日本の古典を現代語訳で読んでもいいではないか。(Feb. 23, 2024) | 微睡のブログ〜八ヶ岳南麓から〜

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八ヶ岳南麓、北杜市長坂町小荒間に在住。ときどき仕事をしながら、読書、音楽鑑賞、カメラ撮影、オートバイツーリングなどの趣味を楽しんでいます。

2月23日(金)

 7時35分起床。雪。気温氷点下2度。体重72.2キロ。

 

 

 朝起きた時にはほとんど止んでいたが、1時間後ぐらいから降りはじめた。小雪である。庭はたちまち白くなったが、雪の勢いは前回ほどではない。午後食品の配達があって玄関に出たときに外を見るとアスファルトの道は雨に濡れたように黒く光っていた。借りている『君たちはどう生きるか』を図書館へ返しに行こうかと思ったが炬燵で読書することにした。外に出たのは灯油のポリタンクを取りに行ったときだけである。

 

 

 小酒井不木の短編を今日も読む。Kindle版の『小酒井不木大全』を読み切るつもりである。読むのは今回が初めてではないが、今回小酒井不木は日本の探偵小説史上非常に重要な作家であることがわかった。

 来月の文学講座第50回は『雨月物語』を読むことにした。100回は続けようと思っており、50回は節目なので何かそれに相応しいメジャーなもの、例えば文豪の作品、それも誰もが一度は題名を聞いたことのあるものがよいだろうといろいろ考えていたら、書棚にあった岩波書店『日本古典文学大系 上田秋成集』が目に留まった。これだと思ったわけだが、上田秋成の原文は何とか読めても、原文の『雨月物語』を解説する能力も知識もない。じゃあ、どうするか、現代語訳で読めばいいじゃんとなった。

 

 

 明治の小説家、樋口一葉や泉鏡花の現代語訳が出版されていると聞く。情けない、それくらい原文で読めよ、というのはもはや、英語を少しかじった者に、英米の小説を原文で読めというに等しい。むしろ、原文を無理強いして読書を断念させるくらいならば、現代語訳で一葉や鏡花、漱石や鴎外を楽しんでもらった方がよい。それで明治の作家の魅力に触れた者が原文でも読んでみようとなるかどうかはわからないが、そこで終わったからといってとやかくいうことはない。

 『雨月物語』の現代語訳はいくつもあるようだ。たぶんぼくの書棚か積み上げてある本の山の奥に園地文子など小説家や学者の訳したものが2、3あるはずだし、iPadで読もうとダウンロードしたetextもある。しかし選んだのは石川淳『新釈雨月物語』である。昨年も読み感銘を受けたのだが、角川文庫の表紙には「石川淳 新釈雨月物語」とだけあり上田秋成という作者名がないことからもわかるように、これは石川淳による現代語訳というよりも石川淳の作品という位置づけだ。