さわやかで落ち着いた1日だった。
昨日は体が思うように昨日しなくて死ぬような思いをしたが、体に疲労は残っていたし、大きな望遠レンズをつけたニコンを持っていた腕にしこりがあったものの、寝覚めは悪くなかった。脚の調子も悪くない。室内は普通に歩けた。
昨日は弟の誕生日だった。その弟は2,3週間前にエージシュートを決めたという。ゴルフについて疎いぼくにはそのすごさがわからないのだが、長の年月ゴルフをやっている人の夢の目標であり、60代での達成するというのはプロやハイアマチュアでもなかなかのことのようだ。弟は2歳年下。弟の誕生日に体が機能不全になりかけたというのも何か意味があるかも知れない。
さわやかな微風が吹いていたのでウッドデッキのデッキチェアで音楽を流しながら読書。音楽はApple Musicが好みの曲を選曲して流してくれる。読書は堀田善衛『ミシェル 城館の人 第三部』の、モンテーニュの腎臓結石の痛みに耐えながらの17ヶ月に及んだイタリア旅行についての部分である。ドイツ領を経由してイタリアへ。好奇心旺盛な観察の人モンテーニュの面目躍如たる旅行記のようだ。読んでみたいがAmazonで調べたら古本がめっぽう高い。
それにしても腎臓結石に苦しみながら、公人としての仕事を誠実に行いながら『エセー』を執筆したモンテーニュの我慢強さには脱帽である。ぼくも一度結石で苦しんだことがあるが、死ぬかと思うほど痛かった。かかりつけの病院へ駆け込んだのはよいが、急患ということで診察室のベッドに寝かされたものの、医者がなかなかやって来ない。その間の苦しみたるや筆舌に尽くしがたいものがあった。現在のように石を溶かす薬がなく、湯治場で飲泉して、尿道から石や砂状になったものが出てくるのを待つ。想像するだに恐ろしい。ドストエフスキイーは『地下室の手記』でだったかな、歯痛が治るのだったら世界が破滅してもよいというようなことを書いていたと思うが、モンテーニュはどう考えていたのだろう。宗教戦争に明け暮れる騒乱の時代が平和裏に終わるならば、結石ぐらい我慢しようだったのだろうか。いずれにせよ、モンテーニュは耐え難い痛みに耐えながら、この厄介な病気を友としていたようだ。
読書しえいるとK子がフェルト作品の撮影をしてくれという。自分でデザインし、家にいるときは作業台に向かってせっせと制作しているが、作るたびに上手になっていく。
ふと見れば、庭には赤とんぼが目立つようになった。