ローマ時代の太陽のように明るい哲学(Sep. 27, 2022) | 微睡のブログ〜八ヶ岳南麓から〜

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八ヶ岳南麓、北杜市長坂町小荒間に在住。ときどき仕事をしながら、読書、音楽鑑賞、カメラ撮影、オートバイツーリングなどの趣味を楽しんでいます。

 8時の気温は20度。雲が出ていたがすぐ晴れあがった。

 昨日「葬」繋がりで青空文庫を読んだが、井伏鱒二の文章に幸徳秋水「死生」を読む。不敬罪で勾引され、裁判で死刑判決を受けた獄中で書いた死の論考である。文面からはいささかの恐怖も不安も躊躇いも見られない。ストア派の哲学者以上に平静だ。

 午後は昨日に続きズームミーティングがあるので時間があるときに読書する。寺田寅彦が20世紀の物理学を先取りしていると讃えるルクれティウス『事物の本性についてーー宇宙論』は、以前読みはじめたものの何らかの都合で中断し、その後岩波文庫の所在がわからなくなっていたので過日上野原の実家の書庫から『世界古典文学全集』(筑摩書房)を持ってきたのである。これにはウェルギリウス『アエネーイス』も収録されている。それにしてもルクレティウスの哲学詩は太陽のように明るい。楽しい読書になるだろう。

 

 

 昼食後は吉田秀和を読む。来月の文学講座は音楽随想か美術随想を予定しており、適当な文章を探しているのだ。音楽についての本は、特にクラシックの演奏家についての本は、党派性(批評家たちに党派があるかどうか知らないが)が剥き出しになり、ある演奏家をどこまでも持ち上げるかと思えば、他の演奏家を徹底的にこき下ろしたり、決して気持ちの良いものではない。音楽に限らず、映画でも、美術でもそれがあるのではないか。気に入らなければ取り上げなければ良いのだが、それができないのだ。その点、吉田秀和にはそれがない。

 午後2時40分ズームミーティング。参加者は昨日とはちがうので同じ内容のミーティングなので楽である。同時刻国葬が行われていたようだ。

 4時40分長坂図書館へ先週借りた『海からの贈物』3冊を返却に行く。返却後吉田秀和を検索したが、市内8館には蔵書があったけれども長坂図書館には一冊もなかった。そこで金田一春彦記念図書館まで行くと、2冊あったものの、文学講座では使えそうになかった。

 帰宅後うたた寝。目が覚めると7時過ぎていたので夕食の準備をする。食べながらテレビを点けると、ジャン・ポール・ベルモンドが出てきた。シマッタ! 今夜も最初から見損なってしまった。