思い出写真その7
川霧立ち昇る朝
無断転用禁止
最近の天気予報を眺めていると、ちょっぴり☀マークが出る時間帯もあるが、まだ安定した気象とは言えぬ日が続いているのう。
予報を信じて撮影に出掛けても、現地へ行ったころにはころりと変わってしまうこともあって困惑しているのじゃわい。
それに加えて、この時期は撮影したいという場所が思い浮かばぬのじゃよ。
以前は夏になると下界の猛暑を避けて、長野県の高ボッチ高原や霧ヶ峰高原へ避暑がてら出掛けたものじゃが、20年間も毎年通っていると、正直、飽きてしまってのう。
出かける前から現地の光景が目に浮かんでしまい、新鮮味がなくなってしまったのじゃわい。
高ボッチは確か5月以降は一度も行っていないはずじゃし、霧ヶ峰に至っては、今年になってから皆無の有様じゃ。
というわけで、またまた「思い出写真」へ逆戻りしますわい。
さて、以前は頻繁に通いつめたのに、ある時を境にぷっつりと撮影に行かなくなった川がある。もう20年以上も昔のことじゃ。
あの頃は初夏になると、毎日のように夕立があってのう。
前日に夕立が降るとその翌朝には、この川にかなりの頻度で川霧が立ったものじゃった。
この川の傍の山際からお天道様がお出ましになると霧が深紅に染まることがあり、それを狙っては撮影に出かけたのじゃ。
前日の夕方に遠くでゴロゴロと雷鳴が轟き夕立が降り出すと、しめた!とばかりに翌日の未明に住処を抜け出し、撮影ポイントへすっ飛んで行く。
そこにはもう数人の先客さまがお出でになっていてのう。
お天道さまのお出ましまで、皆で薄暗い道路の端に座り込んで写真談議に花を咲かせたものじゃったわい。
ところで、ここの撮影ポイントは大まかに言えば一ケ所だけなのじゃ。
太陽と山と川の位置関係からすると、そこ以外には考えられなかったわい。
従って今回のブログはどれも同じ位置からの定点撮影のような画像が並んでしまうがどうかご堪忍くだされや。
お天道様の位置が山からあまり離れていたり、そうかといって山のてっぺんからでは面白くない。
となると、この辺りに陣取って撮影するのが一番じゃったわい。
鳥の群れが目の前を通過して行ったのに気がつかず、はるか彼方へ飛び去ってしまってから慌ててシャッターを切ったことは、今になっても忘れられぬ思い出じゃ。
お月さまがお出ましになっていると、お天道様がどこからお顔を出されるかが分かる。
三日月を弓に例えると、太陽は的の方角に存在するのじゃ。
そりゃ当たり前じゃわのう。月は太陽光に照らされている部分が光っているのじゃから、この画像での太陽は山のてっぺん辺りということになるわい。
もちろん空振りの日もあったのう。
同じ場所から撮影しても、その日その時で異なった光景が見られる。
こんなに広い川のど真ん中に釣り人がいる。危なくないのかのう。
下流(西)を振り返ると、沈んで行く月が見えることもあったわい。
こうして何年間も撮り溜めた画像を羅列してみると、ほとんど定点撮影に近い写真ばかりじゃが、その時その時でかなり異なった光景が展開されていることが分かる。
こうして飽きもせず何年間も通い詰めていたのじゃが、その後、地球環境が変わってきたのか、定期的な夕立もあまりみられなくなってしまってのう。
夕立が無くなってしまったのでは、出かけて行っても無駄足を踏むばかりじゃからのう。いつの間にか撮影にも行かなくなってしまったのじゃ。
今になってはワシにとって懐かしい「思い出写真」になってしまったわい。
お付き合い下されてありがとうございまする。
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