6月16日月曜日。6時起床。曇天→晴れ
暑い日になった。午前中はぐだぐだで何もしなかった。
正午過ぎにK子苺摘みアルバイトから帰る。息子から慌てた様子の緊急事態の連絡があったという。昨夜洗面台の水を閉め忘れ水浸しになったという。階下にも水漏れしたらしい。
事があると息子が連絡するのはK子だ。母親の方が話しやすいのだろう。ぼくは息子をきつく叱ったことはほとんどないが、恐れられているのかも知れない。あるいはぼくの体調が万全でないから心配かけまいとしているのか。
昼食後K子はマンションの火災保険証書をチェックする。不慮の事故による水漏れではないから保険の適用は無理ではないか。住まいは2階で、階下はエントランスホールと管理人室である。
小淵沢のセルクルへ注文していた全粒粉入りイギリスパンを受け取りに行く。車から降りると店主がドアを開けてくれる。ぼくの手術や入院のことはK子から聞いて知っているからだ。痩せたでしょうというと、若返りましたよという。奥さんも出てきてしばし3人でおしゃべり。イギリスパンはぼくが入院している間に再度値上げし、一本820円になった。コンビニなどで買う食パンの3倍強である。しかし小麦の香りが芳しく、3、4日経っても風味は失われない。よい国産小麦粉を使っていることがわかる。それを考えれば、諸物価が上がっている当今値上げは致し方ないだろう。贅沢だが、数少ない贅沢の一つである。
帰宅後蚊取り線香をつけ、虫除けスプレーをして、ウッドデッキで読書。小山清「栞」「聖アンデルセン」「西隣塾記」を読む。「栞」は関東大震災で焼け出され、同じく家を失った一家と一つ家に同居することになったが、そこに同い年の少女がいて、という話。幼い初恋物語だ。「聖アンデルセン」は美しい。小山清は貧しく屋根裏部屋で月と対話するアンデルセンに自らを投影しているようだ。自伝といってもよいのではないか。小山清の夢が詰まっているようだ。小山清が中里介山と交流があったとは知らなかった。別の小説に都新聞に連載されていた『大菩薩峠』を奪い合うように読む家族たちのことを印象深く書いていたが、ある時期中里介山は大流行作家だったのだ。『大菩薩峠』は小山清の文学世界とはおよそかけ離れているように見えるのだが、両者の文学に何かのつながりがないとはいえないだろう。宮沢賢治も『大菩薩峠』のファンで、「春の修羅」の「修羅」も机龍之介から来ていると何かで読んだ記憶がある。
10年ほど前に『大菩薩峠』を読んだことがある。半年かかった。もう一度最初から読みたい。