朝7時起きると停電は復旧していた。地震も停電などなかったような静かな落ち着いた朝だ。アカデラの乾いたドラミングが聞こえる。気温は12度。南西の風がゆるやかに吹いている。
8時40分、2日連続で仕事のあるK子を長坂駅まで送る。昨日はダイヤの変更を知らずあわてたが、今日は大丈夫だ。
午前中は読書。薄田泣菫、樋口一葉、太宰治、小川未明、九鬼周造、大町桂月、竹下夢二らのタイトルに「桜」の文字がある小説、エッセイ、詩を読む。謡曲「西行桜」も読んでみた。次回の文学講座では桜にまつわる短編などを紹介しようと思っており早々と下準備だ。
泣菫の「桜」は春の香気が匂い立つような美文だ。一葉の「闇桜」は幼馴染の哀しい恋の話。太宰治の「桜桃」は「子供より親が大事、と思いたい」と始まる傑作だ。幼い子供を抱えた夫婦は身につまされるだろう。小川未明の「学校の桜の木」は子供たちの成長を見守る老桜についての話。小学校の校庭にはどこにも桜の木があった。九鬼周造の「祇園の枝垂桜」は「粋」を哲学した人らしく、祇園の枝垂れ桜に浮かれ騒ぐ人びとを肯定的に描いている。大町桂月は美文家として知られるが、「小金井の桜」では、小金井はかつて桜の名所だったようで、美しい花見の景を描いている。竹下夢二の「桜さく島」は都都逸のような調子のよい詩である。
午後は読書にも飽いたのでドライブがてら富士見の古本屋へ行ってみることにした。富士見の図書館は全国で本が借りられる率がもっとも高いと何年か前に聞いたことがあるが、だから田舎町にも関わらず古本屋が成り立っているのだろうか。しかし本を借りる人が本を買う人とは限らないわけで、何はともあれ、どんな本が並んでいるのか興味があった。
しかし、店の前に車を停めてみれば、ガラス戸に「Closed」と書かれた板が下がっていた。営業時間の書かれた紙をチェックすると、月、土、日のみ営業、しかも午後の短い時間帯のみのようだ。つまり、店主は別に仕事を持っているということだろう。さもありなん。週1日か2日休みで、朝10時から夕方6時というような商売が、この場所で成り立つわけがない。歩く人を見かけるのも稀な場所なのである。近くの富士見高原病院へ2ヶ月に一度通院することになったが、予約は水曜日なので、診察後の開放感の中で立ち寄ろうにも、営業していないのでは致し方ない。
帰途もしやと思い綿半へよってみた。地元に綿半からは野鳥用のひまわりの種は店頭から消えたが、富士見の綿半には在庫があるのではないかと思ったのである。ビンゴ! 500グラム入りの袋を2つかう。啓蟄から1ヶ月ほどたち、野鳥たちの食糧も豊富になってきたと思うが、もうしばらく援助しよう。
夕食後『刑事ダルグリッシュ』♯1&2を観る。ずっと昔読んだことのあるP・D・ジェイムズ原作の本格的推理ドラマだ。刑事にして詩人という設定がよい。主役を演じていた男優が渋きハンサムで、暗い過去を背負っている佇まいが何ともいえない。
就寝前に井伏鱒二「追懐の記」を読む。怪談・奇談などで知られる(青空文庫で読める)田仲貢太郎の終焉記である。井伏鱒二が弟子だったとは知らなかった。田中は午前中に読んだ大町桂月の弟子だったという。