恋夏です こんばんは!

 

三連休は グダグダとダレていました、チャコ先輩と。

 

1回だけ、来月のネタを仕込みに行きまして

 

15日の浜降祭にトモくんに誘われたんですけど、

 

朝4時でしょ…。寝てました、チャコ先輩と。

トモくんとチャコ先輩とを天秤にかけたわけじゃないんです、もちろん。

 

はたかんの話に戻ります。

 

かしわ台駅東口から、比留川の谷を避けるように、西側の尾根筋を登ります。

 

Lioさんのマップで、70.1メートルのあたりです。

 

尾根の上には、こんな林が。

サワラかな? 二次林、三次林でしょうが、

 

東京へ乗り換えなしで行ける鉄道沿線では、貴重な林です。

 

ちょっとカントリー感。

 

痩せ尾根で、東側の比留川のほうを見ると

 

こんな急傾斜。

ただし、階段はないみたい。

 

階段マニアのチャコ先輩、ちょっとがっかり。

 

西側に降りると、こんな農地が。

 

段々畑、と言っていいのかな?

「♪瀬戸ワンタン 日暮れ天丼」

 

「歌わないでくださいね、人前で」

 

「♪段々畑とんがりこーん さよならするのよっちゃんいか」

 

「商標丸出しですね」

 

「そう、だから残念ながら、紅白では歌えません」

 

「その前に、音程とかのハードルが」

 

「恋夏ちゃん、なんか言った?」

 

「いえいえいえ、とんでも」

 

段々畑のわきを下りて、相模原台地の台地面に出ました。

綾瀬市役所方面を望んだところです。

 

赤い歩道の部分が、かつてはたかんが流れていたところです。

 

すでに標高は、さがみ野駅とほぼ同じ64.4メートルにまで下がっています。

 

ここから、湘南台まで台地面を潤しながら、ゆっくり下って流れていたんですね。

 

背中側、北のほうを見るとこんな風景です。

 

 

木立のある部分の歩道、怪しいでしょ? なんか。

 

あの木の下を、はたかんが流れていたんです。

 

木の下はこんな歩道が。

「テツのセンパイ、好きそうな光景ですね」

 

「廃線跡っぽいなあ」

 

「でもでもでも、鉄道線路の曲線は独特ですからねえ」

 

「え? なんで恋夏ちゃん、そんなこと知ってるの? もしかして、隠れテツ??」

 

「大学の図学の授業で習いましたよ。線路は鉄道定規使って地図描くって」

 

「そうだっけ」

 

サボってたんでしょ、チャコ先輩。

 

廃線ならぬ廃川あとをさかのぼって、たどり着いたのが

 

この公園です。

 

正面のブランコのあたりから、

 

トンネルで谷と丘を越えたはたかん用水が、

 

こんこんと湧き出ていたんでしょうね。

 

綾瀬市役所のほうを眺めると、こんな感じです。

 

あとは、二人でかしわ台駅西口へ行って

 

電車に乗って帰りました。

 

読者サービスです。

 

割とこの塗分け、好きなんですけど、相鉄線の。

 

かなり減ってきましたね。

 

「今のうち乗っておきたいでしょ、恋夏ちゃん」

 

「え、いや、ちょっと、そんな趣味は…」

 

 

恋夏です、こんばんは!

 

暑いですねぇ。

 

鵠沼のお家に行くと、涼しい風は吹いてはいるのですが、

 

海の、じめっとした風で、涼しいんだか、なんだか。

 

チャコ先輩たちの善行のお家のほうが、

 

少しは湿気が少ない風が吹いてくるような気がします。

 

「海から離れているからですねえ」

 

「南風が藤沢本町の砂丘を超えるとき

軽いフェーン現象が起きて、乾燥するんだよ」

 

 嘘です、ゼッタイ。

はたかんを見に行った時のお話の続きです。

前回アップたこの建物…

公民館なんですが、

 

この下をはたかんが通っていました。

 

そして、建物の下あたりを深く掘って、

 

丘と谷とまた丘をトンネルで超えていたんだそうです。

 

建物ああるのが赤い数字の64.5のところです。

 

この赤い数字は、地表面の標高です。

 

さがみ野駅から10センチだけ高くなっています。

 

もちろん、誤差の範囲です。

 

