身も心も不良老人は朝寝坊(Jan. 26, 2024) | 微睡のブログ〜八ヶ岳南麓から〜

微睡のブログ〜八ヶ岳南麓から〜

八ヶ岳南麓、北杜市長坂町小荒間に在住。ときどき仕事をしながら、読書、音楽鑑賞、カメラ撮影、オートバイツーリングなどの趣味を楽しんでいます。

1月26日(金)

 9時45分起床。快晴。微風。気温氷点下0.5度。体重72.1キロ。

 

 二度寝して目覚めたらもう10時近い。不良老人だと反省しているが生活習慣は直らない。

 就寝前の11時過ぎぐらいから、時には午前0時近くになることがあるが、ブログを書き始める。その後漫画アプリで無料の漫画(今は横山光輝の『三国志』など)を読む。それからベッドの上で寝ている猫を追い出して(追い出しては人聞きが悪い、ベッドに入るためには掛け布団をはがなければならず猫は寝ていられなくなる)、ベッドに潜りこむと、iPadのタイマーを1時間ほどの再生停止設定にして、YouTubeの朗読を聴きながら眠りにつく。朗読は最後まで聴けたためしはなく、いつも数分で寝落ちしてしまう。それやこれやで、午前1時に眠ルのは早い方で、K子にはいつももっと早く寝なさいと言われるが、午前2時を過ぎてしまうことがある。

 口先だけの(筆先だけのというべきか)反省の弁を述べようと、めずらしくブログを朝から書き出しているのだけれども、就寝前にブログを書く習慣がよくないのかも知れない。先日亡くなったHさんは、早朝、冬などは夜明け前にワンちゃんの散歩に出て、帰宅後にブログで前日のことを中心に書き綴っていたようで、ぼくもそれこそが健全な老人の生活習慣だと感心し、いっときHさんに倣おうとしたが、学生時代からの長期間にわたる悪しき生活習慣病(何十年も夜昼逆転生活だった)は完治し難く、2、3日で頓挫してしまった。結局、相いも変わらず夜遅くにブログを書き始めるのだが、さて、iPadでDrafts(iPhoneやMacとも迅速に連携できる必携アプリだ)というアプリを開いていざ書き始めようと思うものの、書こうと思うことがなかなか思い浮かんでこない。ぼくのブログは日記のようなもので、何かの主張をしようとか、何かを喧伝しようとかは二の次、三の次で、出来れば極力そのようなことは書かないように努めているのだが、そうなるとその日の行動活動を時間の順序を追って書くという体裁を取る。しかし、毎日似たり寄ったりの単調なメリハリのない生活をしているので、いざ書こうというときになって、印象的な出来事があったときは別だが、午前中何をやっていたのかなかなか思い出せないのである。そんなことで、薄い記憶を思い出しながらダラダラ書き綴るので文章は無駄に長くなる。そして書いているときは記憶を甦らそうと脳はオーバーヒート気味だし神経は当然昂っている。しかし、ブログを書き終えて1日をふりかえってみると、きょうもロクな1日ではなかった、何かやり残したことがあるように思えて、若い頃がそうだったように眠れなくなる。それを、小説などを読み始めたらさらに酷いことになるので、漫画を読むことでお茶を濁しているわけだ。ただし、幸か不幸か、若い頃の体力はないから、遅くとも午前2時前後には眠れるようになったのだが、やはり健康によいことは一つもないからブログを書く時間帯を変えるべきかも知れない。出来るかどうか疑問だが……。

 朝寝坊の不良老人の反省の弁でした。むしろ朝寝坊の言い訳だったかな。

 

 

 強風ではないが冷たい北西の風がやまない。

 カボチャの蒸しパンを作る。

 午後は久生十蘭『顎十郎捕物帳』を1話読む。昨年1月は短編を140篇読んだのに今年1月はここまで40篇、読書のパフォーマンスが明らかに落ちている。入院中だってもっと読んでいたはずで、もっとも入院中は時間がいくらでもあったからだが、どうやら集中力がかけているらしい。フェルトを制作しているときのK子の集中力・持続力を見習わなければならない。

 日は徐々に永くなって来たが、もう4時をすぎると空は明るいが地上は陰る。一度も外出しなかったのでチョコレートを買いに行くことにした。夜になると口寂しくなり、とくにチョコレートが食べたくなる。それもセブンイレブンのダブルナッツチョコレートでなければならないのである。

 運転しながら見ると、南アルプスは、陽が山の彼方に隠れたものの空は白灰色に輝き、まるで後光を背負った冷たい青黒い壁のように見える。一方、富士山と八ヶ岳は西陽を浴びて輝いている。

 

 

 夕食後はタランチーノの『レザボア・ドッグス』を観る。

 今夜こそ少しでも早く寝ようと思ったが午前0時を回ってしまった。漫画を読むのはやめてベッドに入ろう。