こんにちは。
U.Sクラシック、ロンバルディア杯と終わり、
世界の壁はまだまだ厚いことが分かりましたね。
ライラルイスとかギニャファブとか見てると、凄く動くしディープエッジなのにシームレスと言う感じだったなぁ。
とにかくプログラム全体が滑らかで、アクロバティックで、その上で力み?がない感じ。
初戦から仕上げてきているのも凄いって驚きました。
まぁ私はかなだいからアイスダンスを見はじめたので、もっとターンとかの詳しい見方ができたらいいんですけどね。
それでも素人目にも分かるエッジ捌きの巧みさを感じました。いやートップ10は手ごわいですね。
そしてかなだいのRDの冒頭から始まるコレオシークエンスは本当に早い切り替えをしてステップを踏んでいるので、
難易度が高いことも良く分かりました。
でも、大ちゃんはフレンズオンアイスのインタで
「高い技術力といいものを見せる両方を試合で出していく」
「このプログラムいいねと言ってもらえる演技がしたい」と言っていたので、
最初から求めているレベルが高いんでしょうね。
要は「結果」も「作品としての良さ」も追求しているので、
凡庸な作品は滑りたくないということなんだと思います。
それは、シングルの時からずっと一貫した姿勢でしたね。
常にチャレンジングなプログラムを滑ること、点数だけでなく記憶にも残るような作品を作ること。
それを求める姿勢は今も変わらないのだなぁと思います。
年齢と共にそれはリスキーなものになっていくのも承知で。
更にインタの中で「試合では自分の限界を超えないといけない。自分の限界がどこまでなのか、精神面と肉体面のバランスを上手く保たないとできない」とも言っていました。
それを聞いて、試合はやはり自分の限界を超えたところでやっているんだなとしみじみしました。
そりゃあ、試合が終わった後は死んだように眠り続けるというエピソードにも納得です。
そこまでして、身を削るように作品を作らなければ、人々の記憶に刻まれるような作品は残せないんでしょうね。
やっぱり凄く因果な人だなぁと改めて思ったり。(そこが好きよ)
まぁ、一流と呼ばれるアスリートは皆そうなのかもしれないですね。
でももうかなだいもスリーシーズン目で、来季やるかどうかは決まっていないわけですから、
無難なものはやらないですよね。
哉中ちゃんも大ちゃんもそしてズエワ先生も、中途半端な成功は欲しくないんじゃないかなーなんて思ったり。
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私は読書と映画鑑賞が趣味で、20年来映画日記をつけてたりするんですけど、
それを読み返すと、大抵「普通」みたいな感想が書いてあったりするんですよね。
作品の点数も後日振り返る時の目安として付けてあるんですけど、まぁ中間点くらいがついてる。(10中5点とか)
そして映画日記を後から読み返してみても、内容がやっと思い出せるくらいで印象にないものが多い。
残酷なことに、創作物って月日と共に忘れ去られていくものが実に多いなぁと思います。
人の記憶に残ることって本当に難しい。
でも中には凄い重さで殴りつけてきて、2~3日くらい凹んで動けなくなるような作品もある。
あるいは本当に示唆に富んでいて、人生の気づきになるようなものもある。
一冊本で例を挙げると、この前亡くなった西村賢太先生の「どうで死ぬ身の一踊り」とか凄い作品だなと思います。
(まぁ、あくまで私の好みで毀誉褒貶の激しい作品です)
えーだから何が言いたいかというと、
かなだいにもやっぱり思いっきり殴りつけてきて欲しいなーと。
心身の限界まで追い込んでるのは知ってても、それを「もうやめてくれー」「ほどほどにねー」とは思えないんです(鬼)
それってどうしようもなく大ちゃんが求めてしまうもの、求められてしまうものでしょう?
多くの忘れられない名演をのこしてきた高橋大輔という名前の重みでもあり。。。
一方で、高橋大輔のチャレンジについては、「ビリでも一位でも成功」だとハビエルが言ってましたよね。
それならば、やっぱり余すことなく思いっきりやったれ~と思うのでした。
ではでは。