ところが、この先の丘は10メートル以上も高い83メートル。

 

そして、一気に26メートルも下がり

 

また11メートルも上がります。

 

水路どころか、鉄道さえ敷設できない高低差です。

 

なので、なので、なので

 

トンネル掘って、逆サイフォンを作って

 

再び平坦な相模原台地の64.4メートルの標高のところで

 

地表に出たんです。

Lioさんのわかりづらい断面図…。

 

公民館の近くには、こんなカフェが。

 

チャコ先輩と一緒に入りたいな、と思っても

 

チャコ先輩は、遠くの階段に夢中です。

 

ま、いいか。

 

大塚本町の近くにはこんな石碑もありました。

 

昭和9年の皇太子というと、いまの上皇陛下かな?

 

話題を変えて、

 

待ち合わせのとき間違えてはいけない、という駅が

 

ネットで話題になっていますね。

 

青梅と青海、幡ヶ谷と鳩ケ谷 が有名どころです。

 

神奈川県にも

 

相模原と小田急相模原

相模大塚と相模大野

相武台前と相武台下 が危険です。

 

「あと、小田急の足柄と御殿場線の足柄もあるよ」

「それを間違える人は少ないと思いますけど」

「じゃあ、相模線の入谷駅と、日比谷線の入谷駅」

「それも間違えないと思います」

「本郷台と港南台と洋光台」

「それは、間違えますね」

「あと、綾瀬市役所いこうとして千代田線乗っちゃうの」

「ありそうですね」

「江ノ電の由比ガ浜と和田塚」

「間違えるんじゃなくて、区別がつかないだけです、それ」

 

それほどの重大アクシデントではありませんが

 

かしわ台駅は東口と西口がめちゃくちゃ離れています。

 

こちらが東口。

 

元・大塚本町駅だったそうです。

 

 

こちらはチャコ先輩が撮った写真。

先輩が撮ると、建売住宅みたいです。

 

250メートル歩いても、西口には出ません。

「多分、西口には京葉線が走ってるんだよ」

 

 京葉線乗り換えと違って、動く歩道はありません。

 

恋夏です、こんばんは!

 

7月の地理トリップは、

畑かん用水跡を歩いてみました、ちょっとだけですけど。

 

 

 

まずは、

畑かん、って?ですね。

 

はたかん、と読みます。

畑灌漑用水のことで

畑に水をまくための用水路です。

 

そして、

地理で習ったかな、TVA。

テネシー・バレー・アクト。

テネシー川総合開発計画ですね、アメリカの。

 

その、神奈川版が

戦後計画されて、その名も

「神奈川のTVA」。

 

相模川を多目的ダムでせき止めて、

神奈川県を潤そうという、壮大な計画です。

 

相模湖と津久井湖と城山湖を作り

発電や水道、観光などに使いました。

そして、そして、そして、

農業用にも。

相模湖から水を引いて、相模原で東と西に分け、

東は、大和市を通り藤沢市の湘南台で境川に落とします。

西は、座間市、海老名市、綾瀬市を通り

藤沢市を経て湘南台で引地川に水を落とします。

日本中がお腹を空かせていた時代です。

畑かんができれば、お腹いっぱいご飯を食べられます。

そんな希望を抱いた突貫工事で畑かんは完成します。

相模原では「はたかん音頭」まで歌って祝ったとか。

不毛の相模原台地が、穀倉地帯に変わったのです。

しかし、しかし、しかし

今度は

相模原台地の上を、都市化の波が襲います。畑かんは

その用水路の跡地が、ぽつぽつと残っています。

チャコ先輩のブロ友さんも、そのあたり詳しい方がいます。

今回は、チャコ先輩とぶらぶら歩いてみました。

 

 

 

 

恋夏です、こんばんは!

