16日午後11時40分頃、プツンという音とともにテレビが消え、家中が暗くなり、さほどの揺れではなかったが、外から何か表現できないような不気味な物音が聞こえる。iPhoneの懐中電灯を点灯し二階に上がり外を見ると灯がどこにもついていない。月光が霜のように白く道を照らしている。別の窓から見ると隣家の庭の太陽光ガーデンライトが点々とついている。森の木々の向こうでぼーっと明るいのは介護施設だ。予備電源がさどうしたのだろう。時刻は午前0時12分になる。停電から30分以上経つのにまだ停電が続いている。
子供の頃はよく停電した。最近ではめずらしい。数年前に短時間の停電があったと記憶するが、本格的な停電は3.11の震災以来だ。八王子の家で震災に遭い、夜遅く八ヶ岳の家が心配で帰った。中央高速で帰ったのだが、気がつけば下りるはずの長坂インターを通り過ぎていた。高速の灯りが、標識も含めてすべて消えていたからだ。小淵沢インターで下りたが、やはり道路は真っ暗である。いつも煌々と光を放っているコンビニも黒く沈黙している。車がまったく走っていない暗く不気味な道を自宅へ急ぐ。真っ暗な家の中は冷え込んでいた。当時はF F暖房機を使っており、燃料は灯油だが、電気で点火や火力の調整をするので停電では役に立たない。 F Fをクラフトマンという電気を使用しない薪も燃やせるペレットストーブに帰るきっかけになった停電だ。
0時38分市の防災課からiPhoneに市内の停電について知らせがはいる。東京電力内で故障があり、市内25,000世帯が停電だという。復旧までもうしばらくお待ちくださいと言うことだが、もう停電から1時間以上経つ。
今日は朝から忙しなかった。K子に、お願いと起こされ、長坂駅まで送る。彼女を下ろして走っていると電話がある。また電車が遅れたかなと電話に出ると(ハンズフリーです)、電車の時間が変わっていたという。慌てて駅までもどり、次の電車まで50分ほどあるというので、小淵沢から特急に乗ればよいだろうということになった。しかし、特急も40分後なので駅で待たねばならない。ならば韮崎から同じ特急に乗ればよい。ドライブの時間は長くなるものの、駅であまり待たなくてすむし、お金の節約にもなる。帰宅後、今日の文学講座の資料などを整理するがたちまち昼食時間になる。
文学講座第30回である。月1回で、コロナで休まざるを得ないことがあったものの、もう3年近く続いていることになる。参加者は、多いときで10数名、少ない時は7、8名だが、多ければよいというものではない。今日は少ないほうだったが、熱心な人たちばかりなのでやりやすい。
今日はジェイムズ・ジョイスの『若い芸術家の肖像』を読んだ。理解するためには背景的な知識が必要だけれども、2時間ではそのあたりを端折らなければ、小説のさわりの読み聞かせが充分にできない。それでも用意したテキストの半分も読めなかった。
終了後ひどく憔悴していた。教材の作成が今までになく大変だったからだ。終わってほっとしたら疲れがどっと出た。県立農業大学校近くで木の切り株に腰掛けてしばし風景を眺めながらぼんやり過ごす。
現在午前1時20分、停電はまだ続いている。