光る君はお前さま
無断転用禁止
9月は3連休が2回もあるのう。
現役世代には待望の休日じゃろうが、サンデー毎日の老人にはこれがちょいとばかり鬱陶しいのじゃよ。
なぜかというと、こんな日に撮影に出かけようものなら道路も行先も若者で大賑わいになって、老人の居場所が無うなってしまうからのう。
従って連休が済むまでは巣ごもりを決め込むしか仕方がないのじゃわい。
しかも連休のあとの天気予報を見ると、しばらく天候が良くないというではないかえ。
これではいつになったら撮影に行けるのかさっぱりメドが立たぬわい。
こりゃまた暇を持て余してしまうのう。
そこでちょいと思い浮かんだことがあったのじゃ。
アップする予定もなく今まで放置しておいた写真でも投稿してみようかと思ってのう。
本来の写真ブログとはあまり関係のない話じゃからちょいと気が引けるのじゃが、御用とお急ぎでない衆はチラリとでも覗いていってくださればうれしいわい。
大分以前のことじゃが…
越前海岸へ撮影に行った帰りの道すがら、福井県・紫式部公園へ寄り道したことがあってのう。
大河ドラマでも放映中の、歌人でもあり源氏物語などの作者としても知られる紫式部は、越前・武生へ赴任した父・藤原為時に連れられて、この地で約1年半を過ごしたのだという。
紫式部と名がついている公園じゃから、ここには当時の紫式部にまつわる痕跡でもあるのかもしれぬわい。
と、何の予備知識もなしに立ち寄ったのじゃが、園内の説明を読んでみると、何とこの公園は1986年に完成した、まだ新しい公園だというではないかえ。
そんな出来立てホヤホヤの公園とは知らなかったのう。
これはちょいと当てがはずれたわい。
しかし折角来たのじゃ。
ざっと一巡りしてみるのも悪くはないわい。
ほんのちょいとでも当時の痕跡らしきものが残っていれば来た甲斐があったというものじゃ。
入口を入って行くと目の前には朱塗りの橋が…
いきなり平安時代の昔に突入じゃ。
橋の手前を左折して池のふちの小道を辿って行く。
池の向こうには何やら建物が見えているわい。
その横にはこれも朱塗りの太鼓橋も。
そして…
遠くには金色に光り輝くブロンズ像。
像に近づいてみると…
これはまさしく紫式部さんじゃ。
説明文によると式部さんの体は京の都の方角を向き、視線は越前富士とも呼ばれている霊峰・日野山を向いているというのじゃ。
なにゆえに目線を日野山に向けているかと言えば、この山が式部の和歌の中に出て来るからじゃという。
それにしてもキンキラキンに光り輝いているのう。
式部さん、そんなに光り輝いて、もしやすると「光る君」はお前さまご自身を指しているのではないかえ🤪
式部像の両横にはレリーフがはめ込んである。
レリーフの説明文。
説明文を読むと…
右側のレリーフ
父とともに京から武生へ旅する途中、木ノ芽峠辺りで休憩中の図らしい。
こんな衣装で京から幾日も旅をした?
ホントかいな?
ショーパンにTシャツというわけにはまいらなかったかのう🤪
左側のレリーフ
宮中で摂政・藤原道長に歌を所望されている場面じゃというが、いつもこんな暑苦しくて重たそうな衣装なのかいな。
十二単衣なんぞ今の猛暑では耐えきれぬじゃろうにのう。
今ならクールビズも冷房もあるぞえ。
先ほど池越しに見えた建物はこれじゃ。
当時の貴族住宅だった寝殿造を模したものじゃという。
ちょいと中を覗かせてもらうわい。
式部さんはこんなところに座って源氏物語や紫式部日記をものしていたのかのう。
もうちょいと歩いてみたかったのじゃが、わしゃそろそろ疲れてきたわい。
もう帰らねば後の運転に差し支えそうじゃ。
不本意ながらこの辺りで引き揚げるとするかのう。
最後はこの太鼓橋(反橋)を通ってトボトボと帰って行ったのじゃわい。
公園内に入るまでは、なにか往時の痕跡らしいものが残っているのかと期待して来たのじゃが、ワシが見た限りでは何もないようじゃったのう。
とは言えこの公園建設に当たっては、専門家の英知を集め、綿密な時代考証を重ねて作られた全国でも珍しい寝殿造の庭園だということじゃ。
特に式部像の作者でもある故園鍔勝三氏は文化勲章も受賞した有名な彫刻家らしい。
そんな苦心に苦心を重ねた末に出来上がった公園じゃから、これはこれでありがたく見学させてもらったわい。
しかも思いもかけずワシより若い昭和末期生まれの式部さんにお会いできたことは望外の喜びというものじゃったぞえ。
駐車場わきで見かけたシラン。
おしまい
無断転用禁止




















