「キルケリーからの手紙」(Aug. 30, 2022) | 微睡のブログ〜八ヶ岳南麓から〜

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八ヶ岳南麓、北杜市長坂町小荒間に在住。ときどき仕事をしながら、読書、音楽鑑賞、カメラ撮影、オートバイツーリングなどの趣味を楽しんでいます。

 5時半に起床。仕事に行くK子を駅まで送るためである。雨模様。嘘寒く、霧がうっすら出ていた。

 睡眠時間は4時間程度。しかも朝居眠りだった。しかし、送って帰って眠るつもりだったが眠れなかった。

 YouTubeでApple Watchについての動画を見て勉強する。活動的な人間の使うガジェットだと改めて思った。経済的にも肉体的にも、非活動的にならざるを得ず、活動範囲が狭く限定されているぼくには贅沢で不要なもののようにも思える。しかし、だからこそぼくには必要なものだともいえる。友好利用しようと思ったら、活動的にならざるを得ず、活動範囲を広げる必要があるからだ。

 

 こういう暗く肌寒い日はすり寄ってくる猫たちもうっとしい。落ち着いて読書もできない。雨は止んでいたし、どこか歩くことにした。家の近辺は、とくに理由はないが、何となく歩きたくない。どこかへ車で行き歩くことにした。

 いくつか候補地へあったが、決められないまま、小淵沢方面へ向かう。一台の軽自動車が左の脇道から出てきて、迫り来るぼくの車を見て停止して待つかと思ったら、無理に道路に出て左折した。クラクションは鳴らさなかったが、気をつけろ! と心の中で叫んでいた。あくまでも妄想だが、ムカつき、こら、待てぇ! と追うような気持ちになっていた。こういう心持ちはぼくにはめずらしいことで、心の中の言葉も心持ちを言語化しただけなのであるが、前を走る車を見ながらそのような心持ちになったということは、今日の自分が苛立っているということがわかった。

 井戸尻遺跡へ行こうと決めようとしていたときにそんな出来事があったものだから、散歩はもっと手近なところですませることにする。小淵沢インターの近くにすずらん池という農業用貯水池があり、そこならば車も駐車できるし、人もいないだろう。工事車両が停まっていたが(電線にかかる木の枝を切っていたようだ)、すぐ去っていき人はいなくなった。

 以前K子と歩いたことのある小海線と中央高速にかかる橋を渡る道を歩く。手前の釣り堀からは人の声が聞こえたが、そこを過ぎると聞こえるのは高速を走る車の音とセミの鳴き声だけだ。足元で何かが激しく動いている。屈んでみるとセミだった。ひっくり返り、羽を下にして、体をブーンと音がするように激しく振動させている。両手で掬い上げ用とするが、激しく振動する体は手からこぼれてしまう。ようやく手のひらにのせてみると、透明な羽の一枚がない。どうにもならないので道の端っこに放して立ち去る。何年地中にいたか知らないが、地上に出て脱皮したと思ったらこれだものと一気に暗い気持ちになった。脚の調子までおかしくなった。雲が切れて太陽が照り出した。汗だくになって苦労して歩く。

 

 

 帰宅後、1日ひとつは何か読むという課題に従い、長田幹彦という初めて知る作家の「澪」(1911年、明治44年)を読む。北海道を巡業して歩く若い役者とお大尽の娘の駆け落ち。冬の北海道の酷寒と旅回りの劇団のうらぶれた様子がよく描かれている。作者も北海道で旅回りの一座に身を投じていたことがあったようだ。読んでいる途中で居眠り。

 

 7時半長坂駅にK子を迎えにいく。雨がびちゃびちゃ降っていた。

 夕食後K子はいつも何か映画を見ようとかというのだが、今日は早朝に家を出て仕事をしてきたので疲れたようだ。ぼくも見ようという気になれない。

 YouTubeにCDは持っているのだが長らく聞かずにいたLetters from Kilkellyがあったので2、3のアーティストの演奏を聞いてみた。聞いていると気が滅入るが感動的な歌である。キルケリーはアイルランド西部の町だが、19世紀、例のアイルランドを襲った大飢饉によってアメリカへ移民せずにいられなくなった息子へ、父親が出す手紙の文句が歌になっている。出す手紙には家族の消息が書かれており、それが家族の歴史を教えてくれる。最後の手紙はずっと手紙を書いていた父親の死を知らせるものだった。