日本酒やワインの瓶が並んでいると思ったら酒屋もやっているとか。K子たちはワインの試飲をさせてもらった。
帰宅後、K子たちが散歩に出ている間、武者小路実篤『愛と死』の教材化作業をする。
午後8時過ぎ息子と孫を長坂駅まで迎えに行く。
子どもが2人いるとにぎやかだ。ぼく以外に大人が3人いるし、子どもたちは適当に遊んでいてくれるので、ぼくは『愛と死』の教材化作業を続けられた。