本が神隠しにあう。(Apr. 20, 2022) | 微睡のブログ〜八ヶ岳南麓から〜

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八ヶ岳南麓、北杜市長坂町小荒間に在住。ときどき仕事をしながら、読書、音楽鑑賞、カメラ撮影、オートバイツーリングなどの趣味を楽しんでいます。

 8時の気温は11度。ちょっと涼しいが快晴なので安心した。今日は午後文学講座があり、寒いのは困るのである。

 

 

 年金関係の戸籍謄本が必要になり、K子は急遽八王子市役所まで行かねばならなくなった。戸籍謄本は郵送はしてもらえないのだという。

 長坂駅までK子を送って帰ると、本の山をひっくり返して小林秀雄を探す。今日の文学講座は桜にまつわる小説・詩歌・エッセイを読むのだが、小林秀雄のよく知られる名言「美しい『花』はある。『花』の美しさの様なものはない」のある「当麻」を読みたかったのだ。

 すぐに『モオツァルト・無常という事』が見つかる。さらに今日の講座の参考になる『桜の文学史』という文庫が見つかったが、ふと他の本を探そうと目を離したら行方が分からなくなってしまった。不思議だ。本の山を何度もひっくり返したが見当たらない。最近こういうことがよくある。まるで神隠しにあったようだ。ついに認知症か。講座の当日に見つかってももう読む時間もないからよいのだけれども・・・・・・。

 ウッドデッキで小林秀雄を読む。「当麻」、「徒然草」、「無常という事」、「西行」の4編。この4編の流れはよい。一般の常識にとらわれることなく、物事の本質を捉え、明らかな「常識」を提示している。

 

 

 実は何となく不安に思っていたのだが、八ヶ岳文化村文学講座第31回の参加者は3名だけだった。都合で参加できないというメールを2名からもらっていたし、1名は入院していて退院はしたものの出席できるかどうか分からないと知らせてきてはいたものの、3名とは今までで最低の人数だった。しかし、教材作成に時間と労力をかけたことを考えると残念だったが、落胆したというのとはちがう。こういうことがあるだろうということは当然あるだろうと思っていたからである。それに参加してくれたK夫妻とY夫人は第1回目からの熱心な参加者であったから、原点にもどったようで新鮮な気持ちで講座を進められた。

 今日読んだのは、桜の和歌(中古から現代まで)、「西行桜」の概説、九鬼周造「祇園の枝垂桜」、小川未明「学校の桜の木」、薄田泣菫「桜」、萩原朔太郎「憂鬱なる花見」(『青猫』より)、林芙美子の『放浪記』の詩、梶井基次郎「桜の樹の下には」、坂口安吾「桜の森の満開の下」である。

 

 

 講座が終わり帰宅すると、K子は八王子から帰っていた。小淵沢で小海線に乗り換え甲斐小泉駅から歩いて帰ったのである。

 さすがに疲れた。夕食はぼくがオートミールカレーを作ったが、K子が熱心に観ていた大林監督の尾道を舞台にした映画は観なかった。少し居眠りする。