 

金曜日から、このブログを立ち上げるとき

 

パスワードを要求されちゃって、

 

ブログを開設したLioさんはもちろん、忘れてるし

 

それっぽいパスワード(EF58-61とかNSE3100とか)を

 

片っ端から入れてもダメで、

 

土曜日一日かけて、Lioさんの家でむかしむかしの手帳を探してきて

 

そこにあった文字を解読して、やっと開けるようになりました。

 

自前のブログにしたほうがいいかな…。

 

(「それよりも、恋夏ちゃんがパスワード変えちゃえばいいのに」って

 なっちゃんお姉さまが入れ知恵、入れ知恵)

 

 

相模大塚の続きです

 

用水路の跡の道は、こんな風にベージュの石畳風になっています。

 

台地面よりも少し高いのが、階段や手すりでわかりますね。

 

台地上浅谷の上をほぼ勾配なしで敷設したため

盛り土の上を用水が通るようになった、

 

というのが恋夏の説。

 

チャコ先輩の説は

 

用水自体は台地面とほぼかわらないものの、

暗渠にしたとき、分厚い蓋をしたので、階段3段分高くなった、

 

というものです。

 

なんでこの区間だけ厚い蓋をしたのか、説明ができません。

 

「厚蓋ジェイソンという、お雇い外国人が設計して…」

 

それ、ちがいます、ぜったい。

 

北側には、かわいい農協の建物が。

 

もともと、幼稚園か保育園の建物を活用したそうです。

 

こちらは公民館(コミュニティセンター)です。

かまぼこ型のデザインがお好きな地域なようです。

 

こちらは、昔ながらの文房具店さん。

消しゴム、売ってるかな、レアなもの。

 

大塚本町の交差点の近くまで来ると、

 

ベージュの石畳はぐっと曲がって南下します。

 

 

来し方をふりむけば…。

並木の木は桜です。

 

以前は大木でしたが、コロナのころ伐採して、改植しました。

 

ソメイヨシノの樹齢が約60年ですから、

 

戦後70年で計算はほぼ合いますね(10年ぐらいは誤差のうちです)。

 

ちょっと寄り道して、大山街道を見て

 

あ、横になっちゃった。

横になっていますが、これがノースアップの位置です。

 

再び戻ります。

 

黄色い道が、畑灌漑用水跡です。

 

赤いところが、今日までのお話で歩いたところです・

平面の地図ではわかりませんが、

 

じつは、丘のふもとを歩いています。

 

階段マニアのチャコ先輩の写真です。

 

手前に緩やかな勾配があって、

ギュンと勾配がきつくなっているのがわかります。

 

歩道橋のようなものは、路地の階段です。

 

それだけ、急な階段です。

 

ベージュの石畳は、ここまでなんかしてまた再び西に向きを変えます。

写真の奥のほうが北。てまえが南西です。

 

そして、曲がった先にあったのが、こんな公民館です。

なにこれ??

恋夏です、こんばんは!

 

♪居眠りしたのね五日市 小川のせせらぎ紀伊田辺

 レンゲの花を枕崎 いま目が新発田~

 

チャコ先輩がキロロの「Best Friend」を歌うと

途中から「大都会」になってしまいます、なぜか。

音程が独特すぎるので、どこでどう変わったのかわかりません。

 

このあたりです、たぶん。

 

♪時には急ぎすぎて 見失うRUNAWAY RUNAWAY  いま駆け行く

 

 

はたかんの後を追うチャコ先輩と恋夏です。

 

降りた駅が、さがみ野駅。

相模大野とか、さがみ野とか、相模大塚とか

地名の密度が低かったことを示していますね。

利用者は間違えないでくださいね。

 

あと、相武台下と相武台前。

それから、もう一つは…今後のお楽しみ。

 

ポイ捨て禁止のエリアが、なぜか南西に細長く伸びています。

 

この不自然な細長いところが、

昔、畑灌漑用水が通っていたところなんです。

 

そのあとは歩道になっています。

入り口から見たところです。

 

 

さらにアップ。

料理店さんは「あげは」と読むのでしょうか?

 

「むかし、そんな雑誌があったよね」

「小悪魔系ですね」

「小天使系って、あるのかな」

「大天使さんならいますよね。ミカエルさんとガブリエルさん」

「男じゃん」

「天使は男性ですよ、基本的に」

 

宗教の話題はあまり突っ込まないでおきましょう。

 

ちなみにちなみにちなみに

中国語では「扬叶」ヤンイェです。

文字化けしてるかな?

 

遊歩道の反対側(北側を見たところです)は、駐車場でした。

 

戦後、ここに相模湖からつながる用水路が通っていたんですね。

 

線路まで行ってみました。

さすがに、痕跡を見つけるのは難しそうです。